Wカップ日本戦レポート

トゥールーズで日本対アルゼンチン戦を見て感じた事。


ワールドカップ日本戦レポート

4年に一度のスポーツの祭典ワールドカップが熱気とともに終わった。多く感動を与えて
くれた最高の舞台はフランスから4年後に我が日本へと渡ってくる。今大会は特に日本が
初出場した大会として、日本にとっても、私にとっても特別な大会となった。以下、日本
の初戦をフランスのトゥールーズで観戦した私の現地レポートである。        



ジョホールバルでの感動的な勝利の瞬間、頭に浮かんだのは「これは何としてもフランス
に行かなくては」という思いだった。早速、仕事の関係で使うことの多かった近畿日本ツ
ーリストに、ワールドカップツアーの予約を申し込んだが、まだプランが出来ていないと
いうことでその後の連絡を待つことにした。思えばこの時、他の旅行社にしておけば良か
ったのだが、その時はこんな事になるとは思わなかったのである。          

2月15日(日)近畿日本ツーリストのワールドカップツアー申し込みの日である。午前
11時から受け付け開始だというので、朝から準備し、11時になると同時にプッシュホ
ンと格闘する。何度電話しても話し中、いよいよこれはダメかな?と思いながら延々と電
話すること4時間、やっと呼び出し音が響いた。やった!              

20コース以上あったツアーコースも早や2コースしか残っていないとのこと。やむを得
ず<日本VSアルゼンチン戦>と<ブラジルVSモロッコ戦>がセットになったコースを申
し込む。ぎりぎりセーフというところだった。取り合えずこれでひと安心、フランスに行
けるぞ!                                    

6月5日、遅れに遅れていた旅行案内書が届いた。あまりに遅かったので心配だったが、
これでひと安心だ。何といっても、もう来週13日には出発なのだから、あまり心配させ
ないで欲しいものだ。と、この時はまだチケット問題など発生していなくて、ワールドカ
ップの日本初戦に向けて気合いが入っていくばかりだった。             

ところが、出発の2日前の6月11日、いきなり共同記者会見が行われてチケットが無い
と言う。何の事だか分からず、ポカンとしてしまった。それでも自分の分は大丈夫だろう
と楽観していたのだが、翌日の新聞を見てビックリ!近畿日本ツーリストのチケット確保
は最悪で、2500枚の必要数に対して54枚しか入手してないというのだ。信じられな
数字だった、4か月も前に申し込んでお金も払い込んでいるのに・・・何じゃこりゃ! 

会社にも家にも旅行社から連絡がなく、いったいどうなってしまうのか?急に不安になっ
た。ニュースでは近畿日本ツーリストがツアーの中止を発表したと言う。おいおい、そん
な話、オレは聞いていないぞお〜・・・どうなってるんだ、まったく。        

取り合えず近畿日本ツーリストに電話するが、話し中で繋がらない。何度も何度も電話し
てやっと繋がり、話を聞くとツアーは中止だと言う。「そりゃないでしょう、54万円も
払っているんだよ、日本戦はダメでもブラジル戦は見たいので」と食い下がる。すると、
電話口の人は「当日、成田空港へ行って詳しい話を聞いてくれ」と言う。人数によっては
実施するかも知れないなどと言う。いくら混乱しているからといって、それはないでしょ
う。そんないい加減な話は無いんでないかい? こちとら一週間も会社を休むんだという
のに、どうなっているんだ、まったく!                      

当日13日、新宿朝7時の成田エクスプレスに乗り、成田空港へ行く。もちろん全て準備
してである。空港の窓口は大混雑だ、あちこちで旅行社の人とツアー客が言い争いしてい
る。泣いている女の人もいる。近畿日本ツーリストのブース前でも同じ光景が繰り広げら
れていた。窓口でツアー名を言い、担当の人の話を聞くと私の参加するツアーは実施する
ということでひとまず安心する。120人のツアーが23人になってしまったそうだ。そ
れはそうだろう、こんなザマでは・・・・                     

近畿日本ツーリストの説明は4〜5人ずつ分けて行われた。説得しやすい人数毎に分けて
混乱を防ごうとしているのは分かるが、何故こんな事(日本戦のチケットが無い)になっ
てしまったかの明確な説明が無く、参加者も渋々承知しているようだった。私は、ブラジ
ル戦が見られる事と日本戦のスタジアム前まで行くことを確認して納得した。     

テレビ各局のレポーターがあちこちでインタビューしている。私も日本テレビ、テレビ朝
日のインタビューを受けた「チケットが無いのでスタジアムの外で応援しますよ」と笑い
ながら言っておいた。                              

搭乗手続きも大混雑、いつもの成田空港と違い、どこかの大学の文化祭か何かのような騒
然とした空間になっていた。ツアー参加者も何だか殺気だっていて、とても力を合わせて
応援しようなんて気にはなれない状態だし、どうやら私が最年長で、20代の人ばかりだ
と分かった時もちょっぴり緊張した。                       

さあ、どうなる フランスツアー・・・                      


さあ、これから長い長い空の旅の始まりである。全日空なので言葉の心配はない、席につ
いてひたすら寝るだけである。機内で近畿日本ツーリストの添乗員から現金8万円を渡さ
れる。聞けば3万円がチケット代、5万円がお詫び金だという。ということは、すでに現
地でのチケット確保活動はしていないという事で、これを受け取った以上、日本戦をスタ
ジアムで見ることは諦めるしかないということだ。仕方ない、近畿日本ツーリストをアテ
にしないで自分で現地で何とかしよう。                      

成田から全日空でロンドンのヒースロー空港へ飛び、バスで市内を走り別の空港からチャ
ーター便でフランスのトゥールーズへ飛ぶ。トゥールーズ着が夜11時。そこからバスで
1時間半、ホテルに着いたのは成田から26時間後の事だった。バタンキューという感じ
で死んだように寝てしまった。 トゥールーズは遠い・・・ああ疲れた・・・     



朝食を食べながら(朝食はカフェオレとパンだけ)隣の部屋の関さんと相談する。   
「プラカードを作ろうよ。」                           
「そうですね、でも材料はどうしますか?」                    
「ホテルの横にTABACがあるから、そこで買ってこようよ。」            
ホテルの隣のTABACで画用紙とマジックを買ってきて部屋でプラカードを作る。    
【 Cherche une place 】これは劇場などの前でチケットの余りを譲って下さい。
という時に使う言葉だそうだ。これを10枚ほど作る。ツアーの人達に配るのだ、盛り上
がってきたぞお〜〜これでダフ屋と交渉だ。                    

バスでトゥールーズ市のワールドカップ専用の巨大駐車場へと行く。市内あちことで日本
のサポーターが列になって歩いているのが見える。アルゼンチンサポーターの姿もチラホ
ラと見える。我々のバスに気が付くと市民が必ず手を振ってくれる。開催都市の市民とし
て参加国の人達を歓迎する姿勢が感じられて感動してしまう。            

巨大な駐車場からシャトルバスでスタジアムへ向かう。200人乗りくらいの大きなシャ
トルバスだが、ほとんどが日本のサポーターである。ところがそこに突然4人のアルゼン
チンサポーターが乗り込んで来て、車内が騒然となる。この4人がスゴイのだ、乗ってか
ら走っている間中ずっと歌いっぱなし、怒鳴りっぱなしなのだ。パワーの違いを見せつけ
られてしまう・・おいおい、こいつらと闘うのかよ〜〜ワールドカップなんだなあ・・と
実感する。                                   

スタジアム前に着く。人、人、人の波、ほとんどが日本のサポーターだ。スタジアムに行
こうとしたが、橋の手前で止められてしまう、チケットが無いのでスタジアムまでも行け
ないのだ。ツアー参加者もそれぞれダフ屋さんと交渉に入るが、2万フラン(50万円)
、5万フラン(125万円)などとふっかけられて早々に散る。もっと人の少ない場所へ
行こうと、スタジアムから遠くの方へ歩き出す。それぞれがプラカードを掲げながら歩い
ているので、道行く人や車を運転している人が笑いながら見ている。         

5〜6人のダフ屋と交渉したのだが、結局チケットは買えなかった。最終的には7500
フラン(18、8万円)くらいまで下がったのだが、決定的なミスは日本円をその額だけ
フランに替えてなかった事だった。日本円はダフ屋にとって紙屑同然で、ドルかフランで
ないと相手にしてくれなかったのだ。両替所の場所が分からなかったのも失敗だった。 

結局あきらめて、関さん、長谷川夫妻、横山さん、山本さんの6人で野外オーロラビジョ
ン会場を目指して、川沿いの道を歩きだした。有名人もあちことで見た、皆さん我々と同
じでスタッフ共々チケット探しに飛び回っていた。ウルトラスジャパンの人達が橋のたも
とで、チケットの配分、抽選方法をめぐって言い争いをしていた。すごい数の人がチケッ
トの空売り被害にあっているのだと実感する。                   



巨大なワールドカップ縁日とでもいうようなブースがズラリと並んでいる特設会場の一角
に、その屋外オーロラビジョンは設置されていた。ワインを飲んだり、チーズを食べたり
しながら、そぞろ歩きを楽しむ。様々な国の人が歩いていて、見ているだけでも楽しい。
南アフリカの人、イングランドの人、韓国の人、そして日本とアルゼンチンのサポーター
達。それぞれが自国のナショナルチームのレプリカユニフォームを着ているので、よく分
かる。こうして歩いているとワールドカップは闘いであるとともにお祭りでもあるんだな
あと実感する。                                 

屋外オーロラビジョンの前は日本人サポーターですでに満員状態。前方のイス席のチケッ
トを日本のどこかの旅行会社が買い占めたという情報が伝わり、大ブーイングが起きる。
係員の制止も聞かず、イス席に飛び込むサポーターの群れ! 大勢で見よう、イスは撤去
しよう・・というかけ声とともにイス席のイスが次々と撤去される。群れると強い!  

我々も前方、かなりオーロラビジョンに近い場所に集合できた。ところが、何と隣にアル
ゼンチンサポーターの一群が・・。ちょっぴり緊迫感の漂う面白い場所である。    
もう、びっしり詰まって座ることも出来ない状態だ。まだ試合開始まで1時間もあるのだ
がニッポンコールが起きたり、アルゼンチンコールが起きたり、応援合戦がすさまじい。


オーロラビジョンにスタジアムの映像が映る。会場全体に歓声が沸き上がり、ふたたびニ
ッポンコールが起きる、全員総立ちになるが、後方から怒声が飛ぶ。「前の方、見えない
から座れ。見えないから座れえ!」前方の我々はヒザ立ちという苦しい体勢になってしま
った。まあ、しかたがない。そして選手入場、紙吹雪が舞い、歓声が公園に響きわたる。
「ニッポン、ニッポン・・」声を限りに叫ぶ。今、この一瞬、この公園も、スタジアムも
遠く日本のテレビの前のサポーターも、心は一つになったのだ。           

声を合わせて「君が代」を歌う。なんという事だ、鳥肌が立つ。日本からはるか遠くフラ
ンスのトゥールーズで歌う「君が代」が、こんなにも甘美なものだったとは・・・・・ 

試合開始。オーロラビジョンの中を青の戦士が走る。中田が、相馬が、名波が・・・  
この日を何年待ったことか! 日本がワールドカップで戦う日を何年待ったことか!  
ニッポンコールを繰り返しながら不覚にも涙がにじんでしまった。          


試合は一進一退で進むが、とにかく横のアルゼンチンサポーターの応援がものすごい。 
こいつら、命がかかってんじゃねえか?というくらい一人一人が声を限りに応援し続けて
いるのだ。とても日本の可愛い応援では太刀打ちできない、ものすごい迫力だ。平均年齢
が20才は違うだろう。日本の坊や達、年期が違うよ、と言わんばかりである。    

前半29分、バティの先制ゴールが決まった。その瞬間、全体の10分の1にもならない
アルゼンチンサポーターが爆発した。狂喜乱舞とはこのことだろう、日本のサポーターが
シュンとしているのを尻目に勝ち誇った雄叫びがとどろく。明と暗、天国と地獄とはこの
事だろう。強国アルゼンチンにしてワールドカップの1点はこれほど重く、価値あるもの
なのだ。ワールドカップという特別の舞台をつくづく実感する。           

結局、日本は善戦するも1対0で負けた。「惜しかった」という声もあったが、ワールド
カップに限らずサッカーは結果が全てであって、惜しくもなんともない、弱いから負けた
だけの事である。勝てば素晴らしい栄光だが、負ければ何もない。それが実力だという事
である。サポーターも日本選手の単純なパスミスや監督采配にブーイングするようになら
ないと、まだまだワールドカップで勝つ事は難しいだろう。

試合終了後、アルゼンチンサポーターと握手してお互いを讃え合う。勝ってこの交歓が出
来たのだったらどんなにか嬉しかっただろう。中にはユニフォームの交換をしている人も
いたが、私は断った。まだ、クロアチア戦も、ジャマイカ戦もあるのだ、日本のワールド
カップはまだ終わった訳ではないのだ。                      

公園を歩きながらトゥールーズの市民と写真を撮りあったりして遊ぶ。この市民のホスピ
タリティには頭が下がる。勝っても負けてもワールドカップに参加した国として遇してく
れる。4年後、日本でワールドカップが開催される。その時、我々はホスト国として一人
一人が同じ様なホスピタリティを発揮しなければならないのだ。大宮で、横浜で、丸太の
ような太い腕をした大男達を相手にして・・・・大丈夫だろうか?          

試合に終わったスタジアムへ行って見る。大きな横断幕を持ったアルゼンチンサポーター
家族と記念写真を撮る。家族でアルゼンチンからフランスへワールドカップを見に来る。
何てすごい、素晴らしいことだ、一生の思い出になるだろう。スタジアムの関係者通路で
インタビューを受けているベロン選手の顔が見えた。戦いの後はもう静かなスタジアムだ
チケット騒動などはすでに過去の事である。                    

足どり重くバスまでたどり着く。23人のうち7〜8人がスタジアム内で観戦出来たよう
だった。ダフ屋も最後はだいぶ値下げしてくれたようで、粘り勝ちである。我々はスタジ
アムには入れなかったが、それなりにワールドカップを肌で感じる事が出来たと思う。 
チケットなど無くても、こうして周辺で楽しむ事が出来るのもワールドカップの魅力なの
だろう。                                    

バスで宿に帰る、そして夕食。疲れた体をベッドに横たえて1日を回想する。興奮が体の
芯に残っているが、やがて心地よく眠りに入っていくだろう。長い一日だった・・・・ 

追記

翌日、一日バスでナントへ移動する。その翌日ブラジル対モロッコ戦をスタジアムで観戦
した。ロナウドの初ゴールを目の前で見る事が出来てサッカーファンとしてこたえられな
い試合だった。若い人達がこれほど多く応援に来ているとは思わなかった、日本もこの人
達がもう20くらい年齢を重ねるころには世界に伍していけるようになるだろう。   

爺さんになってワールドカップを見るなんてのもいいね。