奥山に山桜500本を植える

熊本県砥用(ともち)町 奥山国有林、緑川水源の森作り


        奥山にヤマザクラ500本を植える               

熊本県矢部町、旅館「山翠」。朝7時半に琥珀さんがレガシィで迎えに来る。今日は山
で植樹の経験をさせてもらうのだ。車は矢部愛林(有)という会社に向かう。ここは国
有林や民有林の植樹・下刈り・除伐・伐採などを請け負っている会社である。    

近年各種の企業や団体が「○○の森造り」などという活動を行っていて、そういった仕
事も請け負っているいわば森造りのプロ集団である。そしてそれは木を植え、山を育て
ることにより、水を創る会社でもある。われわれ釣りを趣味とする人間にとって、川の
水があることが何より求められる訳で、水源造りの仕事に興味を持つのはしごく自然の
なりゆきである。                               

社長に会って挨拶もそこそこに奥山国有林へと向かう。琥珀さんのレガシィから会社の
軽トラックに荷物を積み替え、国道から細い林道の奥へ奥へと入っていく。昨日見た阿
蘇の伸びやかな風景とまったく違う険しい山並みに圧倒される。照葉樹の濃い緑、関東
のそれとまったく違う杉林などを興味深く見ながら、九州の奥山に分け入って行く。 

軽トラックはウンウンうなりを上げてバンバン弾みながら急坂を登っていく。琥珀さん
の運転は顔に似合わずパワフルだ。「林道で四駆の軽トラは無敵ばぃた」と叫びながら
車はグングン高度を上げていく。                        

植林の現場に着く、奥山国有林だ。川向こうに伐採された斜面が広がり、そこが今日の
仕事場だと分かる。車の近くの資材置き場と上空の現場とは1000メートルを超える
ワイヤーが張られスカイキャリー(ミニロープウェイのような機械で1トンの重量を運
べる集材機)が設置されている。このスカイキャリーを使って苗や道具を上の現場に運
ぶのだ。見ると何千本もの広葉樹の苗が並べられている。             

山仕事は身支度が大事だ。スパイク付きの地下足袋を履き、ピアノ線入りの専用スパッ
ツをつける。コハゼを止めるのに手間取るが、つけ終わるとピッと身が引き締まる。 
地下足袋を履くなんて何年ぶりだろうか?ヘルメットを被るといっぱしの山師である。

「スカイキャリーで行くと楽ですたぃ」と琥珀さんが笑いながら言う。とんでもない、
千メートルもワイヤーネットでぶら下げられて50メートルも下を見ながら風に揺られ
て行くなんて人間のすることじゃない。もちろん今まで誰もやった事はないそうだ、当
たり前だと思う。北海道では裸で泳いだが、九州で空中散歩をする気にはならない。高
い所は苦手なんです。山は二本の足で歩くのが一番だ。              

植え付け現場へ登る途中、白いリボンの巻いてある細い木が沢山あるのに気づいた。聞
くと昨年植えた広葉樹の苗なのだそうだ。こうして広大な山の中で見る広葉樹の若木は
いかにもか細く、こころもとない存在である。白いリボンが風にゆれて精いっぱい自己
主張をしているように見えるのだが・・・                    

「ほら、これも食われちょる。鹿じゃけ」琥珀さんが指さす若木は上の方だけを折られ
たようになっている。「5年が問題なんじゃ、5年の間にどれだけ残るかが問題じゃけ
まだ広葉樹の造林技術が確立されてなかけん、造林も手探りじゃき仕方なかですたい」
広葉樹を山に植えて育てる事はそんなに簡単な事ではなさそうである。       


 奥山に 餌を求めて鳴く鹿の 声聞くときぞ 春は哀しき・・・  鹿が天敵とは 


山の植え付け現場に着くまでがひと苦労だった。奥山国有林というくらいの山奥で、急
な斜面を踏み跡を頼りに登っていく。汗が流れ、足がパンパンになるが一歩一歩本当に
登山の要領で登って行く。まだ地下足袋があしに馴染んでいないのでつらい。    

やっと上の現場に着く。スカイキャリーで運ばれたポット苗はズラリと並べられており
、ポットの苗は地面に並べて根が乾かないように仮植えしてある。作業している人は昨
日会った西山さんほか男性6人・女性3人。いずれも年輩の方達である。      

作業はまず苗を背負って斜面に均等に配ることから始まる。ポット苗はポット部が重い
ので運ぶのが大変だが、活着率は高いそうだ。急斜面に一つ一つリボンの付いた苗を配
っていく、約2メートル間隔で苗を置いていく。3ヘクタールもある斜面に苗を配るだ
けでも12、3日かかってしまうそうだ。                    

私と琥珀さんはバチ(穴を掘る道具)を持って一番上から植え付けを始める。まず、地
面をならし、15センチくらいの深さに穴を掘る。その中央にポット苗を置き、苗が垂
直になるように支えながら根元に土をかけ、きちんと踏み固める。最後に根元が乾かな
いように枯葉などを寄せておく。                        

緑川水源の森造成事業の柱が立つ奥山国有林。 バチをかまえていっぱしの山仕事師ぶりを気取るkuroo。

単純な作業なのですぐに慣れ、順調に進む。静かな山の中にバチを振り下ろすザッザッ
という音が響く。 今植えているのはヤマザクラの苗だ、30年後50年後にこの山が
一面の桜の花に覆われている光景を想像しながら一本一本の苗を植えていく。    

11時、大きな焚き火の回りに全員が集まって昼休みとなり、それぞれ弁当を広げる。
私と琥珀さんは弁当屋さんで買ってきた幕の内弁当を広げる。山で仕事をして食べる弁
当の旨さ!久しぶりに味わうご馳走のようだ。おばちゃんがサバの切り身を木の枝に差
して焚き火で焼いている。子犬がみんなの周りをグルグル回りお弁当のお裾分けをもら
っている。                                  

一本一本の苗をていねいに植えていく。これが森になる。 4ヘクタールもの広さを10人足らずの人手で植えていく。

西山さんが明日釣りをする為に、餌になる白い虫を木の根から掘り出す。ブドウ虫を大
きくしたような白い芋虫だ。そこにいた男の人がその虫を木の枝に差して焼いている。
どうやら焼いて食べるらしい。なんでも香ばしくておいしいのだそうだ。      

見ているうちにフッと「食べてみようかな・・・」という言葉が口から漏れた。自分で
も驚いてしまったが、以前から本などで虫を食べる話を見ていたので試してみようと思
ったのかも知れない。西山さんも驚いて「ホントに?」私は「なるべく小さいやつを」
とうとう食べることになってしまった。                     

木の枝に差した虫が焼けた。口に入れるとカリッとした歯触りで、サッと口の中で溶け
てしまった。昔から山で働く人達の貴重な蛋白源だったそうだが、この味なら分かるよ
うな気がする。少なくともザザ虫の佃煮よりはおいしい。             

琥珀さんも「それじゃオレも」とリクエスト、西山さんは「釣りの餌がなくなってしま
うバイ」と言いながら笑ってビニール袋から虫を取り出す。その虫を焼いて食べて昼休
みが終わった。 琥珀さんの感想は「ほかにゃ例えられん味バイ、ばってん旨かたい」
とのことだった。                               

昼休み、山や林業の話をいろいろしてくてれた西山さん。 どこへでも植えに行きますよと明るい矢部愛林の人達。

午後も植え付けを続ける。ヤマザクラの苗一本一本に結んだピンクのリボンが一面に風
に揺れている。琥珀さんと作業しながらいろいろな話をする。林業の現状と将来・山の
話・川の話・釣りの話・OLMの話・瀬音の人達の話・・・・・・          

3時、突然空が暗くなり、雨が降ってきた。荷物をまとめて山から走るように下る。下
の方にいた西山さんも「みんなー、片づけて下りるぞー」と叫んでいる。急いで下ると
膝がわらって足がもつれそうになる。雨が激しくなり、車に着く頃にはビショ濡れにな
ってしまった。                                

こんな山に昔は苗を背負って植え付けに登っていたのだ。 矢部愛林の事務所。ログハウスの木は地元の木を使う。

軽トラックで大粒の雨が降る中を矢部愛林の事務所に戻る。この事務所は地元の杉の間
伐材を使ってログハウス風に作ってある。しゃれた外装にドライブインと間違えて入っ
て来る人もいるらしい。地元の杉を使うなどいかにも林業の担い手を自負する感じが出
ていて嬉しくなってしまう。杉の皮むきなどは社員がやったのだという。林業にかける
熱い思いが伝わってくる建物だ。                        

会社の名刺には「木は水になります。木を植え、山を育てる 矢部愛林(有)」と印刷
してある。 この心意気や良し! 九州の山に熱い心の人達がいる。        



                追記                     

林業の現状は厳しい。高齢化・後継者不足・材価の低下・不安定な雇用・厳しい労働環
境・・・どれをとっても魅力ある職場環境ではない。しかし、50年100年をかけて
木を育て、山を造り、水を創る仕事が単なる経済活動だけで語られてしまう今の時代は
絶対おかしい。                                

確かに日本は経済で世界に冠たる国になったかも知れない。それは言葉を変えれば商人
の国になったということだ。物を創るより、流通させる事の方が価値を持つ国になって
しまったのだ。人はすべての価値を「いくらになるの?」と測っている。      

           本当にこれで良いのか?

基礎となるものを捨ててしまって、後でそれに気付くなどというバカな事はもうやめよ
う。このままでは「国敗れて山河あり」ではなくて「国栄えて山河消ゆ」ということに
なってしまう。                                

        誰でもいいから、早く気付いてくれ!