面影画70


8月28日の面影画は砂田光照(みつあき)さん




描いた人 砂田恵美子さん 五十歳 母                         

 恵美子さんは忙しい人だった。花が好きで、家の玄関にたくさんの鉢花があった。その手入れ
が忙しかった。畑もやっていた。二つの畑で野菜を作り、家族の食事を作った。       
 実家のワカメ養殖の手伝いもしていた。夜も遅くまでアイロンかけやつくろいものをしていて
十二時ころまで働いていた。それでいて、朝は四時に起きるのだから、睡眠時間も極端に少なか
った。いつも人の為に動き回っている人だった。                     

 楽しみは花の手入れで、夢中になると洗濯物を干すのを忘れることもあった。また、本も好き
で、夜寝る前には必ず本を読んでいた、ノンフィクションものが好きだった。        

 恵美子さんは二十三歳の時に、一つ上の光保(みつお)さんと結婚した。恋愛結婚だった。光
保さんは漁協で働いていて、今は参事をやっている。子供は長男、長女に恵まれた。     
 いつも二人一緒だった。冗談ではなく「死ぬときは一緒だ・・」と言いあっていた。    
 子育ても二人で協力してやった。夕食時に家族がみんな揃って、今日あったことを話す。明日
の予定も話す。何でも話す。そんな家庭を二人で作り上げた。すばらしい家族だ。      

 恵美子さんも光保さんも子供が大好きだった。親戚の子供を可愛がり、孫が出来たときのシミ
ュレーションをしているようだった。息子の光照さんに「早く孫が欲しいね・・」などと言う。
まだ結婚してもいないのに。                              
 娘相手に孫が出来たらああして、こうして、保育園は誰が迎えに行って、など夢でも見るよう
に話していたものだった。                               
 光照さんは「母さんに孫を見せてやりかたった・・」と言う。まだ結婚はしていないのに。 

 三月十一日、恵美子さんは小友(おとも)の実家でワカメ養殖の手伝いをしていた。大きな地
震があった。恵美子さんはあわてて車で十分ほどの広田町の家に戻った。そして、おじいさんを
避難させた。一旦は逃げたのに、なぜかもう一度町に戻った。               
 光照さんは言う「途中で民生委員をやっている人と会って、寝たきりのおばあさんを助けに行
ったみたいなんです。結局、その民生委員のかたも亡くなられたんですけど・・・」     
 そこに、誰も想像すら出来なかった巨大な津波が押し寄せた。広田の家は何かも流されてしま
った。                                        

 家族は手分けして恵美子さんを探した。遺体安置所も全部回った。しかし、恵美子さんは見つ
からなかった。                                    
 そして一ヶ月後、家の近くの木の下で恵美子さんが発見された。こんな近くにいたとは、家族
はみんな驚いた。長靴をはいていて、きれいな遺体だった。四月十二日のことだった。    
 一緒にあった携帯に電源を入れてみた。一瞬電源が入り、メールの返事を打った事が確認出来
た。そこには「大丈夫」の三文字があった。次の瞬間ショートして母の最後の言葉は消えてしま
ったが、光照さんははっきりとその文字を見た。                     
「返事を打った直後に津波が来たということなんでしょうね・・」             

 夫の光保さんの落胆が大きい。                            
 「死ぬなら一緒だ」と言い合った奥さんに先立たれてしまった。漁協の参事という役目柄、職
員を避難させなければならなかった。「もし、俺がいれば助けられたかもしれなかった・・」と
悔やむ。仕方のないことだと思ってはいても、理不尽な災害のどこにこの怒りをぶつければいい
のか・・・。                                     
 光照さんはそんな父を心配する。家族みんなに大きな心の空白が出来てしまった。その空白を
少しでも埋めたいと、面影画に申し込んだ。                       

 持参していただいた一枚の写真。「この写真しかないんです・・」という、従兄弟の結婚式で
恵美子さんと子供二人が写っている写真だ。絵のリクエストは「エプロンを着て笑っている母の
姿を・・」というものだった。                             
 目の大きな恵美子さんがにっこり笑っている姿を描かせていただいた。夫の光保さんへの思い
も込めて描かせていただいた。                             
 この絵が少しでも家族の心の空白を埋めてくれればうれしい。              

 光照さんにおくる、すばらしいお母さんの生きた記録。                 
 恵美子さんのご冥福をお祈りいたします。                       



 8月28日の面影画は砂田光照(みつあき)さん。                   

 津波で亡くなられたお母さんを描かせていただいた。家も何もかも流されてしまい、「これ一
枚しかないんです・・」という大事な写真を持参していただいた。             

 寝る間も惜しんでみんなの為に働き続けたお母さん。一旦は津波から避難したのに、寝たきり
の知り合いのおばあちゃんを助けに戻って津波に襲われてしまった。            

 とりわけお父さんの悲しみが大きい。光照さんは、家族みんなの悲しみを少しでも和らげる事
が出来れば・・と面影画に申し込んだ。                         

 唯一残された写真を元に、エプロン姿で笑顔のお母さんを描かせていただいた。      

落ち込んだお父さんを心配してお母さんの面影画を申し込んだ光照さん。 いつの間にかムクゲの花が満開になっていた。鮮やかさが悲しさを誘う。