秩父三ダムの現状



浦山ダム・合角ダム・滝沢ダムの現状レポート。

【浦山ダム】

2月22日、風花が突風に舞う寒い日だった。その黒い喪服に身をつつんだ人々は
手に白菊を一本ずつ持ち、背中を丸めながら来年はダムサイトになる舗装道路を
一列になって歩いていた。寒い風の中を小走りに車に乗り込むと五台の車は連な
ってダムの横を走り抜け、影森の町へと向かって行った。          

お葬式だったのか法事だったのか知るすべもないが、浦山川の本流をせき止めら
れて山肌を露出した荒涼とした風景と重なって、妙に印象的なシーンだった。 

秩父郡荒川村浦山ダム。本体工事はすでに終了し現在試験湛水中である。ダムサ
イトに立つと背中から突風が吹き、まるで深い谷底につき落とされるような気が
する。谷の底に一本の道、山の中腹に一本の道・・・二本の道の高低差約五十メ
ートル。その差が示す水没する山の斜面に木は一本もない。すべて撤去されてい
て、杉の切り株が規則正しく並んでいるのが奇妙な模様を描いている。    

杉達もこんなことで伐採されようとは思ってもいなかったのではないだろうか?
当然 植林し、間伐をし、下草を刈ってきた人達も同じ思いだっただろう。もう
何ケ月かするとここに巨大なダム湖が出現し、今見ている谷は全て水没する・・
まったく人間というのはとんでもないことをするものだ。          

車で上流へと向かう、快適な道だ。途中に獅子の彫刻で飾られたトンネルがある
目をそむけることも出来ずに車はその獅子の口の中へ・・(トンネルが獅子の口
になっている)あまり気分の良いものではない、悪趣味なものを作ったものだ。

バックウオーター付近まで走る。このダム湖にも山女魚や岩魚や虹鱒が放流され
ダム湖に流れ込む浦山川に遡上する巨大魚を求めて釣り人が大勢集まってくるこ
とになるのだろう。しかし、本流と交流のなくなってしまった浦山川がどう変わ
っていくのか誰にも分からない。そしてこのダムの下流にどういう影響が出るの
かは誰にも分からない。荒川の水量が減ることは間違いないことで、鮎の釣りに
多大な影響があろうことを予想するだけである・・・そしてダムは残る。   



【合角(かっかく)ダム】

合角というところはまるで谷底にあるような集落だった。落葉松(からまつ)峠
から逆落としのような道を下っていくと、吉田川をはさんで合角耕地を望む場所
に出た。そして合角には何もなかった。家も、家の跡も、畑の跡も、木すらも無
かった。車を回して耕地に降り立つと下流の方向にダムのコンクリートの壁が見
え、上空に建築中の漣大橋が姿を見せており、それらがこの場所がダムの湖底に
なることを実感させてくれる。この合角耕地の人々がどんな思いで土地を去って
いったかはすずさわ書店刊:山口美智子著『村とダム・水没する秩父の暮らし』
に詳しい。<別項参照>                         

私の生まれた場所はここから落葉松峠を越えてすぐ近くの岩殿沢耕地にある。高
校時代この峠を越えて吉田川に山女魚を獲りにきたことがある。合角の友達と二
人で山女魚を2尾手づかみで獲り焼石の上で味噌を付けて焼いて食べたものだっ
た。確かもう少し上流だったと思う。まだあの頃は手づかみで山女魚が獲れたの
だ。半ズボン一つで水の中を走り回り魚を追い、石の下に肩まで腕を突っ込んで
山女魚の尻尾をつかんでひきずり出した。河原でたき火をして、平らな石を焼き
それに山女魚を乗せその横に味噌をなすりつける。山女魚と味噌が焼ける香ばし
い匂いが河原に漂い・・夏の空は真っ青だった。              

今、吉田川に昔の面影はない。水量が少なく、川床も上がって淵がなくなってい
る。この流域はもろい地質で雨が降るとすぐ川が濁る、戦後の一斉造林の結果、
流域に杉林が多くなったことも土砂の流出に拍車をかけている。ここにダムを作
るなんて誰が考えたのだろうか?地形的には効率的な地形かも知れないが、この
崩れやすい地質を考えるとダムが土砂で埋ることはハッキリ予想できるはずだ。
山が浅く水量も少ない。水を利用し続けることが出来るとは思えないのだ。  

五十年先、百年先にこのダムがどうなっているか?出来ることなら見てみたい。
人間の愚かさの墓標となっていなければ良いのだが。            


【滝沢ダム】

正丸峠を越えると雨はいきなり雪に変わっていた。一面の銀世界にたじろぎなが
らも、4WDの車は快適に走る。久しぶりの雨だ、カラカラの野山に今日の雨は恵
みの雨になるはずだ。今年はすでに冬のうちから水不足が心配されている、今日
のこの雨も水不足を解消するほどの量ではない。              

都会の水不足を補うために山にダムが作られる。でも本当にダムを作ることで水
不足は解消できるのだろうか?どうもそんな気はしない。水不足といいながら大
量に水を使い捨てている現状は他ならぬ自分が良く知っている。出来るだけきれ
いで大量の水が欲しいという都会の要請で秩父には五つのダムが出来た。そして
今建設中の滝沢ダムを見るために今日は秩父に来たのだ。          

車は市内を走り抜け、大滝方面へとひた走る。雪が雨に変わってきた。大輪で三
峰に登るロープウェイを左に見て、中津川方面へ右折する。毎年新緑と紅葉の季
節には車が数珠つなぎになる秩父の秘境『中津峡』の入口だ。        

集落に入る前に『この先600メートルで通行止め』の看板がいきなり出てくる。
中津峡方面は左の山の斜面の迂回路へとの指示に従う。道は山の斜面をぐんぐん
登っていく、何度かヘアピンカーブを回った時、いきなり視界が開けた。   

目に飛び込んできたのは巨大なコンクリートの柱!・・・20メートル四方で高さ
は100メートルはありそうな柱が2本ドーンとそそり立っている。あまりの巨大さ
に遠近感覚が狂うようだ、これが滝沢ダムの建設現場だった。さらに道は高度を
上げてダムを見下ろす最高点に出た。車を止めて展望する・・・デ、デカイ・・
対岸のはるか上の方で道路とトンネルの工事をしている車やユンボが豆粒のよう
に見える。この広さと深さが水に沈むのか・・・う〜〜〜ん バチあたりな・・

気を取り直して上流へ向かう、水没する塩沢地区を見ておかなくてはならないの
だ。途中。山から木を伐採中の現場を何箇所も見る。水没する場所の木は全て伐
採するのだそうだが、何とも痛々しい山の姿に目を覆いたくなる。羽根をむしら
れていく鳥のようにも見える。                      

塩沢地区に着いた、道路脇にバス停が立っているが人家はすでに跡形もない。何
軒もの人家の跡は残っている石垣で想像するしかない。小さな石塔や野仏が並ん
で雨に濡れている。このお墓はこのまま湖底に沈んでしまうのだろうか?それは
そうだ、お墓まで引っ越すことは出来まい、この土地に眠るものまで剥ぎ取るこ
とは出来ないのだ。残さざるを得なかった人の無念さが伝わってくる。    

やや上流に2軒の家の跡があった。石段を登ってみる、家のあった場所に一本の
水道管が立っている。その姿がここがかつて人の営みを育んだ場所だったことを
教えてくれる。                             

上の畑に小さな社があったので覗いてみた。熊野神社の木札があり、それを守る
かのように中にあった成田山の招き猫の目が光る。家や畑を守ってくれていたは
ずの社は今守るものもなく放置されている。いつのころからここにあったのか、
人がいなくなった後もここで何を守ろうとするのか?それとも自然に畏敬の念を
持たなくなった人間どもに災いをなすためにじっと潜んでいるところなのか?