面影画
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8月26日の面影画は中村美紀子さん
描いた人 中村正男さん 六十歳 夫
正男さんは数年前までスーパーの店長をやっていた。大勢の人をまとめ、お店を運営するのは
難しい仕事で、大変だった。店長時代の正男さんは、多いときは釜石のお店で百人の部下を指導
していた。高田や大船渡の店にもいたことがある。女性の多い職場なので、相談事なども多く、
神経を使う仕事だった。
その仕事を定年で退職し、最近は市の区長をやっていた。
定年後は趣味を真剣に追求する生活だった。陶芸教室に通い、陶器の花瓶や茶碗を作る事が楽
しみだった。正男さんの作品が家にはたくさんあったが、今回の津波で何もかも流されてしまっ
た。
太極拳もやった。こちらは夜の教室だった。体が堅かった正男さんにとっては苦痛を伴う趣味
でもあった。しかし、体を鍛え、健康に気を使っていた正男さんだった。
家は高田市内の駅近くだった。子供は女の子二人に恵まれ、孫も二人いる。孫の成長を何より
楽しみにしていた正男さん。長女の名前はNHKの朝ドラから付け、次女の名前は、生まれた時に
すぐ付けたという人でもあった。
良い父親であり、楽天家でやさしい人だった。友人も多く、みな「いい人だったね・・」と言
ってくれた。
三月十一日、区長だった正男さんはその日、たまたま二人組でパトロールする日だった。本当
は違う日だったのだが、相手の都合でこの日になった。この日は歩いて巡回するコースで、マイ
ヤの前で待ち合わせると言って、家を二時に出かけた。
美紀子さんは家にいた。そして、大きな地震が来た。家では物が散乱し、防災無線で何か放送
していたようだったが、美紀子さんにはわからなかった。
美紀子さんは向かいの病院に行き、そこの人たちと高台に逃げた。一旦逃げたところに下から
下半身ずぶぬれの男の人が上がって来て「ここは危ない!もっと高い所に逃げろ!」と言ったの
で、山を越えて逃げた。山を越えて逃げたので、美紀子さんは津波を見ていない。
その後の混乱はひどかった。避難所を回り、遺体安置所を回り、美紀子さんは必死に正男さん
を探したが、まだ見つかっていない。
今、美紀子さんは姉の家に身を寄せている。三百坪もある畑の手伝いをしながら、正男さんが
発見されるのを待っている。
震災はまだまだ続いているのだ。
「何もかも流されちゃったから、写真がこれしかなくて・・・」と美紀子さんが差し出したのは
陶芸教室での一枚のスナップ写真。楽しそうな仲間と一緒の写真だった。
絵のリクエストは、チェック柄のシャツを着て微笑んでいる正男さんを、というもの。
美紀子さんの心の中にいる正男さんを絵にしてあげたいと思った。
美紀子さんにおくる、がんばって生きたご主人の記録。
正男さんのご冥福をお祈り致します。
8月26日の面影画は中村美紀子さん。
津波で亡くなられたご主人を描かせていただいた。
市の区長をやっていて、防犯パトロール中に被災してしまったご主人。美紀子さんも津波から
逃げた。
「お前に先に逝かれたら、俺は生きていけないよ」と冗談めかしく言っていたが、本当に先に先
に逝ってしまった・・と美紀子さん。
定年になって、これから第二の人生だと張り切っていたご主人。津波はその人生を奪い、希望
は絶望になってしまった。ご主人はまだ発見されていない。
家も何もかも流されてしまい「これしか写真がないの・・」と一枚の写真を持参してくれた美
紀子さん。美紀子さんの心の中のご主人を精一杯描かせていただいた。
大好きなご主人の話をいっぱいしてくれた美紀子さん。
空の雲がなんだか秋の雲のようになってきた。まだまだ暑いのに。