面影画31


7月5日の面影画は山本敏子さん




描いた人 小松 栄さん 68歳 叔父                        
     小松貞子さん 64歳 叔母                        

 栄さんは中学を出てすぐにマグロの遠洋漁業の乗組員になった。その後、ずっと船で仕事を
する船乗りだった。気仙沼から出る遠洋漁業で、帰って来るのは年に2〜3回という漁師でも
あった。家は高田と気仙沼の中間にある大沢地区にあった。               

 そんな栄さんが結婚したのは20代前半のことだった。結婚相手は貞子さん。まだ20歳と
いう若さだった。実家のある大沢地区に家を建て、新婚の生活が始まった。        
 一度出漁すると半年ちかく帰れない夫を待つ。新婚の貞子さんにとって、厳しい生活が始ま
った。「まだ若いから」という周囲の反対を押し切っての結婚だった。          

 敏子さんは貞子さんと15歳くらいしか歳が離れていない。家も近かったので、よく遊びに
行った。長男がまだ小さい頃、海水浴に行ったり、気仙沼の夏祭りや花火を見に行ったりした
ものだった。                                    
 そんな時、貞子さんから漁師の妻の愚痴というか、いろいろな問題を聞かされる事が多かっ
た。漁師の妻が抱えていた問題は、漁師の父を持つ敏子さんにもよく分かることだった。  

 栄さん、貞子さん、二人とも表裏がなく、明るかった。竹を割ったような性格だった。敏子
さんの一家とは交流が深く、よく飲んだものだった。                  
 マグロ船では船が入るとき、市場以外に「分け魚」といって、家族や知り合いに配る為の魚
が準備された。時にはマグロ一本というような事もあり、漁師はそれを届けて、そのまま飲む
ということが多かった。みんながそれを待ってもいた。                 
 年に2〜3回の休みはひと月ほどに及んだ。家族、親戚みんなが待ち望む休みでもあった。

 栄さんは50代になって胃ガンを発症し、船を降りた。鉄工所の仕事をしたりしていたが、
やはり気仙沼の港は懐かしかった。敏子さんの父親もそうだったが、「気仙沼の町は空気が違
う・・」「この匂いに血が騒ぐ・・」などとよく言っていた。根っからの漁師だった。   

 一方、貞子さんは50代になって糖尿病になってしまい、足腰が弱くなってしまった。栄さ
んが漁師だったころは、ダスキンの仕事や、内職などをしていたが、病気になってそれも出来
なくなってしまった。                                
 二人は一緒に暮らすようになり、栄さんは「かあちゃん、かあちゃん」と愛妻家ぶりを発揮
していた。最近は息子の栄一さんが家に帰って来て、三人で仲良く暮らしていた。     


 3月11日、敏子さんは夜勤明けで家にいた。家は高台だったので無事だった。その後の停
電や混乱で、連絡が取れず「大丈夫だったんだろうか・・」と心配していた。       
 一ヶ月以上たって、やっと電気が復旧し、電話が通じるようになったところに、栄さんの娘
から電話がきた。内容は、津波で三人が行方不明だというものだった。          

 後で、近所の人に聞いた話では、栄さんは地震の後、玄関と家を行ったり来たりしていたと
いう。地震で散乱したものを片付けていたのかもしれない。家は海が見える平らなところだっ
た。近所の人が「逃げるっしょ?」とかけた声に「うん、うん」と応えたという。     
 貞子さんの足腰が不自由だったことを考えると、栄さんと息子さんで、どうやって母さんを
運ぶか考えていたのではないだろうか。みな、自分が逃げるのに精一杯だった。      

 あんな大きな津波が来るなんて、誰も想像すらしていなかった。            

 津波の後、敏子さんは父と現場を見に行った。家はコンクリートの基礎を残して、まったく
何もない状態だった。ずいぶん離れた山際で写真や冷蔵庫が発見されたが、三人は見つかって
いない。                                      

 津波後、大沢地区の行方不明者は24人だった。一ヶ月前には6人になっている。そして、
今では栄さん、貞子さん、息子の栄一さんの3名だけになってしまった。         

 内々で葬儀を行い、百か日法要も済ませた。「トコちゃん、トコちゃん」と呼んで可愛がっ
てくれた叔父さんと叔母さんの姿を目に焼き付けたくて面影画に申し込んだ。       
 この絵が、少しでも敏子さんの心に届けば嬉しい。                  


 敏子さんにおくる、やさしかった叔父さんと叔母さんの記録。             
 栄さんと貞子さんのご冥福をお祈り致します。                    




 7月5日の面影画は山本敏子さん。                         

 津波で亡くなられた叔父さんと叔母さんを描かせていただいた。            

 お父さんと同じ船乗りだった叔父さん。いつも一緒に遊びに行った叔母さん。一緒に住んで
いた息子さんと三人の行方はまだ分からない。                     

 内々の葬儀を済ませ、百か日法要も済ませ、二人の思い出を手元に置きたいと、面影画に申
し込まれた。船乗りらしい立派な体格の叔父さん。ふっくらと明るい叔母さん。二人が並んで
笑っているところを描かせていただいた。                       

 今日は時間がすこし少なくて、いつもより一時間ほど短い制作時間だった。暑くて、雨が降
ったりと忙しい制作だったが、予定の時間に終わったので良かった。           

 この絵が敏子さんの傍らに置かれて、少しでもお二人の思い出になれば嬉しい。     

ハエが増えた。手作りのハエ叩きが大活躍している。 やさしかったおじさんとおばさんの話を聞かせてくれた敏子さん。