面影画43


7月22日の面影画は三嶋早苗さん




描いた人 三嶋勝洋さん 30歳 息子                        

 勝洋さんは子供の頃はとても元気で活発な子だった。小学低学年の頃だった。上級生と喧嘩
して、先生から怒られ、ずっと泣いていた。心配した校長先生が早苗さんに連絡をくれた。 
 早苗さんは迎えに行き「このまま帰るか?帰ると認めたことになるよ・・」と言ったら、勝
洋くんはもう一度学校に戻った。正しいものは正しいという信念を持った子だった。    
 高学年になっても、水たまりで率先して遊ぶなど、いたずら小僧だった。釣りも、山菜採り
も一緒に行って楽しんだものだった。                         

 そんな明るい勝洋さんから笑顔が消えたのは中学三年の事だった。クラスでいじめを受けた
ことから、笑顔が消え、誰とも話をしなくなってしまった。ちょうど受験の時期だった。学校
は穏便にという処置で、いじめの件はうやむやになってしまった。            
 いじめは、した方は比較的すぐ忘れる。しかし、された方は一生心に暗い影を抱く。高田高
校に入って、バスケット部に入り、新しい友達も出来た勝洋さん。しかし、中学の同級生達と
話す事はなかった。地域のお祭りなどにも参加しなくなっていた。            

 高校を卒業し、京都に行くという言葉が出たのを早苗さんは驚いた。今から思うと「同級生
達と違う所、違う所と選んでいたような気がするんです・・」と言う。本人は何も話さなかっ
たが、いじめの影はずっと勝洋さんの心から消えなかった。               
 京都では医療関係の学校に通った。「何か違う事を求めて行ったのではないかと思うんです
・・」と早苗さん。学校を終えて、三年前に高田に帰って来た。家の手伝いをしたりして過ご
していた。                                     

 3月11日、勝洋さんは家にいた。早苗さんもお父さんも家にいた。地震のあと、おばあち
ゃんを避難させようと早苗さんとお父さんは公民館に向かった。川の水が引き始めた。誰かが
「津波が来るぞ!」と叫んだ。二人は近くの成田山におばあちゃんを連れて、引っ張り上げる
ように登った。                                   
 家を出るとき二階にいた勝洋さんに声をかけた「おい!逃げろよ!」          
 時間的には充分逃げる時間はあった。成田山も近かったし、勝洋さんは若かった。    

 誰も、あんな大きな津波が襲ってくるなんて思ってもいなかった。1メートルかさ上げした
堤防をはるかに超えてくる大津波・・誰も予想は出来なかった。             

 公民館に避難した人も、成田山に登らなかった人は皆流されてしまった。流れて行く家の屋
根に人が乗っていた。赤いジャージを着ていた。「あれ、勝洋でないか」近所の人が叫んだ。
早苗さんは後からその話を聞いた。その時は自分が逃げるだけで精一杯だった。      

 家と家がぶつかりあいながら、ギシギシと音を立てて流されて行く。早苗さんの目の前には
信じられない光景が広がっていた。                          
 翌日、家の屋根にいたという情報を聞いて、早苗さんとお父さんは山を越えて勝洋さんを探
しに行ったが、惨状を目の当たりにして「これは・・ダメだ・・・」と思うしかなかった。 
 成田山に避難した人たちは山を越え、みんなで矢作町まで逃げた。そこに七区公民館という
施設があり、そこを避難所とした。近所の人たちが、炊き出しや寝具の準備などをしてくれた
ので、他と違い寒い思いなどはしなかった。早苗さんは今でも矢作町七区の皆さんに感謝して
いる。ここで20日間お世話になった。                        

 それから毎日、遺体安置所を回った。最終的にはDNA鑑定で勝洋さんは発見された。何度
か見た遺体だったが、損傷が激しく、着衣もなかったので外見では分からなかった。    
 「あまり笑わない子だったから・・」笑顔で描きましょうかと聞いたら、早苗さんはそう答
えた。「笑っていると勝洋じゃないみたいなので・・」持参してくれたのは中学校の卒業アル
バムと小学校時代に撮ったスナップ写真が何枚か。今30歳の人を、この昔の写真から描き出
す。                                        

 ラフスケッチで修正を加えながら「だんだん息子の顔が分からなくなっていくんです・・」
という早苗さんの言葉を重く聞いた。時間が心の痛みやつらさを徐々に消して行くのと同時に
面影も薄れて行く。忘れたくないと言っても、忘れてしまうのが自然の摂理だ。      

 修正を一つ一つ加えながら「ああ、だんだん勝洋になってきた!」という早苗さんの声が嬉
しかった。あとはこの絵に色をつけて、定着するのが私の作業になる。          

 この面影画が、残された人に勝洋さんを思い出させてくれれば、それに勝る喜びはない。 

 早苗さんにおくる、最愛の息子、勝洋さんの記録。                  
 勝洋さんのご冥福をお祈りいたします。                       




 7月22日の面影画は三嶋早苗さん。                        

 津波で亡くなられた息子さんを描かせていただいた。息子さんはまだ30歳。これからとい
う人を亡くした悲しみとつらさは思うに余りある。                   
 ご主人と来てくれた早苗さん。持参していただいた写真は中学校の卒業アルバムと、小学校
時代のスナップが何枚か。これで、30歳の顔を作り上げる。              

 ラフスケッチから修正を加え「わあ、勝洋になってきた!」という早苗さんの声が嬉しかっ
た。面影は時間とともに具体性がなくなって、イメージになってしまう。何とかその前に、具
体的に定着させてあげたい。                             
 そんな思いの面影画。今回は、その主旨そのものの作業だったように思う。       

 絵を受け取りながら早苗さんの涙が止まらない。こちらももらい泣きしてしまう。言葉がな
くても言いたい事はよく分かる。                           
 面影画を描いて、この人の絵を描いて、本当に良かったと思う。            
 息子を亡くした父母の思いは誰にも知られず、深く深く沈んで行く。この絵が少しでもここ
ろの痛みを薄くしてくれれば嬉しい。                         

絵を受け取りに来た早苗さん。涙が止まらない。 夕参りの途中にヒマワリが咲いていた。