房総半島一周


さよならレガシィ第二弾。房総半島一周の旅



 1月23日(月)24日(火)の二日間、房総半島を一周の旅をしてきた。レガシィと
のお別れを目的にした車でのドライブだった。                   
 朝8時に家を出て外環に乗る。終点の三郷南で一般道に下り、京葉道路を目指す。この
周辺は初めて走るので土地勘がなく、道路がどうなっているのか全く知らない。ナビは古
くあてにならないので楼路標識だけが頼りだ。幸い渋滞していたのでゆっくり確認する時
間があり無事に京葉道路市川インターに到着した。                 

 京葉道路を走るのは久しぶりだった。急ぐ旅でもないので幕張PAで休憩する。とても
新しいパーキングでお店も充実していた。ここで朝食をとる。インストアベーカリーのハ
ムカツサンドとスターバックスのカフェラテをゆっくり楽しむ。           
 このPAの物産売り場が凄かった。地元の野菜もあるが、群馬県の珍しい野菜がたくさ
んあって興味を引いた。変わったジャガイモや人参、赤大根、セリ、パクチーなど珍しい
野菜がたくさんあった。秩父のお菓子などもたくさん並んでいた。買い物いろいろ。  

高村光太郎と千恵子の像。千鳥と遊ぶ千恵子。 詳しい内容が書かれた碑文。

 京葉道路から千葉東金道路に入り、東金九十九里道路へと走り継ぐ。九十九里道路は全
面通行止めなので海が見えない一般道を南下する。海が見えないので、標識に従って海岸
をはしごする。海岸に出られる場所は全て行ったのだが、とにかくどこも同じ景色だった
。九十九里は延々と同じ景色が広がっている。風が強いので長い時間いられない。道の駅
もないので休憩場所もない。困った困った。海岸の看板が出ている場所ごとに曲がって見
に行くのだが、どこもみな同じ景色だった。                    

九十九里に出た。何もないただただ広い砂浜と海。 撮るものがない。影を入れてみる。

 大東崎の港でひと休み。港横にあった公園に車を停め、休憩する。港の突端まで歩き、
港の景色を楽しんだのだが、風が強く波が高かったので堤防の上は怖いようだった。高波
が打ち寄せ、防波堤に砕ける様がすごかった。そんな中でサーフィンをやっている人がた
くさんいたのに驚かされた。駐車した公園はサーファーの車が停まっている場所だった。
トイレの横にはシャワー室もあって、サーファーにとって利用しやすくなっている公園の
ようだった。                                  

砂浜に停めたレガシィ。がんばってます。 ある港横の公園に車を停めて休憩中。


公園の花。名前はわからない。 こちらは水仙の花。至る所に咲いていた。


風が強く波が高い。防波堤に打ち寄せて砕けている。 寄せる波が激しい。堤防を歩いていても怖いようだった。

 大原港で港に停泊している船を眺め、そのまま御宿に向かう。大原はあこがれていた場
所だった。外房のハナダイやヒラメの釣り船が出る港で、昔海釣りをやっていたころに一
度は行って見たい場所だったのだが、残念ながら釣りで来た事はなかった。      
 御宿には大好きな民俗資料館があるので、楽しみにしていたのだが、行って見たら休館
日だった。がっかりして海に向かい、月の沙漠像を見に行く。            
 月の沙漠像は昔と変わらず堂々と建っていた。昔はもっと大きく感じたように思うが、
40年も経つと感じ方も変わるのだろう。カミさんと砂浜を歩いて波打ち際行く。御宿の
砂浜は広くきれいだった。打ち寄せる波もやさしく、見飽きない眺めだった。     

御宿に到着。月の沙漠公園に行く。 月の沙漠像。ラクダに乗ったお姫様と王子様。


ちょいと割り込み。 御宿の砂浜は広くてきれいだった。


ここは暖かかったので海岸をゆっくり散歩。 明るい光が降り注いでいる。


浜が広い。 もう少し若かったらねえ…などと言い合いながら。


たわむれております。 御宿の浜辺を堪能した。

 寒くなったので車に戻る。そのまま海岸沿いを走ると何やら記念碑があるとの表示があ
った。「なんだろうか?」と行って見たらメキシコ塔があった。           
 慶長年間にメキシコ行きの船が座礁し、多くの遭難者が出た。岸和田村の海女や漁民が
遭難者を救助し肌で暖めて多くのメキシコ人を助けたのだという。その記念碑だった。知
らない事が多いものだと興味深く説明文を読んだ。メキシコ塔から見下ろす御宿湾の光景
はすばらしいものだった。海の青さが際立ってきれいだった。            

メキシコ塔の説明文。知らなかった……。 塔と海女の像。メキシコ人を救った岸和田の人々。

 車はメキシコ塔のある岡から下りて海岸沿いを走る。すぐに勝浦の文字が出てきた。今
日の宿泊地が勝浦だ。まだ明るいが風が強くて寒いのでホテルにチェックインする。宿泊
は勝浦のホテル三日月だった。玄関に車を停めると係の人が隣のアクア棟の駐車場を教え
てくれたのでそちらに回る。                           

チェックインした部屋は9階。目の前に海が広がっていた。 夕陽が沈む光景が部屋からじっくり見られた。

 チェックインした部屋は9階で、窓の外に勝浦港を見下ろすオーシャンビューだった。
真下の砂浜に打ち寄せる波がきれいで見入ってしまった。真上から波が寄せる様を見るの
は初めてだったので面白かった。                         
 フロントで教えてもらった寿司店が5時開店なので、10分前にホテルを出る。教えて
もらったのは都寿司、歩いて5分くらいの店だ。外は風が強く寒かったが近いお店なので
良かった。暖かい店内にほっとひと息ついた。板さんが笑顔で迎えてくれた。     

ホテル玄関のイルミネーション。 玄関正面。外は寒いが、歩いて夕飯を食べに行く。


暖かく明るく清潔な店内。店の作りで味もわかる。 お通しで出たのがブリ皮ポン酢。歯ごたえが最高。


鮮度抜群の刺身に一手間加えてある。絶品でした。 ネタの大きい握り寿司。こちらも旨い。

 夕飯は寿司セットとキンメの煮付け、刺身の盛り合わせを頼んだ。寿司セットにはあら
かぶ(カサゴ)の煮付け、なめろう、サザエの壺焼き、卵焼き、ワタリガニの味噌汁がセ
ットでついていた。突き出しのブリ皮たたきが旨かった。ぷりぷりの食感が何とも言えな
い味だった。あらかぶの煮付けも旨かったし、何と言ってもお刺身が旨かった。キンメの
炙りが甘く、マグロはしっとりと柔らかかった。                  
 キンメの煮付けがまた別格だった。先週下田で食べたキンメと比べ鮮度が違った。煮汁
も上品で、こちらのほうが数段レベルが高かった。この1尾で大満足。最高の夕飯となっ
た。やはり地元の人が通う名店はいい。何を食べても外れがない。          

あらかぶ(カサゴの煮付け。骨までしゃぶる。 サザエの壺焼きは柔らかく、卵焼きはほんのり甘い。


アジのなめろうとワタリガニの味噌汁。 本命のキンメ煮付け。とにかく最高!食い尽くした。


勝浦と言えばひな人形祭り。この店にも飾ってあった。 部屋に帰ってくつろぐカミさん。

 ホテルに帰って温泉に行く。外を歩いて冷えた体をゆっくりと温める。ちょうど団体さ
んが宴会の時間なので温泉はガラガラ。大きなお風呂を占有してゆっくりと温まる。  
 ここには「開運の黄金風呂」というのがあり、そこにも入った。あまり良い趣味ではな
いが、これで開運してくれれば儲けものだ。入ってしまえば小さいお風呂。自分で黄金色
を見るわけではないので「まあ、こんなものか…」という感じ。1億7千万のお風呂とい
う事で防犯カメラなどが付いている物々しさも愛嬌だ。               
 風呂上がりのマッサージ機が10分200円というのはちょっと高い。おまけに両替機
がないので使えなかった。缶ビールとハイボールを買って部屋で飲む。        

 朝は早く目が覚めた。朝市に行こうという話だったのだが、外があまりに寒そうなので
意気消沈。そのまま朝風呂に行く。ちょうど朝日が昇る前だったので、風呂に浸かりなが
ら日の出を待つ。雲が黄金に輝き太陽が昇るまでが長かった。その時間を充分に楽しむ事
ができた。日が昇るまでの時間、様々な思考が脳裏を駆け巡った。この瞬間は本当に神様
の時間だったように思う。貴重な時間だった。                   
 朝日を浴びた黄金風呂が目に入ったので、さっそく黄金風呂に入ってみた。朝日を正面
に受けて黄金風呂に入るというのはなかなか貴重な体験だった。運気が上がりそうだ。 

朝、部屋から見る海の景色。 港も動き出している。

 朝食はバイキング。どうも食べ過ぎる傾向があるので要注意なのだが、これも料金のう
ちだなどと言い訳をしながらたくさんの料理をチョイスする。料理を食べながら気になっ
たのが係の人の元気のなさ。表情も暗いし、動きも鈍い。大きなホテルの常だが、社員の
質は高くない。そこまでを求めてはいけないのだろうが、仕方なくやっている感がありあ
り出てしまうのは何とかならないものかと思ってしまった。漂う閉塞感はしだいに全体を
包んでしまうので改善が欲しいところだ。                     

部屋を出る前に写真を一枚。 鴨川の海辺で休憩。

 9時にチェックアウト。駐車料金を1000円取られたのは何となく納得いかない。車
は左に海を見ながら鴨川へと向かう。国道から左に外れる細い道を選びながら港町をいく
つも通り抜ける。早く走る旅ではないので、細い道を選びながら路地裏を走るような道を
行く。網が干してあったり、洗濯物が干してあったりと生活感が漂う道がいい。時折見え
る海の青さと民家のコントラストがいい。                     
 途中「行川アイランド駅」を通過した。むかし、フラミンゴショーを見に来たことがあ
った。懐かしい場所の一つだが今は閉園し、廃墟になりつつある。隆盛を誇った観光地も
いつか廃墟になってゆく、時の流れの残酷さを感じる看板だった。          

う〜〜ん、どうも景色と服装が合わない。 海はきれいでサーファーがいっぱいいた。


レガシィはどんな景色にもよく似合う。 レガシィと記念写真。

 鴨川で車を停めて海岸を歩く。海にはサーファーがたくさんいて、この寒い朝にサーフ
ィンを楽しんでいる。見ているだけの人間には何が楽しいのかわからない。リゾートホテ
ル、白い砂浜、青い空と白い雲、パーム椰子の並木道……南国要素が満載だが、おじさん
おばさんコンビには少し縁が遠い。                        
 寒くなったので車に戻ってひと休み。車内は暖かく、すぐに出発。やはり海沿いの細道
を走る。鴨川漁港を見て、仁右衛門島を見て、見るだけで走り抜ける。        

 ここからは道の駅巡り。まずは鴨川オーシャンパーク。建物の外観からして少し問題が
ありそうな予感がしたのだが、入って見てそれが確信に変わる。作りも内容もちぐはぐす
ぎる。あれではトイレ利用くらいしか使い道がない。乾き物のお土産だけ、誰が買うのだ
ろうか…。昨今の道の駅事情からすると置きざられた道の駅かもしれない。      
 次は和田浦WA・O! という新しい道の駅。和田浦は昔くじら漁が盛んだったことから
くじらを前面に出した道の駅となっていた。ここは素晴らしかった。農産品も加工食品も
情報も新しい。店員もはきはきしていて明るい。つい買い物をしたくなる雰囲気に溢れて
いた。ここでは農産物とクジラ関連の買い物をし、落花生ソフトを食べた。このソフトク
リームは濃厚で絶品だった。                           

これが落花生ソフトクリーム。 濃厚でめちゃくちゃ旨かった。

 次に行ったのはローズマリー公園という道の駅。ここは豊富な農産物主体の正統派の道
の駅だった。その品揃えと味見は最高のレベルだった。和田浦でみかんを買ったのが失敗
だったと思わせる充実ぶりで、とにかく盛況だった。こんな道の駅が近くにあったら絶対
通うだろうなと思わせてくれる道の駅だった。ここではクジラコロッケを買って食べた。
温かいコロッケが最高に旨かった。                        

ローズマリー公園道の駅。 生花や野菜が充実していた。素晴らしい道の駅。

 次は千倉まで走り、ちくら・潮風王国という道の駅。ここのロケーションは最高だった
。広い芝生の向こうに青い海。海岸に下りられるように階段が防波堤に付けられていた。
岩の海岸を歩き、潮風に打たれ、階段を上ると漁船の実物が自由に見学できる。道の駅に
入ると大きないけすが中央にたくさん設置されている。ここは活魚を販売する道の駅だっ
た。毎朝浜から上がった魚を生きたまま運び、ここで販売している。もちろん干物や若布
なども豊富に売っている。素晴らしい品揃えだったが、残念ながら買う物はなかった。 

ちくら・潮風王国という道の駅。 広い芝生がすばらしい。


ここは防波堤から海に下りられる。 岩場で遊ぶ。海がきれいだ。


店内にはたくさんの生け簀があり、活魚を売っている。 何か買う物はないかと物色するカミさん。

 更に車を走らせ、次に向かったのは白浜野島崎という道の駅。野島崎灯台があるので有
名だが、道の駅もあると地図に書いてあったので、楽しみに向かった。ところが、確かに
道の駅の看板はあるのだが建物が何だが公民館のような建物。中に入って見ると申し訳程
度に野菜が置いてあり、食事などは灯台の商店街でお願いしますと書かれた紙。トイレを
借りて出て来たのだが、これを道の駅というのは間違いなんじゃないだろうか。道の駅に
もいろいろあるものだと、あきれ顔でカミさんと顔を見合わせた。          

 野島崎灯台を過ぎて根元海岸に着いた。ここには友人の海の家があり、何度も遊びに来
ている場所だ。釣りをした防波堤や潜って遊んだ岩場が見えたので車を停める。友人の海
の家前で記念写真を撮り、浜に出てみた。サーフィンをやっている人が何人か見える。 
 この浜で夜光虫の乱舞を見た。花火をやったりした思い出の場所だ。岩場を潜った事も
思い出す。釣りをして、釣った魚を刺身で食べたりもした。豊かな海だった。     

イナさんの海の家。夏によく遊びに来た場所。 この浜で泳ぎ遊んだ。


懐かしい岩の前でポーズ。 個人的にこの岩をライオンの岩と呼んでいる。

 最後に立ち寄った道の駅は平砂浦の南房パラダイスだった。ここは大きな公園を併設し
ていて、公園に入るには別料金がかかるというもの。ハワイや南の島を意識したテーマパ
ークのようだが、そちらに興味はない。商品は乾き物中心のお土産屋さんという感じで、
何か買おうかと探してレジ前のどら焼きを一個買って出て来た。広い広い駐車場には車が
5台くらい。経営は大丈夫なんだろうかと心配になる。               
 本当に道の駅にはいろいろな種類があるのだと、六つの道の駅を見てよくわかった。本
当に良い勉強になった。                             

道の駅南房パラダイス。う〜〜ん…な内容。 駐車場の椰子がきれいだった。

 平砂浦を抜け洲崎灯台を回ったところで沖に富士山を発見し、大騒ぎになった。こんな
に大きく真っ白な富士山が海上に見られるなんて思ってもいなかったので嬉しかった。 
 海岸沿いを走る道を選んでいるので館山市街は何となく通り過ぎてしまった。街の中心
を走らないと標識がないので、どこを走っているのかわからなくなる。それが楽しさでも
あるのだが、目指す方向もわからない。ただ、海沿いを走ることだけ。そんな感じで走っ
ていたのだが、道はいつしか国道127号に収斂されて、そのまま内房を北上していた。

いきなり見えた富士山。 海上の富士山は美しい。

 富浦・岩井・安房勝山・保田・浜金谷と懐かしい名前を見ながら走る。秩父の高校を卒
業して国鉄に就職し、初めて配属になったのが内房の巌根駅だった。勤務地に近いこの周
辺はよく電車に乗って回った場所だった。また、カミさんも小学生の時に上総湊で過ごし
た時期があり、奇しくも二人に共通の懐かしい場所だった。             
 上総湊を過ぎ、佐貫町駅から横にそれて東京湾観音を見に行く。カミさんが小学6年の
時に登ったという東京湾観音。そんな話を聞きながら見上げる観音様の巨大な姿は何とも
不思議な造形物だった。日が傾き観音様の顔をやさしく照らす。あまりに巨大すぎてその
お顔の表情がわからない。取りあえず両手を合わせ、カミさんの成長を報告する。   

見上げる東京湾観音像。 巨大すぎて遠近感がわからなくなる。


この巨大さ。 背中には多数の小窓。あばたのようにも見える。

 車は富津岬に向かう。どこまでも長い岬の先端には大きな展望台のような建物が建って
いたが、登れないようだった。仕方なく立ち入り禁止の看板前で記念写真を撮る。ここか
らも東京湾越しに富士山が見えて新鮮だった。                   

富津岬の先端でも富士山が見えた。 立ち入り禁止看板の横で。

 そして、いよいよ木更津を過ぎて巌根駅へ向かう。44年前の当時は19歳。新米職員
のやることはキップ切りと食事当番だった。全員分の食事を作った楽しい思い出がよみが
える。駅近くにあったスーパーは同じ場所にあった。踏切を越えて道を曲がると巌根駅が
あった。記憶と今の景色がシンクロする。                     
 何と駅の外観は44年前と変わらなかった。駅前のロータリーや交番は新しくなってい
たが駅舎そのものは変わっていない。駅前のパーキングに車を停め、ドキドキしながら駅
に入る。天井も壁も事務所のロッカーも昔のままだった。何もかも懐かしく写真を撮りま
くる。カミさんも大興奮だ。入場券を買って駅の中に入る。当時の様子が走馬燈のように
よみがえってきた。                               

19歳の時に働いていた巌根駅。 看板は新しくなっていたが、他は昔のままだった。


待合室もまったく変わっていなかった。 中に入ると懐かしいホームが昔のままの姿で……


寝泊まりした駅舎がそのままの姿で。 毎日掃除した跨線橋。天井が懐かしい。


下り線階段で記念写真。 登りの列車が出た。見送るのも44年ぶりだ。

 毎朝行商のおばちゃんがアサリ一袋を置いて行った。そのアサリを剥くのが毎朝の仕事
だった。アサリの味噌汁が飲めなくて自分だけ違う味噌汁を飲んでいたら駅長に怒られた
こと。毎朝一番の電車で新聞が下ろされ、それを売店まで運んだこと。必ず終電に乗って
帰る女の子のこと。田村さんという先輩にレタリングを教えてもらったこと。露崎さんと
いう先輩に潮干狩りに連れて行ってもらったこと。寒い夜に終電を見送ること。深夜に一
人で起きて貨物列車を見送り、次の駅に電信することなどなど……。         
 青春の一ページが走馬燈のようによみがえってきた。本当に懐かしい。44年経っても
変わらない駅舎の姿に感動していた。駅の看板はさすがに新しくなっていたが、跨線橋の
壁や天井、配線は何も変わっていない。石段も花壇もコンクリートのフェンスも変わって
いない。奇跡のような景色。                           
 ちょうど上りの電車が入って来た。木更津の高校生で一杯の電車は昔と違いスムーズに
入り、スムーズに出て行った。見送って指さし確認の真似をする。昔の自分がいた。  

ホーム看板はさすがに新しくなっていた。 跨線橋を見上げる。なつかしい。


駅前でポーズを取るカミさん。 ロータリーは面影がない。駅だけが時代を超えていた。

 駅を出て公衆トイレを使い、喫茶店を探す。駅前の古い喫茶店は昔のままだが、何とな
くそこには入りにくい。近くにあった新しい喫茶店すもも亭に入る。コーヒーを注文して
44年前の事を聞くが、この店は35年前に出来た店とのこと。昔の話は聞けなかったが
胃目の駅舎が映画に使われた話や駅舎上出来た跨線橋の話などを聞いた。       
 昔を懐かしむ歳ではないと思っていたが、こうして自分の出発点に来てみると、それも
悪くない。昔のままの姿が残っていて、そこに立つことで消えていた思い出をよみがえら
せることが出来た。こんなにも胸が熱くなるとは思ってもいなかった。思いの外に感動を
与えてくれた。                                 

駅前の喫茶店で休む。 コーヒーとサンドイッチがおいしかった。

 ゆっくり休んで喫茶店を出る。外はもう暗くなりかけていた。ここから家まで帰らなけ
ればならない。車は16号に出て、袖ヶ浦インターから東京湾アクアラインに乗る。その
途端にカミさんが叫ぶ「富士山だぁあ!」左手の海上に影絵のような富士山が浮かんでい
た。カミさんが苦労しながら富士山の写真を撮る。                 

夕焼けの富士山が見えた。 今回は図らずも富士山の絶景にたくさん出会えた旅だった。

 車は混雑した高速道路を一路東京へと走る。アクアラインから湾岸線へと入ったところ
で渋滞に巻き込まれた。ノロノロ運転が続き、少し疲れるがこのまま走る。      
 湾岸からスカイツリーを左に見て首都高川口線へと回る。夜景を見ながら走るのは楽し
いがさすがに疲れてきた。外環川口インターの表示が出たところでナビの叔父さんが消え
た。普段は消えてばかりいるナビおじさんだが、今日は頑張って表示してくれていた。 
 外環の文字が出たところで力尽きたかのように消えたナビ叔父さん。今日は一日頑張っ
てくれた。感謝しなければならない。レガシィ惜別の旅、ナビ叔父さんも頑張ってくれて
いた。                                     

 家に着いたのは夜の8時過ぎ。460キロも走った長いドライブが終わった。レガシィ
惜別の旅第二弾は房総一週の旅だったが、19歳の自分に会う旅でもあった。     


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