瀬音の森日記 408


伊東での高橋夫妻追悼集会



2006. 9. 10


9月10日(日)伊豆の伊東に向かった。海は数日前の荒れ模様が嘘のように穏やかだ
った。早く着いたので伊東市の道の駅で休憩していたら、次から次に参加者が到着して
きた。何だかここが集合場所のようになっていた。猫ミュウさんのご両親と叔父さんも
参加してくれて暑い日射しを避けるように日陰に集まっていた。この日の参加者はハミ
ングウェイさん、渡部さん、加藤さん、野村さん、鵜住居さん、稲垣さん、藪の高橋さ
ん、坂本ヒラメさん、NAKANOさん、BAJAさん、クロさん、琥珀さん、関根さんご夫
妻、白瀧さん、岡島さん、岡田さん、佐藤百合さん、坪井さん、こねこさん、kurooの
24名だった。野村さん、鵜住居さん、みきちゃんは土曜日にも来てくれた。    

伊東港の岸壁で栄洋丸の船長と落ち合い、舟組と陸組に別れる。それぞれ、お酒と花束
を持参した。私はご両親と一緒に船に乗り、川奈崎を目指した。船は小さい船だったが
波が穏やかだったので、問題なく目的地に到着することができた。川奈崎沖300メー
トル地点に到着。ここが猫ミュウさんが発見された場所。さっそく海に花を手向け、ビ
ールとお酒と焼酎を流す。花を手向けるご両親の胸中を思うとたまらない。     
「猫さ〜ん、お酒だよ。出ておいで〜」ハミさんの声が海原に響く。        

そして、その横へ300メートルほど移動して土筆さんの発見現場に到着。ここでも海
に花を手向け、ワインを流す。ここからは遭難現場と思われる場所に到着した陸組が手
を振っているのが良く見えた。あそこの場所から流されたのか・・と思うと、もの凄い
波だったことが良く分かる。また、潮の流れの速いこともよく分かる。海原に手向けた
花があっという間に流されていく。潮が速いのだ。ここで遭難した人が1週間後に房総
沖で発見されたと老いた船頭さんが言っていた。                 

遠い水平線や海原を凝視し、猫さんの遺留品が無いか、あわよくば本人が発見されない
ものかと目を皿のようにしていたのだが、約束した2時間が過ぎ、船は伊東港に進路を
変えた。老いた船頭さんがサービスのつもりか周辺の観光案内を始めたところ、船に乗
っていた人から、もう一度現場に行きたいという声が出て、進路が再び変わった。先ほ
どの地点に到着したときは手向けた花はまったく探すことも出来なかった。海難に遭っ
た遺体は1週間後くらいに浮かび上がると聞いていたので、もしかしたら・・という思
いもあったのだが、この潮の流れでは遠く離れた場所でひっそりと浮かんでいるかもし
れない。海の中にいる猫さんのことを考えると本当に「発見できなくて申し訳ない」と
思ってしまう。                                

港に戻り、船頭さんにお礼と謝礼を渡し、海上捜索は終了した。こんな穏やかな海が荒
れ狂うのが信じられないのだが、ここで猫さんが亡くなったのは事実なのだ。この風光
明媚な伊豆の海に猫さんは眠っている。いや、海と同化している。何だか不思議な気持
ちになった。あまりに明るく伸びやかな風景が、今の我々の気持ちとあまりにかけ離れ
ているのだ。悲しさを微塵も感じさせない明るい風景が目の前に広がっていた。   

猫さんがよく行っていたというお店で昼食を食べようということになった。大勢だった
が二階の広間を開放してくれた店の人に感謝しつつ、海を眺めながら歓談していた。こ
この定食はボリュームといい、鮮度といい、味といい素晴らしいものだった。魚にうる
さい猫さんが通っていただけの事はある。猫さんのお父さんが挨拶をしてくれた。「皆
さんのお陰で現場を見ることが出来ました。ありがとうございました」とのことだった
。感謝のしるしということで昼食代を支払って頂き、かえって恐縮してしまった。  

日曜日の伊豆は帰り道が渋滞する。現地で解散し、私は熱海から沼津に抜けて、東名高
速で帰った。真鶴道路を使った人はずいぶん時間がかかったようだ。猫さん夫婦は伊豆
に来るときも帰るときも渋滞を避けて、夜移動していたらしい。本当に釣りが好きな人
だった。そして猫さんといつも一緒だった土筆さん。似合いの夫婦だった。自分は好き
な海と同化して、土筆さんだけはご両親の手元に返した猫さん。猫さんらしいよね、と
帰りの車の中でカミさんと話していた。