山里の記憶112


かてめし:西トリジさん



2012. 10. 7



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 十月七日、かてめしの取材で秩父に行った。取材させていただいたのは、秩父市内、中
宮地(なかみやじ)の西トリジさん(九十一歳)だった。挨拶をして玄関を入るとにぎや
かな声がする。掘りごたつのテーブルには近所の人が四人も集まって何やら楽しそうに話
し込んでいる。さっそくその中に入れてもらう。                  
 テーブルの上にはお茶請けなのか、お昼ご飯なのか、たくさんのご馳走が並んでいる。
「どれでも好きに手を出してくんないね・・・」とトリジさんから声をかけられ、お茶を
飲みながら、少しずつつまんで食べてみる。どれも美味しい料理ばかりだ。      

 カボチャの煮物は、水を使わずほっくりと煮上げた絶品。砂糖と少しの塩を振って三十
分置いてから煮る。焦がさないように付きっきりで鍋を振りながら煮ると、十分でこの味
に煮える。「両手で鍋を振るんだい。十分だからトイレだって我慢するんだいね・・」と
トリジさんの声が明るい。                            
 ゴーヤの佃煮は、一センチに刻み二分くらい湯がき、汁を切る。それを、醤油、酢、ザ
ラメ、上白糖、鰹節、ゴマで煮きったもの。ねっとりと美味しい。          
 栗の渋皮煮は、皮を剥くのが大変だった。「渋皮をちゃんと残すんが大変なんだい」と
のこと。重曹で三回水を替えてアクを流し、砂糖と少しの塩で煮る。こちらはじっくりと
ストーブで、柔らかくなるまで煮る。芯までねっとり甘い渋皮煮だった。       
 他にも、インゲンとニンジンを炒め煮にしたもの。ニンジン、小芋、薩摩揚げ、コンニ
ャクの煮物など、たくさんの料理が出来ていた。                  
 驚いたことに、これらの料理は、今年で九十一歳になるトリジさんが全部自分の手で作
ったものなのだ。本当に料理上手のおばあちゃんで、この味に引かれて大勢のお客さんが
集まってくるのかもしれない。どの料理もトリジさん流のひと手間が加わっている。  

具の材料を刻んで煮る。料理上手のトリジさん、動きに淀みがない。 出来上がったかてめしを茶碗に盛り分けてくれたトリジさん。

 そんなトリジさんにかてめしの作り方を教わった。かてめしとは、秩父弁の「かてる」
(加える・足すという意味)から来ている。昔、主食の米が豊富にないとき、様々な野菜
や芋類などを加えて腹いっぱいになるようにしたご飯のことを「かてめし」と言った。 
 土地柄や家々によって内容はまったく違う。吉田の石間で取材した家では、大鍋でお粥
を炊き、そこに野菜を入れて野菜雑炊のようにしたものを「かてめし」と言った。   
 多くは主食不足を補うご飯であったが、この家のかてめしは少々事情が違う。トリジさ
んのかてめしは埼玉県立川の博物館が発行している「秩父のおごっつぉう」という本に、
郷土料理として収録されている。タイトルの通り、このかてめしは「おごっつぉう」(ご
馳走)なのだ。                                 

 かてめしのご飯は酒と油を入れて照りが出るように炊く。具のニンジン、ゴボウはささ
がきにし、ゴボウは酢を二から三滴たらした水につけてアク抜きをする。油揚げ、椎茸、
こんにゃくは細かく刻み、砂糖、醤油、塩少々で煮る。               
 酢と砂糖、塩を火にかけて良く溶かした調味酢を作る。トリジさんはこの調味酢を常に
作ってビンに保存している。                           
 炊きあがったご飯を飯台に移し、調味酢を入れて切るように混ぜ、酢飯にする。そこに
煮込んだ具を加えて。さらに切るように混ぜる。                  
 まんべんなく混ざったら器に盛り、生姜漬けや青味のインゲン、薄焼き卵の千切りや海
苔などを飾れば、おごっつぉうのかてめしが出来上がる。              
 手早く作られた味噌汁がお椀によそられ、かてめしが茶碗に盛られテーブルに並ぶ。 
「さあさあ食べておくんない・・」進められるままに箸をつける。          
 じつに豊かな味が広がるご飯だった。具の味がしっかりご飯にも染みている。噛むと、
様々な具の歯ごたえが口中を楽しませてくれる。「たしかにご馳走だ、これは・・」  

かてめし、味噌汁、その他ご馳走がいっぱい並んだ食卓。 かてめしやおいしい料理を食べながら話が弾む。お客さんがいっぱい。

 美味しいご飯を頂きながら、トリジさんに昔の話を聞いた。トリジさんは下寺尾の農家
で生まれた。「おじいさんが一年で一番いい日に生まれた・・って言ってたいね・・」 
酉年、十二月二十七日の生まれだった。「酉年だから名前がトリなんだい・・」と笑う。
「にくい嫁からかわいい子が生まれたもんだい・・なんてよく言われたいね・・」嫁姑の
問題は昔からどの家でもあったこと。                       
「あたしなんか学校の本が、はなはとまめますみのかさ・・なんだよ。みんなは、さいた
さいたさくらがさいた・・だったんだろ」と、一人だけ古い世代だと強調する。見た目は
みんなと変わらないが、九十代だということをあわてて思い出す。          

 トリジさんの思い出のかてめしを教えてくれた。家では大きな味噌樽にナス、ゴボウ、
大根、キュウリなどの野菜を味噌漬けにして保存していた。お母さんが作ってくれるかて
めしには必ずナスの味噌漬けだけが使われていた。                 
 味噌漬けのナスを刻んでお米と一緒に炊くと、ナスから浸みだした味噌の味がご飯に移
って、それはそれは美味しいかてめしになったのだ。懐かしい母の味だ。       

 飼っていた豚を買いに来る人がいた。その人が、年に一度、豚の臓物を持って来てくれ
た。じっくり煮て食べるのが美味しかった。肉を食べる機会なんてその時くらいしかなか
った。子供心に待ち遠しい事でもあった。                     
 寺尾は水の少ない土地で田んぼがなく、畑ばかりだった。家ではタバコの栽培をしてい
た。「ヤニがたかるんで大変だった。専売公社が調べに来て、一本でも多く作ってると、
えら怒られたもんだった・・」タバコの乾燥小屋の匂いが忘れられないという。    

 寺尾から中宮地に嫁に来た。嫁に来た先は機(はた)屋さんだった。「柴っぱのような
嫁が来た・・」なんて言われた。農家の多い秩父では、豊かな家に嫁いだことになる。 
 しかし、機屋さんには機屋さんの苦労があり、苦悩があった。時代に翻弄される日々が
続いた。生糸相場の乱高下、輸出生糸の不振から秩父銘仙までもが不振産業になる。  
 そして大きく時代が変わった合成繊維の出現。秩父の中での競争よりも、日本中を相手
にした産地間競争が激しくなる時代。花形産業だったからこそ、その変遷は激しかった。
 ご主人は機屋を止めるのが早かった。後の時代の混乱を見ると、良い判断だったとトリ
ジさんは言う。そのご主人も十三年前に亡くなった。トリジさん七十八歳の時だった。 

中がにぎやかだったので、外でいろいろな話を聞かせてもらった。 息子さんとお孫さんが飼っているというメダカを見せてくれた。

 それにしても、この家は千客万来の家だった。朝、来た時には四人の人がいて、二人が
帰って、今は別の三人がここに来ている。みんな、普通に入り込んで来て話に加わり、ご
飯を食べ、洗い物をして帰って行く。                       
 何なんだろう?この家は・・感じた疑問を、さりげなくトリジさんに聞いてみた。  
 いきなり、隣の人から返事が来た。「肝っ玉母さんなんだいね。何を聞いてもびくとも
しないよ・・」他の人からも「トリちゃんは聞き手日本一だいね・・」と答えが返る。 
 どうやら、皆さん話を聞いてもらいたくて集まってくるようだ。トリジさんの人柄なの
だろう。トリジさん自身もこんな事を言っていた。                 
「よその悪口を言ったりしないから人が来るんだいね、なんでもわかってるかんねえ」 
「今は嫁の愚痴をする人べえだいね。若い人の愚痴はみにくいからやめろって言うんだい
ね・・昔から比べたら楽なもんなんだから・・・」                 

 どうやら、人生相談やら、愚痴こぼしやら、なにくれない相談やらで多くの人が来るの
らしい。十七代続いた旧家の主として揺るぎない場を構えている。          
 息子の文雄さん(六十五歳)も素晴らしい人柄で、秩父中から人望を集めている。この
母にしてこの子ありという姿が羨ましくもある。                  
 文雄さんが昨日採ってきたというクロダイコク(ムレオオフウセンタケ)を見せてくれ
た。十五キロものクロダイコクがカゴに入っている。貴重な野生のキノコだ。「これを切
って干して置くんだい。それをかてめしにすると、えれえ旨えんだい・・」      
 もちろん、作るのはトリジさんの手で。食べてみたい・・と、心の底から思った。  

 元気なトリジさんが明るく笑いながら言う「百歳まで生きたら、龍勢を上げてもらうん
だい・・」トリジさんなら間違いない。是非その時は一口乗せてもらいたいと応えた。