憧憬の渓 三日目


体は疲労困憊したが、精神が浄化されたような気分だった。



憧憬の渓 三日目

源流三日目の朝は快晴だった。6時に目覚め川のようすを見る。このパターンは全
員共通している。今日はサンプル数が足りない場所に分担して入る。目印の滝上に
安谷さんとkazuyaさん、右の沢に関根さんとJICKYさん。尾崎さんは右の沢の様子
をビデオに撮影する。私とワタナベさんは下流の沢出会いから入渓して小屋まで釣
り上がる事になった。                           

今日の朝食はチャーハン。毎日多彩でおいしい料理ばかりだった。安谷さんに本当
に感謝。7時、全員で集合写真を撮って出発した。下流の沢出合いまでは登山道を
40分くらい下る。快調とは言い難い体調だったが黙々と歩く。まだ昨日の疲れが
取れていない。汗が流れ落ちてくる。登山道とはいえアップダウンが激しく、疲労
は確実に溜まってくる。                          

沢入り口の標識からは尾根の踏み跡をたどって忠実に下りる。ところどころにリボ
ンやテープが巻いてあって目印になっているのだが、時には「えっこんな所を降り
るの?」というような場所もあって気が抜けない。一歩間違えば滑落の危険性があ
る。昨日の雨で滑りやすくなっていて何度かヒヤッとする。土がゆるんでいるのと
木の根が滑りやすくなっているのが恐い。やっとの思いで川に降り立つ。正直なと
ころ「さあ、釣るぞ!」という気持ちより「やれやれ、これから先大丈夫だろうか
・・」という感じだった。                         

本流は昨日の雨で増水していた。パックロッドをセットし、大きめの毛針を5Xの
ティペットに結ぶ。今日は果たして何回この動作を繰り返すのだろうか。巨岩の間
を白い奔流が走る。キャストされた毛針はドラグがかかったと思うと、下流に飛ば
されるように流れる。これでは魚もくわえようが無いと苦笑する。ワタナベさんが
淵から小型の岩魚を抜き上げた。今日の第一号だ。とりあえず魚はいる。    

上流へどんどん先行する。淵は飛ばして、流れだしの部分だけを攻めるが反応は無
い。大きな落ち込みに出た。ワタナベさんが粘るというので左岸の高巻きルートを
登る。踏み跡をトレースしていったら垂直の岩壁に横に伸びる岩棚に続いていた。
本当にこんな道なのかと怖々進んでいったら、途中で道が消えて進めなくなった。
さて困った、15メートル下は真っ直ぐに河原の岩だ。よく見ると2メートル下に
細いテラスのような岩ひだがあって、そこがルートのようだ。         

戻るときにうっかり下を見てしまい最初の「ブルッ」が来た。ここで落ちたら命が
無い。そろりそろりと岩場をへつり何とか脱出したが、膝が震えている。やっとの
思いでその高巻きを終える。気を取り直してロッドをセットして釣り上がるが毛針
に魚の反応は無い。また、大きな滝に出た。ここも高巻きしなくてはならないので
よく見ると遙か上空に細いロープのようなものが見える。「うわ、あそこまで登る
のか!」ガレ場の踏み跡を忠実にたどって岩場に取り付く。          

ここからは設置された細いロープが頼りだ。ロープを掴んで次のステップに足を伸
ばした時にウエーディングシューズが滑った。その一瞬、足の下に遠く白泡を立て
ている滝壺が見えた。ここで完全に「ブルッて」しまった。膝立ちで5センチずつ
岩棚をにじり、必死の思いでロープからロープへと綱渡りする。ヒノキの幹にしが
みついて一休みし、更に滑る斜面を10センチ刻みで移動する。チラチラと真下の
滝が目に入り、冷や汗が出てきた。やっとの思いで高巻きを終え、その場でワタナ
ベさんを待つ。こうなってはもうダメだ。                  

追いついてきたワタナベさんに正直に話し、脱渓をお願いする。ワタナベさんは心
良く承知してくれた。脱渓は登山道のある左岸を直登する。ガレ場の直登が大変だ
ったが何とか登山道に到着、ほっと一息つく。見渡せばシオジの原生林。やっと周
りの景色が目に入ってきた。そのまま登山道を歩き11時に山小屋に着く。1時の
集合まで2時間あるのでゆっくりと昼食を摂る。これから4時間の下山が待ってい
るので、体のストレッチを念入りにする。                  

12時半、膝に故障のあるワタナベさんが一足先に下山する。みんなが帰ってくる
まで小屋のノートを読む。山小屋での山男達の記録だ。興味深い文章が多く、時間
を忘れて読みふける。上流組は1時ちょうどに帰ってきた。私も膝と太股が限界状
態だったので、下山で足手間問いにならないようにと、一足先に下山する事を告げ
た。1時間あれば麓までにちょうど良いアドバンテージになるだろう。     

マイペースで原生林の中の登山道を下る。余裕があるので、周りが良く見える。こ
の風景の中に自分一人だけが存在する事に満足しながらゆっくり歩く。先ほど往復
した沢出合いの標識を過ぎる。こうして進んでいるだけで麓が近くなってくる事が
素直に嬉しい。太股は上がらず、登りはまるで亀の歩みのようだ。       
尾根にかかった場所に青いものがある!、何だ?と思って近づくと先に出たワタナ
ベさんのザックだった。声をかけたらビックリしていた。こちらも驚いた、こんな
所で追いつくとは、足の状態がよほどひどいのか。しばらく休みながら話をする。
どうも膝の靭帯をおかしくしてしまったらしい。こうなれば膝に負担をかけないよ
うにゆっくりと下るしかない。そこからはワタナベさんのペースでゆっくり下る。
私にとってはじっくり周りを観察しながら下れるのでとても有り難かった。   
赤沢出合いの休憩所まで下って後から来るみんなを待つ。どうやら出発が遅れてい
るらしい。なかなか後続が降りてこない。その時間に体のストレッチをする。最初
に降りてきたのは尾崎さんとkazuyaさん。次に安谷さんとJICKYさん。関根さんが
最後に降りてきた。同時に雷が鳴り出した。雨に打たれてはかなわんと、早速出発
し森林軌道を車に向かって走るように歩く。休んだおかげでワタナベさんも一緒に
歩けた。平地は大丈夫のようでほっとする。                 

20分程で車に戻った。同時に雨が降ってきた。着替えもそこそこに演習林宿舎の
駐車場へと車を走らせる。駐車場前で最後の確認。ここで三日間の奥山行きは終わ
った。じつに多くのものを与えてくれた山行だった。秩父岩魚・原生林・瀑布・白
滝・おいしい食事・おいしいビール・大雨・雷・増水・高巻き・へつりの恐怖・・
優しさと厳しさを同時に体験させてもらったような気がする。本当に充実した三日
間だった。久しぶりに20代に戻ったような懐かしい釣りが出来た。      

演出してくれた秩父の源流と仲間に感謝。