山里の記憶108


梅干し:近藤コウヤさん



2012. 7. 24



絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。


 六月二十七日、小鹿野町倉尾、藤倉地区に向かった。ここの最奥にある耕地が今日の目
的地で、名称は中平(なかだいら)という。山の中腹に十軒ほどの家が密集している。 
 近藤コウヤさん(七十六歳)の家は集落の上の方にあった。急坂で狭い道の横に苦労し
て車を停め、コウヤさんの家に向かう。コウヤさんは梅干し作りの名人で、毎年三十キロ
もの梅を梅干しに加工していると言う。庭には、梅干し作りに使うザルやプラ樽が干され
ていた。挨拶をして家に上がる。仏壇にご主人の写真が飾られている。        

 お茶を頂きながらいろいろな話をした。「こんな山奥で何にもないけど、どうぞつまん
で下さいね・・」と次から次に美味しそうなお茶請けが出てくる。食べてみるとどれもじ
つに美味しい。コウヤさんは近所でも評判の料理名人だ。              
 「今年はいい梅がなくってね、梅干しを止めようかと思ってたんだいね・・」とコウヤ
さん。無理なお願いを聞いていただいた訳で、恐縮してしまった。          

五キロの梅と一キロの赤紫蘇をもみ合わせるコウヤさん。 一キロの塩を振りながら樽に漬け込み、十キロの重石を乗せる。

 外に出て梅干し作りの実際を見せてもらった。                  
 今日準備した梅は地元産の梅五キロ。あらかじめ六日間室内干しをして黄色く完熟させ
た梅だ。本当は木で完熟した梅がいいのだが、なかなかまとまって手に入らない。この梅
を水道の水で洗って、四時間水に浸けておいたもの。                
 梅のヘタは竹の爪楊枝でひとつひとつ丁寧に取り除いてある。ヘタが付いていると梅干
しになったとき食感が悪い。                           
 いつもは南高梅を買ってきて作るのだが、今回はそれがなく、地元の梅を買ってきた。
「ちょっと果肉が固いんだいね」とのこと。洗った梅はザルに上げて水を切っておく。 

 コウヤさんが袋に入った赤紫蘇を持ってきた。ざるに広げて異物がないかどうかをチェ
ックする。梅一キロに対して赤紫蘇二百グラムを使う。今回は五キロの梅なので一キロの
赤紫蘇を使うことになる。見た目にはすごい量だ。これを水で洗ってゴミや砂を取る。け
っこう砂が多いので注意深く洗う。                        
 大きなボールいっぱいの赤紫蘇に塩を振りかけて揉む。この時に酢を加えて真っ赤にす
る人もいるが、コウヤさんは塩だけでひたすら揉む。周囲に紫蘇の香りが漂い、コウヤさ
んの手が真っ赤に染まってきた。                         
 先ほどの梅と揉んだ紫蘇を大きなボールで揉み合わせる。紫蘇の香りが更に強くなる。
「チソはチリチリ葉のものがいいんだいね。種類によって色が変わるんだいね・・」黙々
と梅を揉み込むコウヤさん。いい紫蘇を使うのがいい色を出す秘訣だ。コウヤさんの額に
汗がにじんでいる。                               
 酢を加えるのではなく、梅を少し傷つけて揉むと梅の酢で赤くなる。コウヤさんも昔、
おじいさんに「ほら梅を切ってみろ・・」と言われて梅を切って揉んだそうだ。    

 プラ樽とビニール袋を持ってきたコウヤさん。樽は事前に日光消毒してある。「いつも
三十キロくらいの梅を漬けるんで、五キロなんて、なんだかママゴトみたいだいね」と笑
いながら樽にビニール袋を入れる。                        
 その中に揉んだ梅と紫蘇を入れる。塩は、梅一キロに対して百グラムを使う。今回は五
百グラムの塩を振りながら梅を入れる。並べて平らになるように入れる。       
 梅と紫蘇を全部入れたら、そこに焼酎を振りかける。これはカビ防止のためのもの。周
囲にカビが出ることが多いので、外側に多く振る。「こんな少し漬けた事は初めてだから
何だか変な感じだねえ・・」                           

 ビニール袋の空気を抜き、畳んだ上に中蓋を置く。その上に、梅の重さの倍の重石(お
もし)を乗せる。約五日で水が上がってくる。水が上がらないとカビる事が多い。漬ける
梅の量が少ないとカビる事が多いという。コウヤさんはいつも三エルから四エルの梅を使
う。大きな梅を使うと、水が上がりやすくなる。                  
 漬け込んで重石をおいた樽は冷暗所で保存する。コウヤさんの樽置き場にはたくさんの
樽が並べられていた。ここで漬け上がった梅を、土用の暑い日差しで三日間干せば、コウ
ヤさんの梅干しが出来上がる。                          

 作業を終えてちょうど昼時になったので、部屋に戻っていろいろ話を聞かせてもらうこ
とにした。「ちょっと待って下さいね・・」と言ったコウヤさんが、次々に料理を運んで
きた。「田舎料理で恥ずかしいんだけど、食べて下さい・・」と出された料理が凄かった
こと。朴の葉つとっこ、小芋の味噌炒め、炭酸まんじゅう、筍煮、かぼちゃ煮、お漬け物
、お赤飯、具だくさんの味噌汁・・・これには本当に恐縮してしまった。       

 美味しい料理を食べながら昔の話を聞いた。                   
 コウヤさんは十人兄弟の長女だった。昔はどの家も子供が多かった。この耕地には今、
家が十軒あり、八人が住んでいる。昔は七十人ほどの人が住んでいた。今の七倍の人が暮
らしていたことになる。                             
 コウヤさんの年代だけで十人くらいの同級生がいた。みんな、石蹴りや縄跳びや陣取り
などで遊び回っていた。耕地はいつもにぎやかだった。               
 小学校の入学式は着物だった。写真などもまだない時代で、その時の様子は記憶の中だ
けにしまってある。写真を撮るようになったのは四年生の時からだった。       

 コウヤさんは中学を出た後、家の手伝いをした。山仕事や畑仕事、何でもやった。  
 そして、十八歳の時に縁があって藤岡の医院に働きに出た。藤岡には一時間ほど歩いて
山を越え、小平のバス停からバスで万場、鬼石、藤岡と行った。朝早い山越えの道は夜露
で濡れていて、一時間歩くと足がびしょ濡れになったことをよく覚えている。     
 藤岡の医院は同郷の女工さんが多く来るところだったので、忙しかったけれど寂しくは
なかった。ここで二十一歳まで働いた。                      

 二十一歳の時、医院の先生から推薦されて、東京の豊島区にある裁判所関係の先生宅の
お手伝いさんとして働いた。二十六歳にお見合いで倉尾に帰って来るまでの東京での五年
間はコウヤさんにとっていい思い出になっている。                 
 結婚した相手は準治さん、三十一歳の大工さんだった。お酒が好きな人だった。長く連
れ添ったが、お酒で胃を患ったのが元で数年前に亡くなった。「貧乏もしたし、苦労もし
たけど、よく働いてくれた人だった・・・」四十年間、山崎工務店に勤めた。     
 美味しい料理を頂き、貴重な昔の話を聞いて、この日の取材は終わった。      

いつもニコニコと迎えてくれるコウヤさん。家の前で記念写真。 土用干し。漬けた梅の液を漉し、紫蘇を取り除いてザルに上げて干す。

 七月二十四日、今日から晴れて暑くなるということで、土用干しの取材に伺った。コウ
ヤさんは庭で土用干しに使うザルやバケツを準備していた。土用干しは、漬け込んだ梅を
天日に当てて乾燥させ、日持ちするように加工するもの。コウヤさんの梅は大きいので三
日間干すことが多い。                              
 干すと簡単に言っても手間が大変だ。ひとつひとつ触れあわないように並べ、半日干し
たら全部を裏返す。そして、夜にはまた元の樽に戻して漬け直す。これらの手間が大変で
「三十キロも干すと、お昼を食べてる時間がないくらいなんだいね・・」とつぶやく。 
 夕立の多いこの時期は特に神経を使う。雨に当てるとカビの原因になるので、夕立が来
そうなときは早めに収納する。                          

 前回漬けた梅の樽を開ける。樽の中の紫蘇だけ取り出して絞り、別のボールに入れてお
く。梅は金ザルで液を漉し、天日干し用の竹ザルに一個一個ならべて行く。ていねいに触
れあわないように並べるのが大変そうだった。並べ終わったザルを日当たりの良い場所に
置いて、土用干し最初の作業は終了した。                     
 漬け込んだ紫蘇の葉も干す。「これを乾かして刻むといい振りかけになるんだいね」と
言うので少しつまんで食べてみた。「これ。ゆかりだ・・」まさに振りかけの「ゆかり」
そのままの味だった。コウヤさんは「液」も干すという。こちらは様々な野菜を梅酢漬け
にするときに使う。夏にはピッタリの漬け物が出来上がる。             

土用干し。梅を均等に並べて干す。紫蘇も均等にならして干す。 いつもたくさんのご馳走が並ぶ。コウヤさんは料理上手。

 昔ながらの梅干し作り。様々な知恵が重ねられ、日本の食文化にもなっている梅干し。
手間を惜しまないことが良い梅干しになる。作業をつぶさに見ていると、その事がよくわ
かる。捨てるものがなく、全てが使い切れるのも、昔の人の知恵の賜なのだろう。