瀬音の森日記 406
伊東川奈港へ行く
2006. 9. 5
9月5日(火)朝5時に自宅を出発。伊東の川奈港に向かう。伊豆は晴れていた。真鶴
道路は台風の余波による高波で所々波をかぶっているところがあった。伊東市内の海岸
では道路に高波で昆布が打ち上げられていた。この高波が猫さん夫妻を流したのか、と
思うとたまらなくなる。
10時頃、川奈港に到着。昨日の夜、加藤さんに教えてもらった道を走って岬の突端に
行く。細い道を昇ったら行き止まりで、そのままバックで下る。降りてきたら車の様子
がおかしかったので確認したら左前輪がパンクしていた。細い道を無理して上り下りし
たのがいけなかったらしい。すぐに日陰に車を停め、スペアタイヤに交換する。大汗を
かいてタイヤを交換し、近くのガソリンスタンドで見てもらう。スタンドの人が確認し
て「これ、横が切れてますね。ダメですね。」新品のタイヤが1本おシャカになってし
まった。すぐに新しいタイヤに交換してもらう。
タイヤを交換して再度川奈港に行くと、伊東マリンステーションのWさんから電話が入
った。猫さんと土筆さんのご両親がこちらに向かっているとのこと。土筆さんの遺体を
市内の葬儀社に運んだことを聞き、ご両親が到着する時間にその葬儀社に向かうことを
伝えた。同時に猫さんのおじさんからも連絡があり、葬儀社に向かうことを伝えた。私
は現場を見ておきたかったので、そのまま車を岬の突端に走らせた。車を停め、突端の
造船場跡の民家を抜けようとしたら、そこの主人と顔が合った。話をすると、先ほどご
両親がこちらに来たとのこと。タイヤ交換している時にすれ違ったようだ。
猫さんと土筆さんの話をすると、ご主人もよく知っていて、二人が何度か来ていたと懐
かしそうに話してくれた。時折前の岸壁に波が押し寄せてくる。昨日の波はこのくらい
高かったのか聞くと、それほどでもないけど、1日に何度か高い波が来たと言っていた
。不意に高い波が来るので予測できないとのこと。しばらく波を見ながら話し込んだ。
そして、猫さんが行ったという灯台下の現場に歩いて向かった。灯台まではすぐに行け
たのだが磯へ下る道は分からず、そのまま帰ってきた。葬儀社に向かう時間になってい
た。車に戻り、ナビをセットして葬儀社に向かう。後ろの防波堤に激しく波が打ち寄せ
ていた。
伊東市内の「グランホール広野」へ行くと猫さんと土筆さんのご両親とご兄弟が揃って
いた。挨拶をして、土筆さんが安置された部屋に入らせてもらう。お棺の中の土筆さん
は額に小さい傷があるだけでとてもきれいだった。静かに両手を合わせ冥福を祈った。
まだ海にいる猫さんを思うとたまらない気持ちになる。待合室ではマリンステーション
のWさんが皆さんに状況説明をしていた。説明が終わり、Wさんが引き上げ、それから
が大変だった。まずは、葬儀はどうするのか、伊東警察に置いてある車と遺留品はどう
するのか、自宅はどうするのか・・・無理もない。土筆さんのご両親は神戸、猫さんの
ご両親は宮崎から今日出てきたばかりなのだ。
ご両親から東京での葬儀社手配を依頼され、急遽ハミングウェイさんに連絡する。ハミ
さんは快く承知してくれ、ご両親が安堵の溜息をついた。遺体は「グランホール広野」
の車で東京の自宅に搬送してもらえることになり、場所を知っている猫さんのご両親が
同乗することになった。そのまま電車で東京へ向かう土筆さんのお母さんと弟さんを伊
東駅まで送り、もう一人の弟さんがどうしても現場を見たいというので川奈港に案内し
た。現地で車を降り、二人で磯への下り道を発見し、トラロープにすがりながら磯まで
降りた。磯の降り口は高波で濡れており、下に見下ろす釣り場は10メートルもの高波
に襲われていた。その激しさに言葉を失い、遭難という言葉を実感していた。
伊東警察に集合する時間に少し遅れた。警察では猫さんのご両親とおじさんが黄色いジ
ムニーの処置について話し合っていた。ご両親の依頼で、車載の荷物を引き取ることに
なった。自分たちにはどうする事も出来ないので会員の皆さんで使えるものは使ってく
ださいという事だった。猫さんの遺品という事になるのだろうか・・・後部座席を倒し
た荷台に次々と載せられる釣り道具だとかキャンプ道具をぼんやりと見ていた。荷物を
降ろし終わった黄色いジムニーがポツンと警察の車庫に残っている。このとき、本当に
猫さんが亡くなったんだ、と実感した。黄色いジムニーはおじさんが後日引き取ること
になった。
「グランホール広野」の車に乗った皆さんと別れ、帰途についた。ところが、真鶴道路
が通行止め。平行する国道も高波のため通行止め。迂回路は遠く沼津に抜けるか箱根を
越える道になってしまう。後ろに積んだ猫さんの遺品が川奈に引き留めようとしている
かのようだ。携帯で東京の加藤さんやハミさん、野村さんと連絡を取る。みんなに猫さ
んの自宅で待機してもらっている。ご両親と土筆さんの遺体を迎えてもらうためだ。今
日の私のやることは無事に帰ることだけだが、自宅で待機している人はまだこれから忙
しい時間が待っている。
長い長い1日はまだ続いていた。