面影画12


6月11日の面影画は佐藤美名さん




描いた人  佐藤建治さん 75歳 父                      
      佐藤晴子さん 73歳 母                      

 建治さんは気仙大工だった。腕が優秀で、ずっと神奈川の知り合いの会社で大工として
、出稼ぎのような形で働いていた。美名さんがものごころついたころには、もう家を空け
ていることが多かった。                             
 美名さんが18歳の時に会社を辞めて家に戻ったが、その時は美名さんが会社勤めで家
を空けるようになった。父と娘はすれ違うような生活で、美名さんは父と本音で話した事
が少ないなあと言う。母子家庭で育ったようなものだと美名さんは笑う。       

 気仙大工だった建治さん。職人気質そのままの頑固なお父さんだった。子供の頃は怖か
った。ご飯を食べる時間も決まっていて、その時間でなければ箸も持たないような人だっ
た。でも、そんな父がお土産にとヘアゴムを買ってきてくれたことがあった。美名さんは
「お母さん、お父さんがおみやげ買ってきてくれた!」と大喜びで、母に報告したものだ
った。

 タバコをよく吸っていた建治さん。50代から二回脳梗塞で倒れた。体の自由が利かな
くなり、めっきり口数も少なくなってしまった。
 病気で食べ物を飲み込む事が出来なくなった建治さん。しかし、チューブを刺す事は断
固拒否。「俺は食うんだ!」と言って、結局普通にご飯を食べられるようになった。美名
さんが見た「職人の意思」の力だった。                      

 建治さんの楽しみはテレビを見ることだった。相撲中継や水戸黄門、家族に乾杯などが
好きな番組で、孫がチャンネルを変えようとすると怒られたものだった。       
 美名さんはテレビを見ながら笑っている穏やかな父を、「ああ、お父さんも笑うんだ・
・」としみじみと見ていた。美名さんの記憶に残るやさしい父の姿だ。        

 晴子さんは建治さんとは逆に、美名さんとずっと一緒だった。とにかく、自分はそっち
のけで人の為に動く人だった。また、子供や孫を何よりも大切に考える人だった。   

 美名さんは晴子さんがいつか言った「あなたを産んで良かった・・」という言葉が忘れ
られない。4人兄弟だった美和さん。長女と次女が幼くして他界し、晴子さんには子供を
産んで育てる苦痛のようなものがあったのではないか、と美名さんは言う。      
 幸い、美名さんは健康に育ち、結婚し、かわいい孫が二人も出来た。晴子さんは何より
それが嬉しかった。そんな気持ちが込められた言葉だったのではないか。       

 美名さんは、いつだったか母の「老後ノート」を見た事がある。そこには、お花をやっ
たり習字を習ったりという晴子さんの計画が書かれていた。それが、大好きな孫の子守り
で台無しになってしまった。これに関しては、晴子さんも本望だったと思う。     

 美名さんは、今年、大曲の花火を両親に見せようと、二年前から準備してきた。娘らし
い親孝行をやっと出来ると思った矢先の地震と津波だった。             

 3月11日、美和さんは仕事だった。職場は高台にあって無事だった。       
 家は津波に流され、ひしゃげた形になって見つかった。その中に建治さんと晴子さんが
いた。建治さんは炬燵に入って、まるで仏様のような顔だった。           
 晴子さんは、保育園の孫を迎えに行かなければ、という思いがそうさせたのだろう、無
念の顔をしていた。孫は保育園の先生が誘導してくれて無事だった。         

 足が不自由だった建治さん、逃げることは出来なかった。その建治さんを置いて逃げる
晴子さんではなかった。「仕方なかったんだよね・・・」美名さんは小さく言った。  

 3月20日に二人は発見された。その三日前、美名さんは不思議な夢を見た。    
 建治さんと晴子さんがニコニコ笑いながら「ごめんよ、一関に行ってたんだ・・」と言
う。「なんであたしがこんなに探しているのに、ふたりで笑ってるの!」夢の中で思わず
叫んだ。                                    

 その三日後、建治さんと晴子さんが発見された。                 

 病気で動けない父。そんな父を、ああだこうだ言いながら見守り、一緒にテレビを見な
がら笑っていた母。ふたりは最後まで一緒だった。                 

 美名さんにおくる、頑固な父とやさしい母、じぃじとばぁばの記録。        
 建治さんと晴子さんのご冥福をお祈り致します。                 



 6月11日の面影画は、佐藤美名さん。                     

 津波で亡くなられたご両親を描かせて頂いた。                  

 気仙大工で職人気質のお父さん。いつも誰かのために動いているお母さん。淡々と話す
美名さんだったが、両親への思いは尽きない。                   

 絵は上手く描けたのだが「美名」さんの名前を「美和」と描いてしまい。指摘されてあ
わてて描き直した。名前を描き間違えるとは情けない限りだが、美名さんは笑って許して
くれた。                                    

 取材の段階で確認しなければならないことを、思いこみでやってしまうからこういう事
になる。次回から気を引き締めなければならない。                 

淡々とご両親の話をしてくれた美名さん。 テント横のヤマボウシの白い花がきれいだ。