瀬音の森日記 196
7月のコナラ林再生ボランティア
2001. 7. 1
7月1日(日)昨日に引き続き森林ボランティアである。体がきついが顔を洗ってシ
ャンとして出かける。昨日とうって変わって快晴である。これは暑くなりそうだ。
10時には参加者14人が集合して作業開始。前回に引き続いて下刈り班と伐採班に
分かれる。私はもちろん伐採班だ。チェーンソーを担いで作業場所に移動する。腰の
水筒には麦茶がたっぷり入っている。夏はこれがなくては作業が続かない。チェーン
ソーを唸らせてエゴノキやサワラを切り倒し、玉切りして積み上げる。玉のような汗
が額から流れ落ち、長袖のシャツが汗で重くなる。
この所沢下富地区は江戸時代中期に開墾された新田で、畑ではあるが新田という名称
が残っている。当時、集落は道路に沿って列状に並び、その隣りに畑地の帯が、そし
て畑地の奥には二次林の帯がそれぞれ配置されていた。そしてこの3色の帯を横断す
る形で小道があり、小道で区切られた短冊状の土地が各農家の屋敷地→畑地→二次林
(肥料・燃料を採取する場所)という生産単位になっていた。
広さは一戸当たり約5ヘクタールの土地があり、そのうち3ヘクタールが畑地で2ヘ
クタールが二次林になっていた。畑地の面積は馬一頭+一家族で耕せる広さになって
いるという。また、3ヘクタールの畑を耕すためには2ヘクタールの二次林から出る
落葉落枝が肥料として必要だったことも分かる。
二次林は堆肥用の落葉落枝を供給してくれるほか、馬の餌となる青草や食料としての
山菜、きのこ、木の実を与えてくれる貴重な林だった。下草は常に刈り払われ、明る
い林床には多くの生物が棲んでいた。家の新・改築をするにもこの林の木を使い、日
常的な薪の供給もこの林から行った。
堆肥になる木の葉は、冬になってもしっかりと残っている硬い木の葉でなければ成ら
ず、クヌギやコナラ、ミズナラが重用された。この落葉広葉樹は薪にするにも火力が
強いので優れており、萌芽更新する性質からも二次林の主役になっていった。
このように、屋敷があり、畑地があり、コナラ、クヌギの二次林があるという単位が
複雑に重なり合って形成されたのが武蔵野の風景だったわけである。明るい里山の風
景も農用林として下草刈りが定期的に行われていたからこそ維持されていたのだ。
我々が今行っているコナラ林再生ボランティア作業というのは、この明るい里山を作
る作業なのである。現在、我々が作業している林の両側は鬱蒼とした暗い森になって
いる。人によっては、自然度が濃いだとか、天然林だとかいうが大きな間違いである
ことは、この林の成り立ちから見て明らかだ。農用林として手入れされるために出来
ている林であり、その生態系は農用林として手入れされてこそ維持できるものだ。
下草が刈られ、コナラ、クヌギが伸びやかに育つ明るい里山こそ武蔵野の生態系を作
るものだ。この暑い日射しの中で、ウラナミアカシジミというゼフィルスが飛んでい
た。コナラ、クヌギ林に発生する里山の蝶だ。この蝶が群れ飛ぶ明るい林を目指して
我々は暑い中で汗を流しているのだ。
フェーン現象による乾いた風が大きく木々を揺らす。風は狂ったように舞っていて木
の葉はちぎれるほどに揺れているのだが、林床は驚くほど風が弱い。鬱蒼とした森の
せいなのだろう。ムッとした暑さの中で樹上の葉が激しく揺れるのを恨めしく眺めて
いた。麦茶2リットルがのどの奥に消えていった。
東京はこの夏一番暑い日だった・・・あとはまた明日から。