瀬音の森日記 481




「山里の記憶」NHKで放送



2009. 2. 5


NHK「おはよう日本・首都圏」の特集で「山里の記憶」が放送された。


2月5日(木)朝7時54分、NHK「おはよう日本・首都圏」の特集で「山里の記憶」が
放送された。4分間という短い時間だったが、よくまとまっている内容だった。それにし
てもテレビの撮影がこんなに大変なものだとは思わなかった。取材が丸三日間、カメラを
回していた時間が8時間以上。それが放送になると4分間。たった4分にかける膨大な時
間とエネルギー。仕事とはいえ、その徹底ぶりは本当にすごいものだった。こんな事はも
うないと思うので、以下、どんなに大変だったか、自分のメモのつもりで書いてみたい。

きっかけは12月の原画展だった。フラリと入ってきてじっと絵を見ている若者がいた。
3日目で人も少なかったので声をかけたら、意外なことに反応が良かった。色々話してい
るうちに「瀬音の森」の話になった。どうやらホームページを見ていたようだった。その
うち名刺を出してきたので、見るとNHKの映像取材部とあった。その日は名刺をもらった
だけで、まだ何がどうなるという話までは出ていなかった。             

原画展が終わり、次の取材の準備をしている時期だった。会社にその人から電話があった
。「山里の記憶」で取材させてもらえないかという話で、まだ確定ではないが、1月に取
材があれば同行したいということだった。14日の取材は前から決まっていたので、その
事を話すと詳しい話を聞きたいという。そこから話はトントンと進み、14日の取材同行
が決まった。先方にはNHKの方から連絡するという事だったが、念のためこちらから連絡
しておいた。取材は小正月の「ハナつくり」で、小鹿野の田本さんにお願いしていた。 

1月14日朝8時半、道の駅龍勢会館の駐車場で待ち合わせる。15分前に着いたら、す
でにクルーは到着していて、すぐに打ち合わせになった。カメラマンと音声さん、ディレ
クターと運転担当の4名のクルーだ。カメラを助手席に乗せ、制限速度で走る。制限速度
をあまり越えないようにと声がかかる。いつもなら70キロくらいで走る道を50キロで
走る。顔のすぐ横に大きなカメラがあるので緊張する。道が凍っている場所が所々にあり
ノーマルタイヤだったのでヒヤリとするが、何とか切り抜ける。どうやら日光が当たると
ころでのみ撮影しているようだった。                       

田本さんの家の前に着いた。車を停めると「ちょっと待っててくれ」と言う。家の前で段
取りを組むのだそうだ。20分くらい運転手さんと世間話をしていた。家から降りてきて
こういう風にしてくれという指示を受ける。なんだか役者にでもなったような気分だ。 
指示された道から家の前に向かうと田本さんはすでに作業をしていた。ここから先はテレ
ビに映っていた通りの展開になる。実際は2時間くらい一緒にハナつくりをして大汗をか
いたり、他のモノヅクリを手伝って、その場面を撮影もしていたのだが、放送では全部カ
ット。私は私の取材があるので、撮影には関係なく、自分のペースで取材する。    

普通なら2時間か3時間あれば私の取材は終わるのだが、外の撮影が長引いて次の話に入
れない。家の中で奥さんと娘さんが繭玉を飾り付けているので、それを取材する。奥さん
が「お茶くらいどうかと思うんだけど、いらないって言うんだいねえ」と困ったような顔
をしている。どうやら事前調査に来ていて、その時にクギを刺されているらしい。NHKだ
からそういう事にはうるさいのだろう。それにしても撮影が長い時間かかるものだ。外か
ら声がかかり、田本さんと話しているところを撮影したいという。あれこれ注文をつけら
れるが、その通りにする。影の映り込みをものすごく気にしている。         

小さいハナを氏神様に供える場面を撮影に山に向かう。もう昼過ぎになるのに、全然休も
うという気持ちはないようだ。日が高く明るいうちに撮影の方を済ませたいようで、休む
などとは誰も言い出さない。氏神様の前でハナを供える場面を3回やり直す。方向を変え
て、同じものを撮影する。田本さんと顔を見合わせて苦笑しながら繰り返す。必然的に待
ち時間が多くなり、その間に田本さんから詳しい話が聞けたので良かった。      
氏神様の撮影が終わり、田本さんと家に帰る。クルー3人は引いた全景を撮るためと言い
、川を渡って向こう側の山に登って行った。いやはや本当にテレビの撮影は大変だ。家の
前で3人の遠い影を見ながら「ホントに大変だあ・・・」という言葉が思わず出る。  

外の撮影が終わり、炬燵で話している場面の撮影に入る。すでに日射しは無く、ライトを
持ち込んでの撮影となるのだが、このライティングがまた大変だった。炬燵の位置を動か
したり、あっちの戸を開け、こっちの戸を開けと3人が動き回る。音声さんが滑って上が
りかまちから土間に落ち、にぶい音がした。次の瞬間、音声さんは何ごとも無かったよう
に上がってきて作業を進める。一部始終を田本さん夫妻と見ながら、またも「大変だあ・
・」と溜息がもれる。炬燵のシーンも角度を変えて何度も撮影する。手の位置とか顔の向
きとか、細かい指示が出る。終わったのはもう3時過ぎだった。6時間以上撮影していた
ことになる。私はそこで別れて畑に向かい、白菜と大根の収穫をして帰路に着いた。  

1月24日(土)電話があり、急遽NHKの担当者が下見に来ることになった。やはり、事
前に下見しておかないとまずいようだ。11時に来て、休む時間もなく家の内外の確認を
する。主に二階の部屋で細かいチェックをした。作品を確認したり、取材ノートやお礼の
手紙を見たりと忙しい。本当に多岐に渡るチェックをするものだと感心する。私の方も絵
を描いていたので、手を休めずにいたら、見せてくれと言う。見せると、これ以上描き進
めないでくれと言う。これには困った。予定通り終わらなくなるかもしれない。    

翌1月25日(日)今日は家で絵を描いている場面などを撮影する日だ。朝から部屋を片
付ける。予定通りの時間に車がやってきて、撮影機材が運び込まれる。あっという間に狭
い我が家の玄関は機材でいっぱいになってしまった。ひと休みする間もなく、二階で作業
シーンの撮影に入る。スケッチブックの原画を切り離し、額装する作業だ。窓から直射日
光が入っているので額のガラスに反射するので、その調整に手間取る。これでは今日中に
絵を仕上げるのは無理かもしれない。                       

次はインタビューの撮影に入る。カメラを固定して質問に答える形で撮影が進む。視線は
カメラを見ずにカメラマンを見るようにする。何とか無事に終わらせ、次は着替えて居間
で絵を描いている場面を撮影する。カメラの前で筆を使うのは初めてで緊張する。撮影の
都合で「文字を描いてくれ」と言われて緊張はピークになる。失敗出来ない極度の緊張に
右手が痺れた。こちらも角度や照明を替えて何度も撮影が繰り返される。3時で室内の撮
影は終了したが、クルーは市内の遠景を撮ると言って飛び出す。明るいうちにどこかの高
層マンションの屋上から撮影するのだそうだ。私は必死に絵を描き続けていた。    

28日(水)朝9時に吉田の道の駅で待ち合わせ。今回もそこから助手席にカメラが乗っ
て撮影が始まる。田本さん宅に着き、車を出るシーンから家に入る場面が撮影される。次
は炬燵で絵を出して広げる場面、談笑する場面、ミニインタビューが撮影される。一段落
したところで、私は「鉄砲撃ち」の取材に向かい、別行動となる。クルーは集落の遠景を
撮影するということだ。しかし、今日は自宅で再度撮影があるので、急いで取材を終わら
せて自宅に戻る。4時半、自宅にクルー到着。二階で作品の撮影に入る。夜8時、やっと
撮影終了。これで全ての撮影が終わった。                     

撮影が終わり、編集に入っているという連絡がある。何度か担当者から確認の電話が入る
。車のナンバーがチラリと映るが構わないか、絵に描いてある名前や場所が映るがモデル
さんに確認が必要か、インタビューで話した事の意味、年齢など細かい確認が行われた。
絵を紹介するということで6点の作品を写していたのだが、どの作品が出るか分からない
のでそれを聞くと、最初は「つきこんにゃく」「しゃくし菜」「つるし柿」「かき花」「
石垣積み」だったのが、次に聞いた時は「スカリ」「つきこんにゃく」「つるし柿」にな
り、次に聞いた時は「スカリ」「つきこんにゃく」になり、最後は「つるし柿」になった
。最後の最後まで検討を加え、変更し続けているようだった。私としては沢山の作品を写
して欲しかったのだが、まあ、願いを聞いてくれるほど甘くない。          

テレビの撮影取材がこれほど大変なものだとは正直なところ思っていなかった。自分で体
験して初めて分かることが多く、これからテレビの見方が変わりそうだ。丸三日間かけて
カメラを回している時間も8時間くらいあったのではないかと思う。それがテレビに流れ
るのは、あっという間の4分間。いやはや凄い仕事があるものだ。民放だとそれほど人も
時間もかけないのかも知れないが、NHKは徹底している。こちらからのお願いは一切聞い
てもらえず、全てNHKの側で決める。こちらは単なる材料なので致し方ない。だから放送
がどんな内容になるか、まったく分からない。                   

2月5日(木)朝7時半からテレビの前でスタンバイ。録画のスイッチも入れた。54分
に始まった時が一番緊張した瞬間だった。始まったらあっという間の4分間で、途中から
普通にニュースを見るように見てしまった。「ふ〜〜ん、うまくまとめるもんだなあ」と
いうのが感想で、内容はどんなだったかあまり覚えていない。取材が大げさだったので、
事前の緊張感の方が強く、実際に流れてみるとあっけないものだった。        

ともあれ「山里の記憶」がテレビ放送された記念すべき一瞬だった訳で、これを再生して
見られる楽しみはしっかりと残った。4月の展覧会の事を言ってもらったのが嬉しかった
し、有り難かった。あれは、何かニュースが入ると削られる部分だったそうで、ラッキー
だった。