面影画
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7月9日の面影画は阿部新治さん
描いた人 阿部チヨ子さん (77歳)母
チヨ子さんは20歳の時に萬太郎さんのところに嫁に来た。家は大家族で、若い嫁は大変な
苦労をしたものだった。両親を含め5人の年寄りの面倒を見るのは本当に大変だった。今なら
ば、デイサービスとか、訪問看護とかがあるが、当時は嫁の手だけが看護の手段だった。
大変な苦労をしながら5人の子供を育て上げた。芯の強い人で、日頃は温厚だが、何かある
と男でも真似出来ない強さを発揮する人だった。
恐山に何度も行った。イタコのような口寄せが出来る人だった。高田の和野に同じような人
が二人いて、よく通ったという。家の人以外にはそんな素振りは見せなかったが、普通の人と
違う一面を持っていた。持って産まれた能力だったのだろうが、どちらかというと神仏の側に
いた人だったのかもしれない。
息子の新治さんがメモを持参してくれた。そこにはチヨ子さん語録とでもいう言葉が並んで
いた。そのひとつひとつがチヨ子さんの人生を表していた。
「女子(おなご)で語る訳じゃないけど!」と、飯台を叩いて、理不尽な事を言う男衆をたし
なめたという。新治さんは障子越しに聞いていて、わが母の強さを思ったという。
「見守ってけらっせ・・」仏様、神様、地蔵様・・とにかく神仏には手を合わせ、こうつぶや
いていた母の姿を見ていた。口寄せの事もあったのだろうか、とにかく信仰心の厚い母だった
。新治さんの車で高田に来たとき、万人供養塔の前で車を止めさせ、わざわざ拝んだ。あとで
この供養塔が津波被害の供養塔だと知ったとき、新治さんはあらためて今回の津波を思った。
「ごしぇやかせんな・・」怒らせるな、不快にするな、と他の人への思いやりや心配りをつね
に言っていた。「ウソは後で分かるからつくな」というのもチヨ子さんの信条だった。
「木の実は元さ落ちる・・」最終的には元の形に戻るものだという。おじいさんがタンカを切
って家を出ていった。でも、結局最後は家に戻って来た。川を埋めた場所は、災害が起きれば
また元の川に戻る。人生の諦観を教える言葉でもある。
今年の正月過ぎてから、チヨ子さんはいろいろな物を買いだめした、米、味噌、醤油、りん
ごや飴のたぐいも3〜4ヶ月分はあろうかという量だった。皆、それを不思議に思っていた。
新治さんは、「今から思うと、こうなることが何となく分かっていたんじゃないか・・」と
言う。
3月11日、チヨ子さんは世田米の家から高田の「はまなす」という治療院で鍼灸の治療を
受けていた。本当は8日の火曜日に行くはずだった。その日、萬太郎さんの血圧が高くなって
、その世話をしていたため行けなかった。
バスで高田まで行き、そこからいつも乗っているタクシーで「はまなす」に行った。午前中
で治療を終えて、タクシーで帰ったところまでは分かっている。
新治さんは「たぶん、その後マイヤで買い物をしていたんだと思うんですよ・・」その後の
足取りは分からない。
大きな地震の後、巨大な津波が高田の町を呑み込んだ。
チヨ子さんは五本松の近くまで流された車の中で発見された。胸に肩がけで掛けられたバッ
グに保険証が入っていて身分照会が出来た。顔はきれいで、眠っているようだった。
後部座席だった。誰かがチヨ子さんを車に乗せて避難する途中だったようだ。「誰だか分か
らないんですよ。おふくろを車に乗せてくれた人には本当に感謝してるんです・・」新治さん
の言葉が震える。
車に乗せてもらえなかったら、こうして発見されたかどうか・・顔も体もきれいなままだっ
たかどうか・・矢作中学の遺体安置所を見て回った記憶が蘇るという。
神仏の近くにいたチヨ子さん、最後の最後に神様が手を差し伸べてくれたのだろうか。本当
に神仏の側に行ってしまったが、あちらの世界からみんなを見守っているに違いない。
家の板の間をピカピカに磨くのが好きだったチヨ子さん。煮しめが上手だったチヨ子さん。
面影画のリクエストは、帽子をかぶって微笑んでいるチヨ子さん。
この絵が少しでも新治さんや萬太郎さんの心を癒してくれれば嬉しい。
新治さんにおくる、立派なお母さんの記録。
チヨ子さんのご冥福をお祈り致します。
7月9日の面影画は阿部新治さん。
津波で亡くなられたお母さんを描かせていただいた。
阿部家の精神的支柱だったお母さん。立派な方だった。
一緒に来られたご主人の萬太郎さんが、奥さんの話をする時に涙ぐむ場面がしばしばあった。
それでも、一生懸命話を聞かせてくれた。
こちらも正面から受け止め、きちんと記録しようと思った。
とにかく今日は暑かった。風もなかったので、テントの中は40度を超えていたのではない
かと思う。テントの中を通り抜けるだけで汗が噴き出すような状態。
中での作業はまったく無理。一日木陰で作業したが、こちらも風がなければ暑い事には変わ
りない。団扇片手に首タオルという、何とも情けない格好で絵を描いていた。
熱中症にはなりたくないので、ずっと木陰で過ごした。暑かったけれど、良い絵が描けたの
で満足だ。阿部さんも喜んでくれ「大切にします・・」と言ってくれた。
作者冥利に尽きる言葉を頂いた。
陸前高田市、神田葡萄園のマスカットサイダー。震災から復活。
お母さんの話をたっぷり聞かせてくれた新治さん。