瀬音の森日記 228
正月から里山の手入れ
2002. 1. 6
2002年が明けた。今年はいったいどんな年になるのだろうか。元旦からのんびり
と過ごし、3日から5日まで温泉でこれまたのんびりと過ごし、今年の抱負などを考
えていたのだが、どうにもまとまらない。まあ、なるようになるだろうから、特に気
負うこともなく新しい年をスタートさせたいと思う。
のんびりムードから一転して6日(日)所沢のコナラ林再生ボランティア作業に行っ
た。新年最初の活動日とあって参加者が多く、総勢25名での作業となった。うち森
林インストラクターが先生を含めて10名という陣容は豪華だ。そのうちの2名は昨
年の試験で受かった新人だ。昨年の私のように「さあ、やるぞ!」という意気込みが
現れていて頼もしい。
大きな焚き火を囲んで新年の挨拶。大森先生、神座先生、平川さん、塚本さん、岸良
さん、吉田夫妻・・・皆さん元気だ。今日は緑川さん特製の豚汁と北村さん差し入れ
のエゾシカ焼き肉が昼食に出来上がるとのこと。全員から歓声があがる。風も弱く天
気も上々、仕事始めとしては申し分ない条件だ。
まずチェーンソーの手入れをしてから伐採作業に入る。塚本さんが大きなアカマツを
伐るのを手伝う。枯れたアカマツは伐採して焼却しないと松枯れ病が次々に伝染して
周辺一帯のアカマツが枯れてしまうのだ。伐倒方向に滑車を付け、ロープをアカマツ
から滑車を通して直角方向に5人で引っ張る。太いアカマツなので伐採は受け口を切
ってから、左右からの突っ込み伐りをして最後に追いツル切りをする。
アカマツは狙い通りのところに大きな地響きを立てて倒れた。倒れるときに枯れ枝が
周辺の木々に砕かれて飛び散る。ヘルメットをかぶっていないと砕けた木の枝で怪我
をすることもあるので注意が必要だ。倒したアカマツの年輪を数えると90本の年輪
が数えられた。90年間生きてマツノザイセンチュウにやられてしまったのだから残
念なことではある。松枯れ病のアカマツはどんなに立派でも材として使われることは
ない。薪用に玉切りして道の横に積み上げる。
年輪の幅で周辺の時代毎の環境が分かる。密だった時代、疎だった時代。年輪幅が密
なのは競争が厳しかった時代。周辺には同じ様な背丈の木々が生い茂っていたのだろ
う。年輪幅が広い時代はよく成長したとき。周辺の木が伐採されて光り環境が良くな
ったのか、このアカマツの成長が他の木より早くて頭一つ上にいくことが出来たのか
?年輪を見ていると様々な事が想像出来て楽しい。
昼食は期待以上のごちそうだった。北海道から持ってきたエゾシカのステーキが鉄板
で焼かれ、群馬から運んだ里芋がたっぷり入った豚汁が大きな寸胴鍋で湯気を上げて
いる。焚き火では焼き芋が焼かれ、ステーキの横ではウインナーも焼かれている。昼
食用に買って置いたコンビニのおにぎりは最後まで手を付けることは無かった。じつ
に豊かで美味しいごちそうだった。
午後も伐採だった。90年生のアカマツを2本伐倒し、玉切り、枝処理をするだけで
時間はあっという間に過ぎ去っていった。初めて作業に参加した人はさぞ大変だった
と思う。初めてナタやノコギリで丸太と格闘するときは自分の筋肉が本当に頼りなく
思えるものなのだ。慣れた我々でも太いアカマツの伐採などには神経を使う。チェー
ンソーを使い続けていると腕の筋肉がプルプルしてくるのが分かる。多分、明日から
何日間は筋肉痛で体中が痛いはずだ。
作業を終えて焚き火の横に戻ってきたら、岸良さんと伊藤さんがドラム缶での竹炭作
りをしていた。火入れが終わり焚き口を塞いでいるところで、煙突からはいい感じで
酢酸を含む白い煙りがたなびいていた。先生の話ではドラム缶を埋める深さが少し足
りないかもしれないと言う。二人は一生懸命にスコップで土を盛り上げている。私も
それを手伝った。明日、この真っ白い煙りが無色になったら空気孔を塞ぐのだ。3日
間で立派な竹炭が出来上がるはずである。来月掘り起こすのが楽しみだ。
車にストーブ用の薪をたっぷり積み込んで・・・あとはまた明日から。