面影画55


8月11日の面影画は小山よし子さん




描いた人 及川芳郎さん 77歳 父                         
     及川弘子さん 73歳 母                         
     ベイブ 8歳 オス                            

 芳郎さんと弘子さんは、芳郎さん25歳、弘子さん22歳の時に結婚した。子供は3人に恵
まれ、仲のよい夫婦だった。家は南三陸町にあり、漁業と農業を仕事としていた。浜では、主
にワカメの養殖をしていた。南三陸町では、ワカメの他にホヤ、牡蛎、ホタテの養殖がさかん
に行われていた。                                  
 農業は畑や田んぼがあり、家で食べるものを作っていた。弘子さんは芳郎さんを助け、全て
の仕事を手伝っていた。                               
 結婚当初から大家族で、多いときで10人もの家族が一つ屋根の下で暮らしていた。弘子さ
んとおばあさんが賄い担当で、大人数の家族を食べさせるのは大変なことだった。     

 二人はいつも一緒だった。結婚式や親戚が集まった時などに二人が歌う「夫婦善哉」はいつ
も拍手喝采だった。芳郎さんは「何でも自然のままが一番だ・・」というのが口癖で、弘子さ
んは「感謝の気持ちを持たないとだめだよ・・」といつも子供たちに言い聞かせていた。  
 忙しい仕事に追われながらも、3人の子供を育て上げた。               

 芳郎さんは7年前に脳梗塞を患い、右半身に麻痺が残った。一時入院していたが家に戻り、
弘子さんの手助けを借りて生活していた。芳郎さんは頑固なところがあり、デイサービスで一
度気に入らない事があり、それ以後デイサービスには行かなくなってしまった。      

 弘子さんは、父親が戦争で腰に銃弾を残したまま帰ってきたのをずっと介護していた。そし
て、芳郎さんもまた弘子さんの介護で生活するようになってしまった。弘子さんにとって、介
護、介護の人生になってしまったが、友だちが多く明るい性格の弘子さんは、愚痴をこぼしな
がらも、何でも言い合える家族を作ってきた。                     
 子供たちはそんな母親を尊敬していた。弘子さんはよし子さんに「あんたがいるから助かる
・・」とよく言ってくれた。よし子さんは言う「わたしも母に愚痴を言ってばかりだったんで
すけど・・」何でも話せる家族というのは素晴らしい。                 

 3月11日、よし子さんは仕事だった。気仙沼の病院で働いていたよし子さん。病院から津
波が足元まで押し寄せて来るのを目の当たりにした。                  
 病院は避難所ともなり、家に帰るどころではなくなった。スタッフの安否を確認する。スタ
ッフの家族の安否を確認する。よし子さんの家族の事は何もわからなかった。帰るべき道が何
もなくなって、瓦礫の海になっていた。                        

 3月14日、実家の近くまで行って来たスタッフがいた。道の状態を聞き、自分にも行ける
かも知れないと思い、捜索に出かけた。山を越え、瓦礫の間を縫い、実家に近づく。そのとき
、偶然知り合いに出会った。その人の案内で実家まで行く事が出来た。          
 しかし、よし子さんは実家が近づくに連れて絶望感におそわれる。実家よりもずっと高い場
所にある集落が壊滅しているのだ。「もうだめだ・・」と思った。            

 実家の跡地には何もなかった。土台がかすかに残っているだけだった。何もかも引き波がさ
らって行ってしまった。                               

 後で知り合いから聞いた話では、弘子さんは津波のとき出かけていた先から戻り、そのまま
近所の人と一旦逃げた。第一波が家のすぐ近くに来たのを見て、すぐに「じいちゃんを連れて
くるから!」と家に戻った。そこに巨大な第二波の津波が襲って来た。          
 ひとたまりもなかった。二人一緒に流されて、遺体はまだ発見されていない。      

 家の跡地から弘子さんの靴、芳郎さんの杖が見つかった。あとから弘子さんの腕輪も見つか
った。しかし、それだけだった。何もなくなってしまった。               

 本当に何でも話せる仲のよい家族だった。よし子さんの喪失感は大きい。「もっと、親孝行
しておけば良かった・・」と目に涙を浮かべる。気持ちはよくわかる。          
 この絵が少しでもよし子さんの心の喪失感を埋めてくれれば嬉しい。          

 よし子さんにおくる、素晴らしいご両親の生きた記録。                
 芳郎さんと弘子さん、ベイブのご冥福をお祈り致します。               



 8月11日の面影画は小山よし子さん。                       

 津波で亡くなられたご両親と愛犬を描かせていただいた。               

 南三陸町の実家が津波に襲われ、何もかも流されてしまった。淡々と話していたよし子さん
だったが、最後に「これから親孝行しようと思ったのに・・」と涙が止まらなくなってしまっ
た。                                        

 自分が立派に生きる事が、親の名前を残してくれるし「あの人の子供がこんなに立派になっ
て・・」となれば、それは立派な親孝行だと思う。そんな話をよし子さんにした。よし子さん
は「そうですね、そう考えればいいんですよね・・」と言ってくれた。一歩一歩前に進むしか
ないし、前に進む事が両親の供養になるはずだ。                    

 この絵が少しでもよし子さんの心の空白を埋めてくれれば嬉しい。           

親孝行をしたかったと涙ぐんでいたよし子さん。 風の強い日はこうしてロープでテントを固定する。3本のロープを張った。