山里の記憶109


歌舞伎のかつら:黒沢シズノさん



2012. 8. 21



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 八月二十一日、猛暑の予報が出ている暑い日だった。小鹿野町の三山に歌舞伎のかつら
を作る人を取材に行った。黒沢シズノさん(八十一歳)がその人だった。       
 少々早く着いてしまったので、新しく建てられたご主人の石碑をじっくりと見た。シズ
ノさんのご主人は助男さん。五年前に七十八歳で亡くなられたが、板東三津十郎(ばんど
うみつじゅうろう)を名乗る、小鹿野歌舞伎の中心人物だった。この功績を称えた石碑が
建立され、その栄誉を今に伝えている。                      

 石碑には「若年より、和事(わごと)、荒事(あらごと)共に修得し芸域を深める。長
じて板東三津十郎を継承し、新大和座を興して各地で公演する」とある。       
 また、「昭和四十八年、歌舞伎保存会を結成、以後、幹事長、副会長、顧問を歴任。ま
た、演技、化粧、かつらの保持等、歌舞伎総てを体得しその業で後輩の指導尽力する」と
もある。そして「歌舞伎を初め、各種の功績により平成八年三月十日、埼玉県知事より文
化ともしび賞の栄に浴する」と結ばれている。この人がシズノさんのご主人だった。  

家のほど近くに建てられたご主人の石碑。その功績が素晴らしい。 川風が抜ける涼しい家で、いろいろ話してくれたシズノさん。

 石碑を見終わった私をシズノさんがにこやかに迎えてくれた。家に上がって、お仏壇に
挨拶をする。お茶を頂きながらシズノさんと四方山話をする。昔の父や母の話が出て胸が
熱くなる。話の中に出てくる知り合いが多い。                   
 シズノさんはご主人の話からしてくれた。それは当然自分の若い頃の話だった。生まれ
て育ったのは下小鹿野の津谷木耕地。津谷木歌舞伎が盛んな場所だ。昔から歌舞伎が演じ
られる場所で、シズノさんも演じたことがある。「お天狗様」と呼ばれる木魂神社のお祭
りでは、山の上の常設舞台で昔ながらの歌舞伎や舞踊が披露されてきた。       

 そんな地元の歌舞伎を指導していたのが黒沢助男さんだった。たった一度だけ演じた歌
舞伎の前に、化粧を施してくれたのが助男さんだった。運命の出合いだった。     
 本人は自覚してはいなかったと言うが、周りにははっきりとわかったらしい。シズノさ
んはそれ以来歌舞伎を演じることを禁じられた。当時、歌舞伎役者に対する偏見があった
と言われている。しかし、結ばれてしまった赤い糸。                
 その後のラブストーリーの詳細は省くが、シズノさん曰く「まるで、上原謙が主演した
『月よりの使者』みたいなストーリーだったんよ・・・」とのこと。山里で繰り広げられ
た波瀾万丈のラブストーリー。頬を赤らめてご主人を語るシズノさんが可愛らしい。  

 結婚し、大和座を手伝うようになったシズノさん。当時、かつら作りはお姑さんがやっ
ていた。お姑さんが亡くなってからシズノさんがやるようになったのだが、最初は大変だ
った。群馬県の上野村での興行前だった。夜中の二時までやっても出来上がらない。どう
やってもフラフラするかつらしか出来ない。見よう見まねで、仕事の合間にやっている事
なのだから、仕方ないことだったが、こんな難しいものだとは思っていなかった。   
 当時「こんなもん、踏んづぶしてえ!」って本気で思ったという。         
 何年か必死で工夫した。髪の止め方が分からない。工夫の結果、中差しが出来るように
なって、やっと形になった。何ごともそうだが、教わっただけではダメで、自分なりの工
夫がなければ形にはならない。                          
「もう五十年からやってるけど、いまだに勉強、勉強だいね・・・」とにっこり笑う。 

 歌舞伎座などプロの興行では、演目や演者が決まっていて、かつらは本人に合わせて作
る。しかし、小鹿野歌舞伎などの場合、演者は常に変わり、頭のサイズも変わる。同じ演
目でも子供歌舞伎になれば、それぞれ頭のサイズが変わる。多少のブカブカは詰めもので
対応するが、大きな頭に小さなかつらは入らない。                 
 大人であれば六十センチ鉢周りを中心にカツラを作るのだが、子供の場合はバラバラで
基準がない。一回の公演で全部合わせると六十から七十のかつらが必要になる。子供歌舞
伎の白波五人男などは、その都度結い直さなければならない。これが「ほんとに大変なん
だよ・・」とため息まじりに話すシズノさん。                   

 歌舞伎の興行は演者だけで成り立つものではない。郷土芸能は全てそうだが、音楽を演
奏する人、衣装を作る人、舞台装置を作る人、カツラを作る人などがいて初めて出来上が
るものだ。演じる人にばかり視線が集まるが、じつは裏方の方が脚光を浴びるべき存在な
のだと思う。                                  
 みんな、これが仕事ではない。好きだからこそやっている。裏方のボランティア精神が
総ての郷土芸能を支えていると言っていい。                    

 今、小鹿野町の中学校では歌舞伎の授業がある。学校で歌舞伎をやる子も多い。しかし
、学校を出てからも町に残って歌舞伎を続ける人は少ない。仕事は別だからだ。    
 シズノさんの元にも髪結いの技を伝承するために後継者が来ている。シズノさんは、何
人もの人ではなく、ひとりだけに技を伝えようとしている。             
 「本当に好きで、自分でもいろいろ工夫するような人でなきゃダメなんだいね・・・」
カツラひとつ結うのに半日くらいかかる。根気と情熱のある人でなければ出来ない事だ。

 話が一段落して、実技を見せてもらえることになった。階下の作業場には、百個以上の
かつらがひとつひとつ丁寧に収納されている。ひとつひとつのケースを開けて説明してく
れるのだが、歌舞伎の知識にうとい私には演目と役名すらおぼつかない。       
 「まあ、土用干しの時期だから、こうやって風を通さないとね・・」と、シズノさんは
やさしい。ズラリと並んだケースを見ながら、これを全部結い直すのか・・と少し呆然と
してしまった。                                 

百個以上の歌舞伎のかつらがある。ケースを開けて風を入れる。 元結(もっとい)を締めるのに力が入る。緩まないように締める。

 シズノさんが実際に髪を結う作業を見せてくれた。頭の形をした台にかつらを固定して
髪をほぐす。元結(もっとい)という髪を止めている和紙のひもをハサミで切ると、ざん
ばらなかつらになる。このざんばらな髪の毛を湯で拭いて滑らかにし、すき油を付けて櫛
けずる。櫛は高級なツゲの櫛を使っている。「高い櫛のほうが全然通りがいいんだいね」
とシズノさん。今使っている櫛は二万八千円の櫛だそうな。かつらの毛は人間の毛が使わ
れている。櫛が高級な方がいいというものよくわかる。               
 髪のクセを全部取り去ってからでないと髪を結うことは出来ない。きれいに揃ってくれ
ないからだ。しっかり櫛を通し、きれいに揃えたものをフワリと広げて、後ろ髪にまとめ
る。慎重に形を決め、元結できつく縛って止める。この元結を結ぶのが大変だ。緩まない
ように力を込めて、結ばなければ形が崩れてしまう。                
「今の若い子は力がなくってねえ・・」とつぶやくシズノさん。結び目に唾を付けると緩
まない。これは釣りの結び目作りも同じこと。                   

 後ろ髪の次は横鬢を漉く。きれいに揃えて曲線を描くように髪をまとめ、緩まないよう
に元結で止める。左右、同じ形に止める。文字で書くと簡単だが、これは素人では絶対に
出来ない技だ。一箇所で止めるだけで微妙な曲線を作るなんて、熟練の技としか言いよう
がない。両側の髪が決まると髪型は見えてきた。「つぶし島田」という髪型だ。    
 前髪を束ねたものをアンコをかませて丸く仕上げる。これも元結できつく固定する。最
後に髻(もとどり)に集まった全ての髪の毛をまとめて、丁寧に漉き、髷(まげ)の仕上
げに入る。手品のようにクルクルとまとめると、立派な「つぶし島田」が結い上がった。
 これに縮緬の髪飾りを巻き花かんざしを差せば、「つぶし島田」かつらの出来上がり。
このカツラは若い腰元役や若い娘役に使われる。                  
 約一時間で出来上がったが、これはあくまで説明のためのもの。実際にきちんと作ると
半日くらいかかる手間作業だ。                          

「つぶし島田」という髪型が結い上がった。素晴らしい技だ。 取材を終えた私を、外まで見送ってくれたシズノさん。

 かんざしもシズノさんの手作りだ。年に一度は浅草にかつら用の小物を買いに行く。ま
た、百円ショップで買ってきた小物で小道具やかんざしを作ったりもする。好きだからこ
そ、自分なりの工夫をする。                           
 大好きだった「うちの人」のためにがんばってきた。衣装も作った、かつらも作った。
小道具も作った。全力で「うちの人」の歌舞伎を支えてきた。「もう、あたしも歳だから
・・」と言いながらも、「うちの人」が残してくれた歌舞伎への思いは強い。     
 小鹿野歌舞伎が有名になった今、シズノさんは「裏方の頑張りを見て、応援してもらう
とすごく嬉しい・・」と顔を輝かせる。