瀬音の森日記 322
にしきふるさと会、総会に参加
2004. 2. 8
2月8日(日)上野静養軒で行われた「紙風船にしきふるさと会・総会」に瀬音の森代
表として出席した。ふるさと会の武藤会長とは「ふれあいの森推進協議会委員」として
西木村を応援する立場でご一緒しており、その流れから招待を受けたものだ。当日は西
木村からも田代村長はじめ、布谷課長以下、産業課の面々が10人ほど参加した。
武藤会長の挨拶で総会が始まった。会議の内容は省略するが、挨拶の中で市町村合併の
結果、西木村という名前が無くなった時にふるさと会はどうなるのか・・という問いか
けがあった。これは、今、国主導のもと全国で進んでいる町村合併の対象自治体全てに
関係する問題だ。実際に住んでいる人よりもむしろ、ふるさととして遠くから見守って
いる人たちに与える影響が大きい問題だという気がする。
自分の生まれ育った土地の名前が変わり、その名前で集まっていた求心力が消えるとき
、多くの人の喪失感は何で埋めれば良いのだろうか。果たして代替出来るものがあるの
だろうか。今までもこうした問題は繰り返されてきて、その都度問題になりながら、時
の流れに消えていった。それが自然の成り行きなのだ、とは思うのだが、補助金の為の
合併という極めて人工的な圧力で消え去るものの大きさを誰が考えているのだろうか。
私はふるさと会の中には3〜4人くらいしか面識ある方がいないので、もっぱら西木村
の人と話していた。推進協議会の布谷会長もお見えになっていたので嬉しかった。明日
には西木村に行き、10日の紙風船上げのお手伝いをすることになっているのに、ここ
東京の上野で西木村の人と話していることがとても不思議だ。
昨年もお会いした会員の方から今年も話しかけられた。瀬音の森の活動に興味を持って
頂いているのだが、それ以上に西木村に行ってみたい願望が大きいとのこと。聞けば、
両親は他界し、実家はすでに無いそうだ。帰っても寄れる場所が無いとのこと。他にも
そういう人が多いらしい。私自身も田舎の出身だが、両親がいなくなると帰る場所が無
くなるという事は実感としてよく分かる。そういう人が集まってふるさとを思う1年に
1回の場所がこのふるさと会なのだと思う。
会長の話にもあったのだが、会員が高齢化すると共に会の存続が難しくなるようだ。た
だ、こういう場があることだけで救われる人も多い。ふれあいの森の活動に参加するこ
とで西木村に行こうと考えている会員も少なくない。ふるさと会も瀬音の森の活動も、
続ける事が大事な事だと思う。そう、あれこれ考えずに淡々と続けることが大事なのだ
と思う。何の為にでも、誰の為にでもなく、続ける為に活動するのも「有り」なのでは
ないかと思うようになってきた。
その会員の方に「どうぞ気兼ねなく参加してください。村の人と一緒に汗を流すのは楽
しいですよ」と勧誘しておいた。
さあ、明日は秋田行きだ・・・あとはまた明日から。