面影画42


7月21日の面影画は村上昭子(あきこ)さん




描いた人 河野哲哉さん 61歳 義弟                        
     河野時子さん 63歳 妹                         

 哲哉さんは高田市役所近くで「写楽」という和食料理店をやっていた。お刺身や天ぷらが美
味しいと評判のお店だった。時子さんも一緒にお店をやっていて、いつも忙しい二人だった。
 時子さんは、定食を注文した客に、サービスでもう一品追加するようなきさくな人だった。
 姑さんからは「哲哉の店はもうけがないから・・」などと言われる、利益より客の為にある
店だった。お刺身などは「美味しい」と、遠くから食べにくる人がたくさんいた。     
 
 哲哉さんは若い時に、東京の「天ぷら・写楽」という店で修行をして、高田に帰って来た。
その店の名前を頂いて「写楽」を始めた。店には写楽の絵がたくさん掲げられていた。   
 哲哉さんは気仙調理師会の理事を13年やった。自分の店も大変だけれど、地域のために出
来る事はやろうという気持ちからだった。今年やっと退任出来ることになっていた。    

 お店は時子さんが大好きな花で埋め尽くされていた。「お花がきれいだ」と客の誰もがほめ
る店でもあった。時子さんが生ける大型の花瓶は客の誰もが注目するものだった。     
 二階にある宴会場でも、時子さんが生ける花がテーブルを飾った。花が大好きだった時子さ
ん、母の日にはいつも花をプレゼントしていた。                    

 時子さんは三人姉妹の真ん中で、今度時間が出来たら京都に旅行に行こうと言っていた。い
つも忙しい時子さん、新婚旅行で行った京都にもう一度行くのを楽しみにしていた。    

 二人には子供がなかった。いつも働き通しで、忙しい二人だった。昭子さんの子供たちや孫
を本当に可愛がってくれた。子供たちもおじさんが作ってくれる料理を楽しみにしていた。 

 3月11日、昭子さんは民商の申告日でパレードに出ていた。そこに地震が来た。市民会館
にいたのだが、すぐに解散して、みんなで逃げるように帰った。             
 昭子さんは途中で「写楽」に寄って妹の様子を見た。時子さんは道路に散乱したビールケー
スとビールの空き瓶を片付けているところだった。                   
「中がすごいから見ていきない。これじゃ、明日の宴会は無理だわ・・」と片付けに専念して
いた時子さんだった。                                
 昼の営業が終わって、従業員も帰っていた。昭子さんは時子さんとそこで別れた。    

 誰もあんな大きな津波が襲ってくるとは考えてもいなかった。             

 後日、となりのおじさんが「うちのおばあちゃんを乗せて車に乗ったのを見た」と言ってい
た。車が曲がった方向は自分の家の方向だった。                    
 たぶん、その道が渋滞していて、そのまま津波に巻き込まれたのではないか・・と昭子さん
は言う。車は空の状態で見つかったが、二人はまだ見つかっていない。          

「片方だけ見つかるより、二人一緒なんだと思えるからこのままでも・・・」昭子さんの言葉
がしみる。河野家はお母さんも、お兄さんも津波に流された。              
 震災とはいえ、失ったものがあまりに大きすぎる。かける言葉が見つからない。     

 面影画のリクエストは哲哉さんに「写楽」という文字をからませ、時子さんはお花をバック
に描くというもの。私に出来ることは、精一杯の絵を描く事だけだ。           

 この絵が昭子さんに少しでも希望を与えられれば嬉しい。               
 哲哉さんと時子さんのご冥福をお祈り致します。                   




 7月21日の面影画は村上昭子(あきこ)さん。                   

 津波で亡くなられた妹さんご夫婦を描かせていただいた。               

 「写楽」という和食料理店をやられていた妹さんご夫婦。持参していただいた写真は、津波
の泥にまみれたものを丁寧に洗われたもの。                      
 この写真を見ているだけで、被災の現実が伝わってくる。               

 絵のリクエストはご主人に写楽という文字をかけて、妹さんは花をバックに微笑んでいる二
人というもの。頑張って描かせていただいた。                     

持参して頂いた写真は津波の泥をぬぐったもの。痛々しい。 絵を受け取りに来て、良く似ていると喜んでくれた昭子さん。