面影画
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9月18日の面影画は菅野典子さん
描いた人 村上由之(よしゆき)さん 四十八歳 同級生
由之さんは典子さんと同級生で、子供の時から一緒だった。幼なじみは偶然職場が一緒になっ
た。同級生だが、今度は由之さんが上司という関係になっていた。
課長代理だった由之さん。何でもきちんとやる細かい人だった。気は短かったが、仕事では全
部フォローしてくれた。飲み会などではいつも典子さんが愚痴を言う役だった。同級生という事
もあり、何でも話せた。また、由之さんも何でも聞いてくれた。
由之さんは職場結婚だった。子供が二人いる。子供が好きで、どこに出かけるのにも携帯で連
絡し合っていた。部活の結果などを熱心に聞いていたものだった。由之さんは高校時代野球をや
っていた。子供にも野球をやらせたかったそうだが、子供はテニスを選んだ。
スポーツ万能で、足が速かった。仲間や後輩の面倒見も良かった。しかし、典子さんは、その
足の速さが命取りになったのではないかと言う。
「家も浜だったし、実家は漁師だったんで、津波の事はよく知っていたはずなんですよ・・」
だからこそ、今回の津波が来る前に自分たちを逃がしてくれた。
「おめたち、家さ帰れ!」と。職場のトップは仙台の人だった。津波に関する感覚が高田の人と
は違っていた。由之さんは典子さんたちにとって、命の恩人になった。
それは確かに想定外の津波だった。でも、逃げるだけの時間はあった。しかし、職場からは避
難命令は出なかった。各自の判断で逃げた。
由之さんは一旦一中まで逃げたが、また職場に戻った。避難していない部下を捜しに戻ったよ
うだった。足が速かったし、自分なら逃げられると思っていたのだと思う、と典子さん。
由之さんは津波後、職場で発見された。
典子さんは思い出す事がある。昨年の十二月、職場の飲み会でのことだった。職場の問題を聞
いてもらおうと、日本酒を無理矢理飲んで、由之さんに話し込んだ。二合徳利三本まで飲んだ事
は覚えているが、途中から記憶がなくなってしまったという典子さん。
後で同僚から聞くと、とんでもない暴言を吐いていたらしい。由之さんはキレる事もなく、笑
いながら「人だから、そったらこともあるっちゃ・・」などと対応していたらしい。
果ては二人でアカペラで「木綿のハンカチーフ」を歌ったらしい。典子さんはまったく覚えて
いない。「こうなってみると、その時の記憶がないのが悔しいんですよ・・・」
由之さんとのバトルも、一緒に歌った歌も覚えていない。それが悔しい。
今から思えば、常に不満を受け止めてくれた、と典子さん。共に浜育ちで、浜言葉が出る二人
だった。言葉が荒いと周囲に言われる事も多かったが、そんな二人だからこそ、二人にしか分か
らない機微があった。
同級生で上司、何でも相談した人の面影画を典子さんは依頼に来た。「自分が次の一歩を踏み
出せるような絵を描いてください」とえらく難しい注文付きで。
この絵が期待に添えるかどうか分からないが、典子さんが次の一歩を踏み出す時にその背中を
押してくれるようになれば嬉しい。
典子さんにおくる、同級生で上司だった由之さんの記録。
由之さんのご冥福をお祈りいたします。
9月18日の面影画は菅野典子さん。
津波で亡くなった同級生の上司を描かせていただいた。
子供の時からずっと一緒だった同級生と偶然職場で一緒になった。立場は上司だったが、何で
も相談出来る間柄だった。仕事の愚痴をよく聞いてくれた。
責任感の強い人だった。一旦避難したのに、部下を捜して職場に戻り、被災してしまった。
絵のリクエストは「私が次の一歩を踏み出すための力を与えてくれる絵にしてください」とい
う難しい注文だった。
典子さんの期待に応えられるかどうかは分からないが、精一杯気持ちを込めて描かせていただ
いた。
この絵が典子さんの背中を押してくれれば嬉しい。
同級生で上司の友人を絵に描いて欲しいと依頼に来た典子さん。
晴れた日にはもう秋の雲が出ている。朝晩はめっきり涼しくなった。