瀬音の森日記 359
第1回 炭焼き窯作り
2005. 3. 12/13
3月12日(土)と13日(日)の二日間、正丸オートキャンプ場で炭焼き窯作りを行
った。参加者は渡部さん、関根さん、長南さん、タンポポ屋台さん、kurooの5人だっ
た。杉花粉が舞う中で、花粉症の関根さんはマスクをしての作業でつらそうだった。炭
焼き窯を作る予定だった場所がまだ50センチも残雪が残っていて、作業が危ぶまれた
のだが、杉田さんがキャンプ場奥の第2候補地を掘ったところ、上質の粘土層が現れ、
急遽その場所に窯の場所を変更することになった。
粘土は壁や天井を作るのに欠かせないため、小鹿野から運ぶ予定だったが、この粘土が
あればその必要はない。とても良い粘土に恵まれてラッキーなスタートとなった。おま
けに深い粘土層だったため、穴を掘るだけで、壁に石を積む必要がないというまるで炭
焼き窯を作る為にあるような場所だったのだ。幸運な第一歩を踏み出すことができた。
12日は全員で間伐をした。その間伐木を1mに玉切りし、積み上げておく。この間伐
材を炭焼き窯に詰め込んで本体の壁を作るのに使うのだ。丸太をビッシリと詰め込んで
、周囲を粘土で固め、その後丸太を焼き尽くす事によって粘土が固まり、窯の壁が出来
上がる事になる。窯の内側全てを丸太で埋め尽くすことになる訳だから、相当量の間伐
材が必要になる。我々はせっせと杉の木を倒し、玉切りし、運んで、積み上げた。
急斜面で間伐した丸太を玉切りし、1本1本下にかついで運び、積み上げる。この時、
両脇に丸太を抱えた私は斜面で足を滑らせて尻餅を付いてしまった。運悪く丸太から飛
び出していた枝が背中を直撃し、肋骨を痛めてしまった。そのまま作業は続行したのだ
が、背中は徐々に痛くなり、後日病院で骨折していた事が分かった。肋骨骨折、全治4
週間という大けがだったのだ。簡単な作業の中にに大きな落とし穴があることを身をも
って経験した。森林インストラクターとして良い経験になったような気がする。でも、
へまには違いないので、自分の粗忽さを恥じる必要も大いに感じた。
夕方まで積み上げた丸太の前で集合写真を撮って初日の作業は終了。管理棟に戻り、さ
っそく焚き火が始まった。杉田さんが大量の杉の葉を燃すのですぐに大きな焚き火にな
って体が暖まる。疲れた体を焚き火を前に暖めながら周囲を眺めると、川の横には黄色
いマンサクの花が咲いていた。春を呼ぶ花と言われているマンサクが咲いているだけで
、気持ちが暖かくなるようだ。焚き火はますます盛んになり、缶ビールを飲んで気分も
まったりとしてきた。渡部さんが手早く絶品のパスタを作ってくれた。本当に料理をす
るのが速い。そして、じつに旨い。つまみも色々出て、楽しい時間が過ぎていった。
翌朝も杉の葉を盛大に燃す焚き火で始まった。今日も作業は間伐と玉切り。私は昨日打
撲した背中が痛いので重い丸太は運べない。それでも作業は順調に進み、ほぼ必要量と
思われる丸太の量を確保することが出来た。そして、いよいよ炭焼き窯の測量と穴掘り
に入った。測量と言っても、杉田さんが指示した場所に杭を立てるだけなのだが、これ
を間違うと変な形になってしまうので慎重にやる。渡部さんが慎重に杭を立て、ビニー
ルヒモで結ぶと、炭焼き窯の外枠の形が出来上がった。
いよいよ炭焼き窯の穴掘りだ。これはユンボの力を借りてあっという間に大まかな穴が
出来て、細かい修正は慎重に手掘りで行った。渡部さん、タンポポ屋台さん、私が交互
に交代しながら掘り続け、腰よりも深い穴が掘り上がった。これが炭焼き窯の原型とな
る縦穴だ。細かい修正はまだまだ必要だが、ひとまず原型が出来上がった段階で二日目
の作業は終了となった。ブルーシートを穴に水が入らないように固定して作業は終了と
なった。それにしてもユンボの偉大さがよく分かった1日だった。人手だけでは絶対に
不可能な作業をほんの何分かで終えてしまうのだから・・・
ユンボのパワーに圧倒されて・・・あとはまた明日から。