阿仁マタギ物語 その5
熊の話。
『阿仁マタギ物語』
1996年11月 冬号 第1回 阿仁マタギ西根稔氏 マタギを語る
1997年1月 春待号 第2回 阿仁マタギ西根稔氏 初めての熊撃ち
1997年3月 春号 第3回 阿仁マタギ西根稔氏 ナガサを語る
1997年5月 初夏号 第4回 ●マタギの起源の話 ●岩魚の話
1997年7月 夏号 第5回 ●熊の交尾の話 ●熊手の話
飄々とマタギの世界を語ってくれた西根さん。
西根さんの熊の毛皮、熊の話が実感を持って迫る。
阿仁マタギ 西根稔氏 熊の交尾を語る
「 熊の交尾っちゅうのを見たことあるかい?」と西根さんがいたずらッ子のよう
に笑いながら言う。「 一回しか見たことねが、あれはスゴイもんだ。オレはその
交尾してる熊のオスの方の奴の背中の毛をむしったことがある・・・」とんでもな
い話だが本人はいたってマジメ「 熊っちゅうのは分からねことが多いんだ、謎の
動物って言われてるんさ。どっかの学者先生の言う通りなんてことは絶対ない!
だから、自分の目や手で実地に調べるしかないのさ・・・」もっともなことだ。
その時に山に入ったのは二人、鉄砲は持っていなかった。「 えてしてそんなもん
だ」これは釣りの場合も共通する、タモの無い時に限って大物がかかってバラシた
り、エサが切れてから好ポイントの連続だったり、何でもそうだが逃がした獲物や
チャンスは大きいのである。
最初に見つけたのは西根さん「 おれ!あれ見て見い・・あれ熊でねか?」「 ん
だ!なす 」「 しまったあ鉄砲持ってくれば良かった 」・・・・「 何か変で
ねが? 動かねど? 」「 あれ 頭二つあっど!」・・・「 おうおう あれ交
尾してんでねが?・・あんまり近づくとあぶねな 」・・・
その時の交尾の形は人間で言えば、後座位とでも言えばいいのか?オス熊がメス熊
をひざの上で後ろから抱くようにかかえていたと言う。かなり長い時間をかけて交
尾するものらしい・・このままで普通は終わるところだが、その後が恐ろしい。
「 このままじゃつまらん、ワシあの熊の毛抜いて来っからオメここで見とけ 」
と言った西根さん、足音を殺してオス熊の背後に近づく。何とも剛胆な行動だ。お
そらく熊には分かっていただろうと言う、鉄砲を持っていないことも、背後に一人
回ったことも・・・そっと後ろから手を伸ばして背中の毛を一つまみちぎった途端
「 ガオッ!」とふりむいたオス熊のキバがタッチの差で空を切った。
そのオス熊は交尾をしたまま首を真後ろまで曲げてきたと言う。交尾を途中で止め
ることはないという確信があったにしろ、とんでもない行為である。マタギとはこ
うした行動を通して「名」を残すものなのかも知れない。「名」こそが最大の財産
という世界であることを改めて思い出させてもらった。
熊の手の話
熊が歩く時なぜ音を立てないのか?不思議でしょうがなかったと西根さんは言う。
どうもその秘密は手の平にあるんじゃないか?と思い至ったが、死んだ熊の手のひ
らをいくら見ても分からない。生きている、捕まえたばかりの熊の手のひらを見な
くてはと思い、手形(足型)を取ることを思いついた。捕獲された熊がおとなしく
手形(足型)を取らせてくれるはずもなく、考え付いたのが警察が足型などを取る
石膏。柔らかい土を敷いたオリに熊を入れ、歩かせて足跡を付け、それを石膏で型
取り足型を取ることに成功した。
西根さんの家の玄関に置いてある熊の足跡のブロンズ像。
家の外のショーウインドーにもレプリカが置いてある。
150キロの熊と50キロの熊の足型(手形)を取り、その苦労して取った手形を東京
に送り、ブロンズ仕上げにしたものが西根さんの家の玄関に飾ってある。まるでレ
ントゲン写真みたいだ、特に150キロの熊の方は本当は大きさが一回りも二回りも
大きいのに、「 こんなに小さくなっちゃって・・東京の人は熊見たことねからし
ょがねもんだ 」といまだに悔しそうに言う。本人には出来上がりが不評だが、足
の母子球のあたりがひょうたんのように盛り上がっていて、音を立てずに歩ける様
子がよく分かる。熊の手のひらは想像以上に柔らかく、肉マンのような手のひらで
歩くのだから、音などするはずもない、忍者だってかなわないだろう。譲ってくれ
という人が沢山いるが、これは一個しかないオレの宝物さと西根さんは笑う。
ところで、熊の手形は凸型と凹型と二つある。いわばオス、メスだが、西根さんは
「 この出っ張った方でかき集めて、このへこんだ方で受けるのさ。商売繁盛の熊
手っちゅうのはこのことさ〜 」とおどけてくれた。
第5話 完