面影画
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7月11日の面影画は佐々木千惠さん
描いた人 佐々木節子さん 57歳 義理の姉
節子さんは、千惠さんのご主人の兄の奥さん。義理の姉という間柄になる。ご主人は愼一さ
んと言い、本当に仲のよいご夫婦だった。
今回の津波で、高田高校前の「佐宝商店」をやっていた節子さんが亡くなられた。愼一さん
は落胆が大きく、その事を千惠さんは心配している。
節子さんの面影画を描く事で愼一さんの心が少しでも前向きになればと思い、面影画に申し
込んだ。従って、この面影画は愼一さんへのプレゼントということになる。
愼一さんと節子さんは友人の結婚式で知り合った。花巻の人だった節子さん、東北電力の関
連会社に勤めていた愼一さんと交際を深め結婚した。愼一さんの会社は転勤が多く、仙台、白
石、東京など各地に転勤しての仕事だった。節子さんもまた一緒に各地で暮らした。
子供は二人の男の子に恵まれた。長男も次男もまだ独身で、早く孫の顔を見たかった節子さ
んの願いはかなわなかった。
12〜3年前、高田に越してきて、実家の「佐宝商店」を手伝うようになった節子さん。佐
々木家長男の嫁として冠婚葬祭で中心的な役割を果たしていた。同居していた父母も全幅の信
頼を置き、お店も早い時期から任せていた。
夫の実家は三家族が住む大所帯で、兄弟も近くに住み、何かというと飲むことが多かった。
愼一さんも弟達もお酒が強く、それほど飲めない女衆は、そんな男達を眺めているような事が
多かった。
そんな節子さんを千惠さんは頼り切っていた。長女としてみんなのことを見守っていてくれ
た節子さんだった。
「冠婚葬祭のことなんか、もっと聞いておけば良かったって思うんですよ。親戚の事は、お姉
さんに聞けばいいや・・って頼り切っていたんですよね。まさか、こんな事になるなんて思っ
てもいなかったので・・・」本当に細やかな心配りが出来る人だった。自分の子供たちのよう
に、千惠さんの息子や娘のことを心配してくれた。
節子さんはコーヒーが好きだった。今では普通に見られるようになったコーヒーのマイボト
ルを、早くから持って出かける人だった。いろいろなコーヒーを楽しんでいたようだ。
節子さんは花が大好きだった。実家やお店の内外にいつも花を咲かせていた。冬などは家の
中が花の鉢でいっぱいになってしまう程だった。面影画のリクエストは花に囲まれて微笑む節
子さん。春の花に囲まれた笑顔を描きたいと思う。
3月11日、節子さんはいつものようにお店にいた。高田高校近くの「佐宝商店」はタバコ
や雑貨を扱う店だった。高校生を相手に雑菓も商っていた。
大きな地震でお店がメチャクチャになった。近所の人が様子を伺うように店の内外を見てい
る節子さんを目撃している。お店は高田高校の近くだし、高台の第二グランドだってすぐ近く
だった。走れば5分で行ける距離だった。
地震の後、すぐに息子達が安否確認のメールを打った。それには「大丈夫だよ」という節子
さんの返事が入っていた。
数分後、巨大な津波が高田の町を呑み込んだ。誰もあんな大きな津波が来る事など思っても
いなかった。津波は全てを流した。
愼一さんは節子さんの返事メールを見ながら「なんで、何が大丈夫なんだよ・・全然大丈夫
じゃないじゃないか・・・」と文字に向かって言う。
千惠さんはいまだに、生と死の境界線が、なぜ、どうしてここに引かれるのか理解出来ない
という。ほんのちょっとの差で、助かる人と亡くなる人。なぜ、何が違ったのか。
被災地の多くの人が同じ思いを抱えている。たまたまだと、慰める為に周囲の人は言う。
でも、納得はできない。答えの出ないまま、弔いを済ませ、時間とともに自分の気持ちに折
り合いをつけようとする。
でも、何かあればその思いは噴出する。「なぜ、あの人が・・・」みんながそんな思いを抱
えている。
今年定年を迎えた愼一さん。お店をやっていたので一緒に出かけることのなかった節子さん
と、やっと出かけられるようになった。旅行の予約もした。これから、やっと奥さん孝行をし
ようと思った矢先の悲報だった。
愼一さんの落胆は大きい。長く連れ添った妻を失う事が、男にとってどれだけつらいことか
。この面影画がどれほどの力になるかも分からないが、千惠さんの思いが少しでも愼一さんに
届けば嬉しい。
千惠さんにおくる、頼り切ってたお姉さんの記録。
節子さんのご冥福をお乗り致します。
7月11日の面影画は佐々木千惠さん。
津波で亡くなられた義理のお姉さんを描かせていただいた。
奥様を亡くして落胆しているご主人へのプレゼントとしての面影画。
千惠さんの思いを込めて絵を描かせていただいた。
千惠さんの都合で絵の受け渡しはご主人にということで、ラフチェックの際に写真を撮らせ
ていただいた。
用事があって受け取りは別の人。ラフスケッチで写真を撮った。
花を背景にした絵が出来上がった。なかなかいい出来上がりだった。