面影画
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6月28日の面影画は熊谷尚子さん
描いた人 武蔵かおるさん 40代 同僚
及川昇子さん 30代 同僚
かおるさんは職場のリーダーだった。とても元気でバイタリティに溢れた人だった。リーダ
ーという立場上きつい事も言うけれど、職員のことを人一倍心配する人だった。声が大きくて
「あ〜〜のさあ・・」って言いながら部屋に入ってくるような人だった。若い職員にとって怖
い存在でもあったが、頼りになる先輩でもあった。
若いころにご主人を亡くし、女手ひとつで子供二人を育て上げた。本人は「うちは資産家だ
からさあ、実家にはお金があるんだよね〜〜」などと言っていたが、確かに良家のお嬢さんだ
ったようだ。「武蔵さん」「かおたん」などと職員に呼ばれ、慕われていた。
明るいリーダーだった。仕事柄、お年寄りを楽しませる為に着ぐるみなどを着てイベントを
行う事もあるのだが、そんな時は一番先にドラえもんの着ぐるみを着て、率先して楽しませる
人だった。元気でお茶目、リーダーの資質を備えた人だった。
3月11日、かおるさんは勤務変更をして、葬儀会場にいた。たまたまこの日がお母さんの
葬儀だった。親族がみな揃っていた。もちろんかおるさんの子供たちもいた。
大きな地震で混乱し、その後の巨大な津波が全てを呑み込んでしまった。誰もあんな大きな
津波が来るとは思っていなかった。
たまたま、職場宛に、かおるさんにお香典を届けに来た人が助かった。こんな偶然もある。
なんでこの日に葬儀だったのか・・・職場のみんなの思いがそこにある。
かおるさんはまだ見つかっていない。職場のみんなの夢によく出てくる。夢の中のかおるさ
んは「ごめん、悪かった。いろいろあって来れなかったんだあ〜」と明るい。普通に勤務して
いる姿を夢見る人も多い。みんなかおるさんが笑っている夢を見ている。
「何かを伝えたいんだと思うんですけどね・・・」佐藤美名さんがぽつりと言った。
昇子さんも二人の子供の母親だ。昇子さんの子供は小学4年生と1年生の二人だ。明るく元
気なお母さんだった。
カラカラっと明るく笑う人で、天然の明るさを持っていた。話を聞いた佐藤美名さんの子供
たちと同年代で、子供同士が親友の間柄だという。
がんばりやさんで、かおるさんに叱られても、我慢して仕事に打ち込んでいた。以前に、冗
談で美名さんに「私の左腕、ほら、ほくろがいっぱいあるでしょ。何かあったらこれで探して
もらえるから・・」なんて言ってたこともあった。
3月11日、昇子さんは夜勤明けで、家で寝ていた。ご主人も一緒だった。子供たちは学校
だった。地震が来て、先生の誘導で子供たちは津波から逃げる事ができた。
昇子さんの行方はまだ分からない。
まだ小学生の子供たちは、お父さんとお母さんが亡くなったという実感がない。誰も話す事
が出来ない。おばあちゃんと三人で仮設住宅に入っているが、おばあちゃんのつらさは想像に
余りある。これほど理不尽なことはない。
職場の同僚から依頼された面影画。
在りし日のふたりの笑顔を描いて、いつまでも忘れないようにしたい。二人の写真はご遺族
にほんとどを渡してしまい。残ったわずかな写真から二人の笑顔を描いた。
同僚としては波の合わない二人だったかも知れないが、絵では並んで笑っている。
かおるさんと昇子さん、お二人のご冥福をお祈り致します。
6月28日の面影画は熊谷尚子さん。
同僚二人の面影画を描いて欲しいというものだった。打ち合わせは、同じく同僚の佐藤美名
さんが来てくれた。
それぞれ二人の子供を持つお母さんで、職場の同僚だった。津波が前途ある二人の命を奪い
、職場に暗い影を落とす。二人が写っている写真は、それぞれご遺族の手にお渡しした。せめ
て、二人の絵を職場の壁にかけ冥福を祈りたい。そんな思いからの申し込みだった。
出来上がった絵の受け取りは、佐藤美名さんが来られた。
暑い時は外で絵を描く。こんな感じで一式を持って移動する。
職場の同僚の絵。受け取りに来てくれたのは美名さん。