金仙寺へ行く道


シン・ギョンスクの散文集「美しい陰」の中の名文「金仙寺へ行く道」を読んで。



02年の日韓ワールドカップを前に韓国語を勉強し始めたのだが、韓国語の勉強の為に
読んでいた散文集があった。シン・ギョンスクという作家の「アルムタウンクヌル」(
美しい陰)という散文集だ。その散文集の中の一文「クムソンサ・カヌン・キル」とい
う文章が素晴らしい文章だった。日本語で書くと「金仙寺へ行く道」という題になる。
この文中に出てくる金仙寺に行ってみたいと思い、韓国の友人にメールで尋ねたところ
、折り返しの返事が来た。友人はあろうことか作家本人に聞いたという。この辺のスト
レートさは韓国人ならではだと思うが、何はともあれ金仙寺の場所が分かった。ソウル
郊外の北漢山国立公園内にある小さいお寺だということだった。          

今回ソウルに行く用事(サッカー応援)があり、半日ほど空いた時間があったので金仙
寺へ行って見ようと思い立った。ホテルのフロントで聞いてみたが、どうも分からない
ようだ。住所をメモしておいたのを見せても分からないと首を傾げる。とにかくタクシ
ーを呼んでもらい北漢山国立公園へと向かう。車内で運転手さんに聞いても分からない
。運転手さんがナビを操作してみたら「お寺」の項目にその金仙寺があったので、やっ
と場所が分かった。ホテルからタクシーで20分くらいの距離だという。同行してくれ
る川端さんとうなずき合って、走るタクシーから早朝のソウルの景色を見ていた。  

「クムソンサ・カヌン・キル」という文は、作家が近所の金仙寺周辺の自然と自分の思
い出をクロスオーバーさせ、春夏秋冬を描いたもの。自然の描写と昔の思い出が混然と
一体になり、静かな余韻を残してくれる名文だった。その場所へ行って見ることは、ど
んな観光地へ行くよりも自分にとって楽しみな事だった。ある意味、夢が叶うというよ
うな感じがして、車中で期待に胸を膨らませていた。               

北漢山国立公園の入り口にあった「金仙寺」の案内看板。 大勢の登山客が山へ登って行く。

北漢山国立公園はソウル市民の憩いの場所で、休みの日には大勢の登山客で溢れている
と聞いていた。行ってみると、まさにその通りで、大勢のカラフルな登山客が狭い道を
ひしめき合いながら登っていた。我々も「金仙寺」の看板を確認し、勇躍その列に加わ
った。韓国人の登山好きというのは聞いていたが、実際に見るのは初めてで、本当にた
くさんの人が次から次に山頂へ向かうのを見ながら「本当だったんだ・・・」と納得さ
せられた。金仙寺は登山口から20分と案内板に書いてあった。花崗岩が至る所に露出
する登山道を登る。皆本格的な装備なので、軽装の我々は何だか場違いな感じがする。
まあ、20分の山道ならこの支度でも充分だろう。                

急な花崗岩の道を登る登山者。ここが分かれ道。 奇妙な形の石像の横で記念写真。

登山道と金仙寺への道が分かれ、周囲が急に静寂に包まれた。誰もいない道をしばらく
登ると石仏が出てきた。耳のようなツノのような突起物が頭についている見慣れない顔
をした石像。文中で若い僧が石仏に合掌する場面が出てくるのだが、これがその石仏な
のかもしれない。そして、その僧が鳥たちの為に餌を屋根に投げたファジャンシル(ト
イレ)があった。散文の内容を思い出しながら、やはりここだったんだと実感し、納得
していた。足元を何かがスッと動いた。驚いて見るとシマリスがちょろちょろっと動き
、止まってこちらを見上げた。目があった瞬間にスイッと茂みに消えた。そういえば文
中にもシマリスが出てきて、木の枝先を走る場面があった。            

今は使われていないトイレ。 立派な本堂。まだ工事中のようだった。

立派な本堂が見えてきた。どうやら新築したものらしく、まだ完成していないらしい雰
囲気が漂っている。本堂の下の広場でソウルの町を遠く望むことが出来た。ここでしば
しの休憩をしていた我々の頭上をカラの混群が通っていく。シジュウカラ、ヤマガラ、
エナガ、ゴジュウカラなどがにぎやかにさえずり交わしている。下の方ではキジバトが
勢いよく羽ばたき、大きなカケスがすぐ近くまでやってきて羽根を広げたり閉じたりと
優雅な姿を見せてくれた。持参した双眼鏡で図らずもバードウオッチングが出来たのが
嬉しかった。カッチ(かささぎ)の声もすぐ近くで聞こえた。文中には動物たちが自然
に集まってくる不思議なお寺の様子が書かれていたが、これも本当の事だったようだ。

眼下に広がるソウル市内。見晴らしが良いのはここだけ。 対面には花崗岩がそびえ立っている。

鳥を眺めた視線を下に移したら、細い小道を老僧が帽子を振りながら歩いてくるのが見
えた。まるでテレビドラマか映画の一場面かなにかような不思議な光景だった。   

奥の院は急な階段の上に建っている。 工事中の彩色された屋根や壁が鮮やかだ。

ひと休みしてから奥の院を目指した。急な階段を登った奥の院は工事中で、彩色が鮮や
かな壁と屋根が印象的だった。この様子だと、下の本堂もこのような彩色を施されるの
かもしれない。日本のお寺よりもずいぶんと派手な色合いだ。奥の院の下は2層の拝殿
になっている。下層には3体の仏像が安置されており、戸が閉まっていた。上層は戸が
空いていて拝謁できるようになっていた。そこにいたアジュンマに拝謁して良いかと尋
ねると許可してくれたので、靴を脱いで拝殿に入った。金色の仏像の前に座り、しばら
くの間緊張していたら、先程のアジュンマが座布団を出してくれた。有り難いことだ。

金色がまぶしい仏像。装飾も日本に比べて華美。 仏画も鮮やかな彩色だ。まるでチベット仏教のようだ。

日本のお寺さんとはずいぶん違う装飾や仏像を見て驚き、写真に納め、再度合掌してそ
の部屋を出た。こういう体験は思いもしなかったことで嬉しかった。奥の院の更に奥に
大きな岩屋があり、そこが最奥の祭祀場だった。巨大な花崗岩から二筋の水が流れ落ち
ていて飲めるようになっていたので柄杓に受け取って口に運ぶ。じつに甘い真水だった
。岩から湧き出す水を飲んで、何だか神聖な気分になる。ここからはゆっくり下るだけ
なので、あれこれ見ながら歩を進めていたら、先ほどのアジュンマが声を掛けてきた。
お茶でも飲んでいかないか、ということだった。ちょっと寒かったので遠慮無く頂戴す
ることにした。                                

岩屋の中には二条の湧き水。甘くて美味しい水だった。 奥の院の階段前で記念写真。

招かれたのは何かの作業所のような部屋で、オンドルだった。床がほのかに暖かい。座
卓の前に座ると、ニコニコしながらアジュンマが甘酒のようなお茶を出してくれた。聞
くとシッケだそうな。お米の飲み物で、缶入りのものは飲んだ事があったが、こんな風
に作ったものを出されるのは初めてだった。川端さんは初めて飲んだと言いながら「い
やあ、美味しいですねぇ・・」と感激していた。アジュンマの写真を撮らせてもらい、
名前を聞くと、照れながら「イ・スンクンだ」と教えてくれた。日本人が来ることはほ
とんど無いのでと不思議そうに聞いてきたので、シン・ギョンスクの散文集を読んで来
た、と言ったら驚いていた。                          

橋の上から渓谷をのぞき込む川端さん。 我々をもてなしてくれたイーさん。ありがとうございました。

暖かい部屋でゆっくりと休み、シッケを飲み、なんだか外国にいる感じがしなかった。
そういう甘えを許してくれる場所であり、誰でも憩える場所なのだろう。お寺の人が迎
え入れてくれるような印象が残った。しばしの時間休んで、イーさんにお礼を言ってそ
の場を辞した。イーさんは石段の上でずっと手を振っていてくれた。        

金仙寺を巡る山道。 「木精窟」の案内石塔

金仙寺の下から入る道があり、そこには「木精窟」という石塔が建っている。その道は
先ほど老僧が歩いていた道で、登山道とは別の金仙寺への道だった。渓谷沿いに続く道
端には多くの小石を積んだ塔が立っている。我々も小石を積みながら歩く。見上げる階
段の先にはガラス張りの石窟があって、そこが拝殿になっている。まるで岩をくり抜い
たような形の拝殿の中では僧侶の読経と信者の五体投地が行われていた。先ほど我々が
鳥を見ていた地面の下にこんな部屋があったとは知らなかった。急斜面に建てられた寺
院は様々な部屋が多層に重なり合って出来ていたのだ。              

「木精窟」は階段の上のガラス窓の場所にある。 公園入り口は相変わらず大勢の登山者でごった返していた。

拝謁を遠慮してその場を去る。観光客が入って良い場所ではない。渓谷沿いの道を下り
ながら周辺の樹相を眺める。松が多く、ケヤキやコナラが混じる。クリも多い。モミジ
や辛夷は植えたものだろうか。秋の紅葉時にはきれいな景色が見られそうだ。日本より
も乾燥地に生える樹木が多いので紅葉はさぞ見事なことだろう。散文集の秋の項は「緑
陰に夏の匂いが消え去って、今は冷たい風が山道を吹きすさんでいる。」と結んであっ
た。山の秋は日本どころではない厳しさなのだろう。やがて来る厳しい冬への短い準備
期間なのだ。金仙寺に別れを告げ、道を下りながら余韻に浸っていたかったのだが、次
から次に登ってくる登山者の多さとけたたましさにそれどころではなかった。    

散文集の余韻は一人になった時にゆっくり楽しむことにしよう。          



追記
今回の韓国旅行で食べたものをいつくか上げておきます。

ヘムルトッポギ:前夜居酒屋で食べた辛い餅料理。 これも居酒屋で食べた酢豚のような辛い料理。


ミョンドンで食べたアワビ粥。美味しかった。 ホテル近くで食べた手打ちうどん。デミグラスソース風でじつに美味。



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