面影画
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7月28日の面影画は菅野昭男さん
描いた人 清水美香さん 四十歳 友人
美香さんは高田のローソン一号店の店長だった。お兄さんがオーナーで、実質二人でコンビ
ニを経営していた。昭男さんはその店の常連客だった。長く通っているあいだに、いろんな話
をする間柄になっていった。
オーナーのお兄さんと昭男さんは消防団で一緒だった。気仙川での防水訓練の時にそれが分
かって、以後親しく付き合った。
昭男さんは毎日ローソンに通っていた。時には、ツケで買い物をしたりするほど親しくなっ
た。お兄さんには、おばあさんの葬儀の時にお世話になった。その感謝の気持ちも忘れていな
い。オーナーのお母さんとも親しく普段から話をしていた。
美香さんは高校時代ソフトボールをやっていた。明るい人で、いつもニコニコしていた。裏
表のない人で、店長としてクルーからも信頼されていた。昭男さんがお店に行くと、美香さん
が見ていたかのように表に出てくることも多かった。
クリスマスにはいつもサンタの衣装で出て来て、「どう、似合うでしょ」なんてはしゃいで
いた。そんな美香さんと交わす会話が本当に楽しかった。
昭男さんは五年間このローソンに通った。その都度に美香さんと交わす会話が一番の思い出
だと言う。一度だけ近くのスナックで一緒に飲んだ事があった。それもいい思い出だ。
昭男さんは美香さんを好きだった。大人の恋は様々な事情が交差して、若い時のようにはい
かない。昭男さんはこのままずっとこんな関係でもいいと思っていた。美香さんとの他愛ない
会話を楽しむだけでも嬉しかった。
そんな小さな願いを津波が奪ってしまった。
三月十一日、地震が起きたのは、美香さんが出勤している時間だった。ローソンは気仙川の
すぐ近くだった。オーナーは家に帰っていたが、すぐにお店に戻り、クルーを帰した。店に鍵
をかけているオーナーの姿を見た人がいたが、美香さんを見た人はいない。大きな地震の後だ
った。避難準備をしていたのだろう。
そこに巨大な津波が襲った。気仙川は津波の本流となった。逆巻く黒い流れは、一気に周辺
のすべてを呑み込んでしまった。
震災後、昭男さんは消防団として目が回るような忙しさだった。美香さんの事は気になった
が、消防団としてやらなければならないことが多すぎて、個人的な捜索は難しかった。
それでも、美香さんらしい人を見たとかいう情報があると、すぐにそれを確認に行った。美
香さんの車を見たという話を聞いたので探したら、ナンバーが違っていたなどということもあ
った。和野会館にいた美香さんのお母さんと連絡を取りながら、出来る限りの捜索をした。
あちこちに出来上がった避難所を回り、名簿を確認した。美香さんの名前はどこにもなかっ
た。そして、災害対策本部の行方不明者名簿に美香さんの名前を見つけた。
それからは毎日、遺体安置所を回った。
三月末にオーナーが発見された。そして、美香さんは七月一日にDNA鑑定で発見された。
遺体は四月十二日に発見されたものだった。発見場所は昭男さんの家のすぐ近くだった。「こ
んな近くにいたのに分からなかったんだよ・・」「何度も遺体のファイルを見たはずなんだけ
ど、分からなかった・・」昭男さんが悔やむ。
昭男さんが楽しみにしていた美香さんとの会話。五年間のその会話のひとつひとつが昭男さ
んにとって宝物だ。思いを伝えることは出来なかった。それも悔やまれるが、今となっては仕
方ないことだ。
一人の男として美香さんを弔い、面影を胸に抱いてこの先を生きたい。そんな思いから、こ
の面影画に申し込んでくれた。
同じ五十代の男として、その思いを汲み取り、美香さんの面影を定着するのが私の作業にな
る。この絵が昭男さんに懐かしい人を思い起こさせるものになれば嬉しい。
昭男さんにおくる、五年通った美香さんの記録
美香さんのご冥福をお祈り致します。
7月28日の面影画は菅野昭男さん。
津波で亡くなられた友人を描かせていただいた。
友人はコンビニの店長で、長い間親しくさせてもらっていた。
高校の卒業アルバムから焼き増した写真を持参していただいた。18歳の写真から、40歳
の顔を作り上げる。ラフスケッチで修正を加え、納得いくまで直した。
絵は順調に仕上がった。今日も一日TBSのカメラクルーが張り付き取材だったので、神経を
使い疲れた。今日はデリケートな内容で、表現する言葉を選ぶのが大変だった。
こんな絵にして欲しいと、いろいろ考えてくれた昭男さん。
テントの横のキキョウがきれいに咲いていた。