面影画
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7月19日の面影画は馬場 優(まさる)さん
描いた人 馬場俊三さん 曾祖父
馬場みつさん 曾祖母
優さんは津波で家を流されてしまった。その家には先祖代々の肖像画が掛けられていた。祖
母や祖父の写真は誰かが持っている。しかし、曾祖父と曾祖母の写真は誰も持っていない。
優さんは自宅跡やあちこち写真を探しまわった。発見された写真を展示してある会場にも行
った。しかし、その写真は見つからなかった。
そんな優さんが面影画に申し込んだ。資料も写真も何もない状態で家にあった肖像画を描い
て欲しいというもの。
難しい注文だったが受ける事にした。まずは二人の話を詳しく聞く。
俊三さんは軍人だった。砲兵隊の伍長だった。戦争から帰って末崎村の初代消防団長をやっ
た人だった。厳格な人だった。軍人になる前は大工さんだった。職人の顔を持っていた。
ここからは優さんの記憶を掘り起こす作業になる。
顔は長四角、えら少し、口ひげが校長先生タイプ、メガネなし、奥二重の目、少し近目で眉
毛はしっかり。白髪で短髪、永六輔さんのような頭。背広姿で、たしか三つ揃えを着ていた。
当時としては珍しい。
みつさんは83歳で亡くなった。まだ優さんが小さい頃だった。丸顔で卵形、ショートカッ
トで桃割れのようなヘアスタイル。二重の目は大きめで眉毛は普通。
和服でやや右振りで描かれていた。
このような話を聞き、絵にする。自分のイメージと優さんのイメージがどれだけシンクロす
るか。面影画の基本を試されることになった。
優さんにはどうしても曾祖父と曾祖母を描きたい理由があった。優さんは先祖代々この地に
生まれ育った訳ではない。俊三さんとみつさんが、この地の馬場家の始まりだった。この地に
第一歩を記したのが俊三さんとみつさんだから、どうしても二人の肖像画を新しい家に掛けた
いのだという。
何もかも流されて、新しい一歩を踏み出すには、先祖の肖像は欠かせない。写真もない。記
憶を頼りに面影画に申し込んだのには、そんな理由があった。
ラフスケッチが終わり、優さんが来た。今回は、このラフからの修正がポイントとなる。優
さんの指示で次々と線を引き直す。目はもう少しきつく、あごは短い、ほほの線は直線で、唇
はもっと薄い・・などなど、次々に指示が出て、それを修正する。
こうして優さんの記憶に徐々に近づいて行く感覚が面白い。線を少し修正するだけで別人に
なっていく。徐々に変わって行く顔は、何だか優さんに似て来た。まさに面影がそのまま絵に
なっているようだ。
優さんのオッケーが出て、線描きに入る。ここからは自分だけの作業だ。白黒で描いて欲し
いというリクエストなので、慎重に薄い色から塗り始める。つい塗りすぎてしまう傾向がある
ので、ゆっくり筆を休めながら塗り重ねる。
何とか時間内で満足いく絵が出来た。
この絵が新しい家に飾られて、ご先祖様として手を合わされるようになるのかと思うと身が
縮む思いだが、面影画のひとつの形として意味ある一枚になった。
優さんの家にふさわしい絵かどうか分からないが、時間内で精一杯描いた一枚。
この絵が、優さんにご先祖を思い起こさせてくれれば嬉しい。
7月19日の面影画は馬場 優(まさる)さん。
家を流されて何もなくなってしまった。優さんの依頼は、家に飾ってあったご先祖の肖像画
を描いて欲しいというもの。写真はない。
ある意味、面影画の基本を試されるような注文だった。記憶を頼りに顔のイメージを作り、
具体的な絵にしてゆく。ラフスケッチの段階で細かい修正を加え、記憶の肖像と近いものに仕
上げる。やりがいのある依頼だ。
絵はモノクロ仕上げでという注文。これが大変だった。何とか時間内で仕上げ、絵を渡す事
ができた。打ち合わせのとき「山里の記憶」を見ていた優さん。お礼代わりにと1セット買っ
てくれた。有り難い事だ。こういう心配りは素直に嬉しい。
テントの裏に百合の花が咲いた。季節は確実に移っている。
ご先祖の肖像画を依頼してきた優(まさる)さん。