瀬音の森日記 122


所沢でヒノキの皮むき



2000. 4. 9


4月9日(日)昨日の丹沢での植林から帰ってきてから妙に鼻水が出る。もしや花粉症
が再発したのか??イヤな予感を抱きつつ所沢下富のコナラ林再生ボランティア作業に
向かった。平林寺の桜も満開でちょっとだけ優雅な気分になったが、依然として鼻水の
気配が漂って、目の周りがかゆい。困った困った、体調はすこぶる悪い。      

今日は大森先生以下、8人での作業だった。準備体操の前に「安全」についての講義。
林業作業の安全についてはきちんと教えてくれるところは少ない。経験がものをいう分
野なので以外と軽視されているという事もある。こうしてレジメを前に講義してもらう
と、新人に教育する時のやり方を勉強しているような感じだ。           

林床の小さいコナラに銀色の若葉が光っている。芽が出るまでは何となく見落としてい
たのに、こうして芽吹いてくるとコナラはすぐ分かる。実にきれいな芽をつけている。
冬の間に何度か踏みつけたりしたが、こうして芽が出てくると自然に気をつけて踏まな
いように歩いている。                             

準備体操のあとヒノキを伐採する。林床のコナラを傷つけないように倒す方向を慎重に
決める。受け口を切り、追い口を切る。今日はノコギリがよく切れるような気がする。
木に水分が多くなったせいなのだろうか。ヒノキは狙った方向にピタリと倒れて、コナ
ラの稚樹を傷めることは無かった。                       

竹で作ったヘラを使って皮をむく。前回はあんなに苦労した皮むきが、まったく違う木
のようにツルリと剥けるので驚いてしまう。今の時期のヒノキは水を吸い上げているの
でこうして皮が剥けるのだそうだ。この時期に伐採したヒノキは山で枝をつけたまま、
皮を剥いて乾燥させるのだそうで「枝乾し」「剥き乾し」という言い方をする。皮付き
で放置された丸太よりも乾燥度合いが早く、運び出すのも楽になるとのこと。自然の理
にかなったやり方だと感心する。                        

皮には水分がたっぷり含まれていて、革手袋が濡れて浸みてくる。この皮を使って何か
作れないだろうかと考える。確か檜皮葺きというのはこの皮を使うはずだ。きちんと処
理をすれば屋根が葺ける材料になるという事だ。こんな事も覚えておくと後で役に立ち
そうだ。                                   

エゴの木の切り株から大量の樹液が流れ出ている。これは先月切ったものだろうか。木
は切られる前の自らの樹体に根から樹液を送り続けている。こういうものを見てしまう
と木を切る事の「罪」を感じてしまう。5月にはこの切り株から大量の萌芽が出てくる
ことだろう。それがまっすぐに伸びれば、また立派な木に育つ。こういう更新もある。

昼休みには恒例の焚き火で焼くウインナー。今日は焼き芋が出来ていた。大久保さんは
焚き火がしたくてこの会に参加している。思い切り焚き火が出来るこの場所は大久保さ
んの大のお気に入りだ。ほうじ茶を飲んで、おにぎりを食べて、焼きウインナーを食べ
る。参加者の会話も楽しい。                          

午後もヒノキの伐採をする。細いヒノキは皮を剥かず、そのまま玉切りする。最後に太
い二股になったヒノキを切るように指示される。この太いヒノキを手引きノコギリで切
るのか・・・と呆然としたが、やるしかない。倒す方向を決めて受け口を切る。ところ
が太いので時間がかかることかかること。「黒沢さんは今日残業かな?」などと冷やか
されるが、切り始めたものは最後までやらなくては。肩と腕が痛くなってきた。   

腕がきしんでくるが、なんとか追い口も切って倒した。それに数人で群がって枝落とし
をする。先生がチェーンソーで幹を玉切りしてくれた。これで作業がはかどる。皮を剥
く人、枝を処理する人、と一斉に作業したら時間ピッタリに終わったのでほっとした。

藤野さんが剥いた皮を持ってきて「これ、なめてみて。」という。何だろうと思ってな
めてみて驚いた。甘いのだ!かなりの甘さを感じる。樹皮に糖分を貯留するという事は
勉強していたが、こうしてなめてみて初めてその甘さを知った。そして、昨日の丹沢で
なぜ鹿がヒノキの葉ではなくて幹の樹皮をかじったのかが分かった。この糖分を食べる
為だったのだ。これだけの甘さが天然に存在する、それもヒノキの皮に・・・知らなか
った。これでは鹿のヒノキへの食害が無くなるはずはない。鹿にとってはごちそうだも
の。昨日補植したヒノキも育つそばから幹をかじられるのだろう。         

体調が万全ではなかったが、今日は貴重な体験が出来た。林業・農業というのは自然の
摂理の中で行われなければ無駄な労力と無駄な時間を使ってしまうものだ。こうした事
を体験で知っていくことが大切なのだと思う。                  
ちょっと鹿の気分がわかった・・・あとはまた明日から。