山里の記憶
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枝もの栽培:黒澤充雄(みつお)さん
2013. 3. 2
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三月二日、小鹿野町両神薄の今神(いまがみ)という耕地に、黒澤充雄(みつお)さん
(七十六歳)を訪ねた。枝もの栽培という聞き慣れない栽培物の取材だった。
枝ものとは、華道などで使われる花木の枝や草木を栽培して出荷することを指す。充雄
さんは四十五年ほど前から、自分の山に様々な花木を植えて枝ものを出荷している。自分
でも売り物になるかどうか半信半疑だったという栽培だが、始めるきっかけは一年間通っ
た農業大学(埼玉県立農業総合伝習所)で教えてくれた先生のひと言だった。
先生が家に来て、充雄さんの山を見て「枝ものをやったらどうか…」と言ったので、勉
強する気になった。
NHKラジオ農業学校のテキストで勉強し、川口の産地農家を訪ねて勉強した。三十歳
くらいのころだった。その時の農家に譲ってもらったサンシュユの原木は、今でも大事に
育てている。その農家さんが言うには「売り口なんぞいくらでもある……」ということだ
った。その時は知らなかったのだが、各地にある花市場のことだった。
当時、枝もの栽培が盛んだった川口は、高度経済成長による宅地化の波で、廃業する農
家が多くなっていた。その事情を知った充雄さんは「これは、行く末秩父でも商売になる
かもしれない……」と思ったという。先見の明だ。
充雄さんは枝ものだけでなく、花や栗やぎんなんの栽培も人に先駆けて地区で最初に始
めた。多くの人が追随する時には、いち早く違う作物を作っているような人だった。
炬燵で「枝もの栽培」について、いろいろ話を聞かせてもらった。
充雄さんの山へ向かう。いつもこの道をバイクで走っている。
枝ものは、当初普及所が呼びかけ、村役場の援助を得て、五人で生産を始めた。最初は
アカメヤナギや石化柳など生花材料になる枝ものを栽培したが、病気になるものが多く、
良い成績が出せなかった。黄色いカビが出る病気にかかってしまった。
サクラは天狗病が出るし、ホタルブクロは最初はいいのだが、年々花が小さくなった。
花も花木もいろいろ混ぜて植えなければダメだということがわかった。
充雄さんの山には様々な木が植えてある。クロモジ、マンサク、ホウノキ、サンシュユ
、ツツジ、ダンコウバイ、キブシ、ヤマボウシなど、全部合わせると七十種類以上の草木
を植えて育てている。
「あんなもんが売れるんかさあ?……」と最初は思っていたが、自分で華道の勉強をする
と面白さがわかってきた。家の壁には華道の免状が掲げられているほど、秩父の先生に付
いて本格的に勉強した。華道のイロハを知らないと枝ものは作れないし、売れない。
「最近はお花の稽古をする人が少なくなったいねぇ……」花が売れなくなったという。
今の作業はモモが先週終わり、サンシュユがメインになっている。モモは桃の節句に合
わせて出荷しなければならず先週は大忙しだった。時期を過ぎると価値がなくなるので、
二月二十五日までに咲かせて市場に出す。この時期だけは本当に忙しい。
モモの枝は、明るい所に置くと葉の緑色が濃くなる。日光を遮蔽して暗い所に置くと葉
が白くなり花の色が目立って良い。日光を遮蔽するには光を通さないシートを掛ける方法
が簡単でいい。昔は地下室を作ったりしたが、運搬が大変なのでやめた。
三町歩の山に様々な木を植えて育てている。草刈りが大変で、一年のうち延べ百日は草
刈りをしているようだと笑う。「草が伸びてる間はずっと草刈りだいなぁ……」
山の斜面にはオオスズメバチの巣がある。知らずに草刈りをしていると、いきなり刺さ
れる。毎年オオスズメバチには刺されるが、一度頭を五箇所も刺された時はもうダメかと
思ったそうだ。逃げて木の枝を持って伏せたのに、オオスズメバチは木の枝を伝って目の
前まで歩いてきて頭を刺したという。十月三十一日の事だった。恐ろしいことだ。
蜂以外にもイラガという毛虫に刺されると蜂と同じくらい痛い。葉の裏に付いていて、
見えないのでやっかいだ。夏に半袖で刺されたりすると、とにかく痛い。治療法はない。
山の動物たちも悪さをする。ウソという鳥はサクラの花芽を食う。花芽がよく付いてい
るなあ…と楽しみにしていたらウソにみんな食われたことがある。
鹿はサクラの枝をかじる。同じ高さの枝ばかり折りかじってある。「歯磨きでもしてん
のかねえ?……」と不思議がる。広い山を歩いているだけで、今まで十一本も鹿の角を拾
った。納屋の柱に束にして吊ってある。「なかなか二本揃ったのがなくてね……」
熊に逢ったこともある。家から三十分くらい歩いた山の中だった。どうやら子供がいた
らしい。正面から威嚇されて怖かった。六月二十二日、夏至の日だった。
話は尽きなかったが、山を見せてもらうことにして二人で山に向かった。沢沿いの林道
を上流に歩き、途中から右手の山道を登る。「ここはいつもバイクで走ってるんだい」と
すごいことを言う。バイクは九十CCのものと百十CCの二台を使っている。パワーがな
いと急坂を登ってくれない。
尾根を越えたところが充雄さんの山。柿の木がある。すべての柿の木にトタン板を円柱
状にしたものが取り付けられている。熊除けだそうだ。こうして置くと爪が引っ掛からず
木に登れないのだそうだ。熊対策には有効な方法だとのこと。
ここに来るまでにキササゲ、マンサク、ムクゲが植えられていた。柿の木の先にホウノ
キがあった。ホウノキは葉の芽が売れる。コブシは蕾が生薬で売れる。
サンシュユの木が生い茂っている。裏まで花芽がついている枝を百二十センチくらいに
切って売る。サンシュユは花が咲かないこともある。毎年同じように花が咲かないので難
しい。花は一分か二分までが出荷の限度で、それ以上咲くと売り物にならない。
急斜面の道にヤンマーのバックホーが置かれていた。これは冬の間に道を整備するのに
使う。充雄さんがバイクで山周り出来るよう、道は常に整備しなければならない。
来年出荷予定のモモの枝。二年目の枝が一番良いという。
玄関の土間に薪ストーブ。家のボイラーも薪で湯を沸かすもの。
この山の下には畑がある。畑にはモモとキリシマツツジが植えられている。モモは出荷
が終わったばかりで、大きな切り株が坊主頭のようになっていた。
自宅近くにも畑があり、そこにはビリョウヤナギ、東海ザクラ、利休梅、ケムリノキ、
ヒメミズキ、トサミズキ、ナンテン、アジサイ、チョウセンレンギョウ、セイヨウリョウ
ブなどの花木の他にも、シャクヤク、オトギリソウなどが所狭しと植えてある。
出荷する花や枝は珍しい物がいい。他の人が出さないものに値が付く。時にはシャガの
葉だけを出したりする。四本揃ったきれいな葉は良い値が付くこともある。人と違うもの
を出荷するのが面白い。
出荷は花市場が月、水、金なので、火、木、日に出荷する。吉田にある出荷小屋に自分
で運ぶ。午後四時半までに置いておくと、運送屋が夜に集めて花市場に運んでくれる。
出荷する花市場の札を付けておくだけで、そこに運んでくれる。どの花市場に出すかも
値を決めるポイントとなるので面白い。今は五つの花市場を使っている。
花市場からいくらになったかの連絡がハガキで来る。そのハガキを見るのが楽しみだと
言う。どこに出していくらになったかが後でわかる。自分の狙いと結果がどうなるかが面
白い。「山から採ってくりゃあ、あとは腰掛け仕事なんでいいやねえ……」と笑う。
バイクは二台ある。これは郵便配達で使われていたもの。
枝処理をする部屋。ここで枝ものを製品にして出荷する。
その腰掛け仕事を見せてもらった。山で採って、バイクで運んできた枝はハウスの小屋
に運ばれる。この部屋で長さや束を調整して出荷する状態にする。使う道具は少ないが慣
れている道具がいい。刃物は値が高くても良いものを使う。長く使う効率を考えると、そ
の方がずっと効率的だ。道具類には赤いテープが巻いてある。聞くと、山で落としたとき
など発見しやすいからだとのこと。
充雄さんが道具の中でも「この機械は家宝だ…」という一つの機械がある。小さな結束
機だ。手動で枝の束をビニールヒモで結束するものだが、古い機械なので大事に大事に使
っている。機械で使うビニールヒモも自分で既製品を細く裂いて作っている。
「そういえば、面白い道具を作ったんだよ…」と言って充雄さんが見せてくれた道具があ
る。長い竹竿の先に射し込んだのは、ロープの付いたカギ状の金物。これを高い木の枝に
引っかけ、竹竿を外してロープを引っ張れば、高い木の枝も楽に伐ることが出来るという
優れもの。トラックロープを使っているので、かなり太い枝でも下に曲げられる。この道
具のお陰で、高い枝の刈り取りが随分楽になったという。
何でも自分で工夫して自分で仕事を作ってきた。工夫と勉強は誰にも負けなかった充雄
さんだが、「これだけ頑張っても、これだけで食っていくのは難しいやなあ。後継者なん
て無理な話だいねえ……」と声が落ちる。山村で安定収入を得る道は少ない。