瀬音の森日記 259
西木村交流間伐会に参加
2002. 10. 12
10月12日(土)秋田県西木村かたまえ山森林公園で交流間伐教室が開催された。
参加者はジュリーさん、ユーリさん、JICKYさん、ハミングウェイさん、佐々木さん
、ひらり〜さん、多田さん、田辺さん、岡田さん、渡部さん、三浦さん、加藤さん、
こねこさん、琥珀さん、藪澤賢治さん、岩手の井戸掘りさん、ビスターリさん、今井
さん、原渓さん、old-beanさん、ちびbeanさん、kurooの22名。
首都圏からの参加者は前夜10時東京駅発のバスに乗って来た。かたまえ山森林公園
駐車場で合流し、久しぶりに会う岩手メンバーと挨拶を交わす。交流間伐会の会場は
ここより下の村営スキー場跡に出来た「森の学校」前の広場なので、車で移動する。
まるで店を広げるかのように、ヘルメット、鉈と鋸の二丁差し、名札を駐車場の入り
口に並べて会員に配布する。この道具を運ぶ為に私は車で来たのだ。
今回も首都圏から瀬音の森の他に、MORIMORIネットワーク、小田原育林隊、首都圏
紙風船西木ふるさと会のほか、早稲田大学のゼミグループも参加した。地元の参加者
を合わせて100名を越えるボランティア作業となった。主催者である「ふれあいの
森推進協議会」の布谷会長が挨拶し、続いて田代村長の挨拶と続き、敬宮愛子親王ご
誕生記念の植樹が行われた。植えられた木はソメイヨシノだった。個人的にはヤマザ
クラの方が良かったように思う。
作業は杉の枝打ち班、間伐班、広葉樹の育成天然林造成班、補植班に分かれて作業を
開始した。瀬音の森は広葉樹の育成天然林造成班に編入され会場のコナラ林に向かっ
た。広葉樹の育成天然林造成とは簡単に言うとコナラ・クヌギなどの広葉樹を間伐す
ることで世代更新させ、活力ある天然林を造成することだ。また、間伐した材は玉切
りして炭焼きの材料にする。
立派に育ったコナラを切るのは忍びないのだが、こうして人間が利用して来た林なの
だから健全に更新させるためにも間伐は不可欠だ。「森の学校」に立派な炭窯が出来
た事もあり、炭焼きの材料調達の為にも頑張って作業しなければならない。地元の人
が模範演技を見せてくれた。広葉樹の伐採は経験が少ないので遠くで見守った。そし
て、次々と山に入り、間伐し玉切りする人、玉切りの丸太を運ぶ人と別れて作業した
。丸太はすぐ下の林道に落として後で集材する。
10時半に休憩。全員林道に降りて缶コーヒーをもらってひと休み。日差しが強く、
暑いので日陰が気持ちいい。西木村での活動は天気に恵まれることが多い。あちこち
で会話の花が開いている。ひと休みしたあとで作業再開。お昼までの一時間半を全員
で動き回った。心地よい風が渡り、疲労感が残らない楽しい作業が続いた。
昼食は開会式を行った広場で西明寺栗がいっぱい入った栗ご飯と豚汁が出された。ブ
ルーシートの上でそれを食べ、高橋さんが差し入れてくれたリンゴを食べ、満腹にな
って休んでいた。抜けるような青空が広がって、暖かい日差しが降り注いで、何とも
ゆったりした気分だった。早稲田の学生と先生も加わって楽しい時間を過ごした。
午後も同じ作業を続けた。間伐もそろそろ終わり頃になって、最後のコナラを玉切り
し、その丸太を運搬している時に事故が起きた。最後の丸太を投げたのが回転し、勢
いよく田辺さんの顔を直撃したのだ。詳しい顛末は別項に書いたので省略するが、終
了間際の気のゆるみやすい時間帯での不注意による事故だった。田辺さんはすぐ役場
の車で角館の病院に搬送され、その後大事に至らなかったとの連絡が来るまで会員は
気が気ではなかった。田辺さんは大事を取って今日は入院することになった。
作業はそのまま終了し、夕方から「森の学校」を会場に交流会が開催された。今回は
全国育樹祭での会長賞受賞の祝賀会も兼ねており、村の主だった方が大勢集まってい
た。村長の挨拶、布谷会長の挨拶に続き、瀬音の森を代表して祝辞を述べた。我々が
西木村と共に進めてきた活動が評価された事は素直に嬉しい。ただ、賞を取るために
やってきたことではないので、これが一区切りなどと考えずに淡々と続けることが今
後の課題だ。再会の森も21世紀の森も20年後にやっと答えが出るのだから。
楽しい宴会が始まった。村の人と胸襟を開いて語り合うのはもう何度目だろうか。こ
うした集まりを重ねることで理解することがじつに多い。今回は若い学生も多く、若
やいだ声が飛び交う楽しい時間が過ぎていった。
今回も飲み過ぎてしまった・・・あとはまた明日から。