面影画72


9月2日の面影画は米谷易寿子(まいややすこ)さん




描いた人 米谷(まいや)ヤス子さん 八十六歳 義母                  

 ヤス子さんは家の守り神のような人だった。家付き娘で、家族の中心で、存在感があり、その
ひと言に重みのある人だった。                             
 二十五歳で結婚した易寿子さん。同じ敷地にある別の家で暮らしていた。家は気仙町、代々続
く旧家が多い地域だった。                               
 いろいろな集まりがあると、表に出る人ではないのだが、ヤス子さんの存在感は圧倒的で、に
こにこしてそこに居るだけで、みんなが安心するような人だった。             

 ヤス子さんは、十年間寝たきりの母を介護した。ヘルパーさんに頼む事もあったが、基本的に
は自分で介護した。口には出さないが、我慢強い人だった。                
 ヤス子さんは2人姉妹だった。妹が十九年の九月に亡くなって、ひとりになってしまった。そ
の妹が病気になって入院した時も、毎日通って相手をしたものだった。自分がわからなくなって
しまった妹に、毎日やさしく話しかけていたのを易寿子さんは見ている。          

 ヤス子さんは毎週大正琴を習いに行っていた。妹さんが元気だった時は一緒に旅行に行ったり
もしていた。いつも健康には留意していて、足腰も丈夫だった。              
 昨年の十二月に乳がんを患ったのだが、治療が功を奏し元気に回復した。病気を克服し、これ
からも一家の大黒柱として活躍するはずのヤス子さんだった。               

 三月十一日、ヤス子さんは家にいた。その日、易寿子さんはプールに行く日だった。昼にはヤ
ス子さんと一緒にご飯を食べた。一時半に「じゃあ行ってくるね」とヤス子さんに声をかけたの
だが、返事はなかった。ヤス子さんはいつもの昼寝時間に入っていたようだった。      
 家ではいつも地震対策の訓練をしていた。この日も大きな地震のあと、ヤス子さんは避難所に
なっている仲町公民館に一番先に避難した。もちろん、防災頭巾をかぶっていた。      

 一方、易寿子さんはプールで地震に遭った。真っ暗な中で着替え、すぐに車で家に帰ろうとし
た。しかし、橋がどこも渡れず、家に帰ろうとしたが帰れなかった。            
 あちこち回りながら、まるで何かに導かれるように、竹駒町の親戚の家に身を寄せた。その家
は高台にあった。                                   

 巨大な真っ黒い津波が町を襲った。                          
 竹駒では、易寿子さんが避難した家と隣の家の二軒以外は全部流されてしまった。目の前を家
がギシギシ音を立てて流されて行く。この世のものとは思えない光景だった。        
 易寿子さんは翌日には家に帰ろうとした。「自衛隊の人が行けるんだから・・」と瓦礫の中に
出かけようとしたが「バカなことをするな!」と止められた。               
 こんな事態になっても、まだ家に帰ろうとしていた。また、普通に帰れると思っていた。まさ
か橋が流されてしまったなんて思いもしなかった。                    
 ラジオでは避難した人の名前を読み上げていた。その中にヤス子さんの名前があったので、易
寿子さんは「よかった、おばあちゃんは無事なんだ・・」と思っていた。          

 震災三日後、東京に出張していた夫と、車で逃げた長男に合流出来た。長男は渋滞していた自
分の後ろの車が津波に呑まれたという、間一髪助かった事を話してくれた。         
 現場が落ち着いてから、無事に避難しているはずのヤス子さんを探しに行った。しかし、気仙
町は壊滅していた。消防団の人に話を聞くと「仲町公民館は流されてしまった・・」その言葉に
目の前が暗くなった。                                 

 避難所だった仲町公民館は、跡形もなく流されてしまっていた。若い人の何人かは自力で山に
逃げたが、避難所にいた大半の人はそのまま流されてしまった。この避難所にいた二十四人が亡
くなった。ヤス子さんはまだ行方不明のままだ。                     

 易寿子さんの家も、蔵も何もかも流されてしまった。                  
 おばあちゃんの思い出の品も、写真も何もかもなくなってしまった。自分が何かに導かれるよ
うに助かったのは、おばあちゃんやご先祖様の力だったのかもしれないと易寿子さんは言う。 

 やさしかったおばあちゃんの面影を絵にして残したい、と面影画に申し込んでいただいた。 
 易寿子さんの心に残るような、おばあちゃんの笑顔を描かせてもらおうと思った。     

 この絵が少しでも易寿子さんの心の空白を埋めてくれれば嬉しい。            
 ヤス子さんのご冥福をお祈りいたします。                       



 9月2日の面影画は米谷易寿子(まいややすこ)さん。                 

 津波で亡くなられたお義母さんを描かせていただいた。                 

 一家の精神的な柱だったお義母さん。まだまだ元気でこれからも活躍してもらうはずだった。
津波は避難所ごとお義母さんを流してしまった。                     

 奇跡的に、何かに導かれるように助かった易寿子さん。「私が助かったのはおばあちゃんやご
先祖様のお陰だと思います・・」と言う。                        

 この絵が易寿子さんの心の空白を少しでも埋めてくれれば嬉しい。            

私はおばあちゃんに助けられたと語る易寿子さん。 大風が吹き、テントを木に固定した。猫が寄ってきて休んでいた。