面影画
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8月23日の面影画は佐々木ルミ子さん
描いた人 柴田フサ子さん 六十四歳 姉
フサ子さんとルミ子さんは、二つ違いの二人姉妹だ。子供のころからフサ子さんは落ち着いて
いておとなしく、いつも褒められていた。妹のルミ子さんはにぎやかで、姉が褒められるのを嫉
妬してよく喧嘩をしたものだった。
歳も近かったので、いつも一緒に遊んでいた。ルミ子さんにとって姉は、尊敬するあこがれで
あり、目の上のたんこぶでもあった。そして、かけがえのない存在だった。
フサ子さんが結婚した相手は船乗りだった。遠く外国まで行く、遠洋漁業の船乗りであり、無
線士だった。年に一度か二度しか帰って来ない主人を待ち、家を守るのがフサ子さんの仕事だっ
た。
子供は長女と長男の二人に恵まれた。家は、高田の駅通りにあった。昔は旅館をやっていた家
だったが、今は廃業している。
フサ子さんは食通で、お取り寄せグルメが大好きだった。近所の人に配って喜ばれていた。食
べ歩きも好きで、娘とよく温泉旅行に行っていた。実家にずっといることから友達も多かった。
みな、昔からの長い付き合いだった。
三月十一日、フサ子さんは美容院をやっている親友のところに挨拶に行っている。今から考え
ると、お別れに行っていたとしか思えない。
大きな地震があった。ルミ子さんは姉にメールを入れた。その返事は「もの落ちただけだから
大丈夫だよ」というものだった。
津波警報が出た。防災無線で三メートルの津波が来る!と言っていた。近所の人が「逃げた方
がいいよ!」と言ったが、フサ子さんや近所の人は「このくらいなら大丈夫」「チリ地震の時だ
って大丈夫だったんだから・・」と誰も逃げようとしなかった。
警報と同時に逃げれば、充分逃げられる時間はあったのだが、みんな逃げようとしなかった。
そこに黒い巨大な津波が襲った。高田の町は一瞬にして津波に呑まれてしまった。
この日、仙台に住んでいるフサ子さんの娘は母の言いつけでケーキを買いに行った。その時に
津波が来て、アパートが流された。娘はケーキを買いに行っていて無事だった。フサ子さんが娘
を助けた、とルミ子さんは思っている。
フサ子さんは三月十九日、小友で発見された。確認されたのはDNA鑑定で三月末だった。
ルミ子さんは来る日も来る日も歩いて探した。何度も見た遺体だったが、最終的には娘のDNA
での確認になった。本当に地獄のようだった。
実家の避難所は市民会館だったが、市民会館そのものが津波に襲われ、避難していた人を含め
九人しか生き残っていないという惨状。誰もあんな大きな津波が来る事を想定していなかった。
「ルミちゃん、ルミちゃん」と呼んで可愛がってくれた姉はもういない。ルミ子さんが持参し
てくれた写真は二枚。五年前のクリスマスで写したというフサ子さんの写真。そして三十年前の
若いフサ子さんの写真。
「何もかも流されてしまって、これしか残ってないんです・・」
絵のリクエストは、明るい色のVネックセーターを着て笑っているフサ子さんをというもの。
にっこり笑ったフサ子さんを描かせていただいた。
理不尽な災害で肉親を突然失う悲しみは、徐々に薄れてゆくかもしれないが、喪失感は徐々に
大きくなる。この絵がルミ子さんの心に生まれる空白を少しでも埋めてくれれば嬉しい。
ルミ子さんにおくる、二つ違いの姉さんの生きた記録。
フサ子さんのご冥福をお祈り致します。
8月23日の面影画は佐々木ルミ子さん。
津波で亡くなられたお姉さんを描かせていただいた。
遠く釜石から来られたルミ子さん。懐かしいお姉さんとの話を淡々としてくれた。
絵のリクエストは明るい色のVネックセーターを着て笑っている姉を、というもの。
明るい色調の絵にさせていただいた。
この絵が少しでもルミ子さんの心の痛みを薄くしてくれれば嬉しい。
やさしかったお姉さんの思い出を、たっぷり話してくれたルミ子さん。
テントの横に白いコスモスが咲いた。季節は秋に向かっている。