山里の記憶
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しめ豆腐:斉藤達海(たつの)さん
2013. 4. 3
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四月三日、小鹿野町三山下郷の斉藤達海(たつの)さん(七十一歳)を訪ねた。朝から
雨が降る寒い日だった。今日は、お祭りの時にだけ作るという料理「しめ豆腐」の取材を
させてもらうことになっていた。
ここ三山下郷耕地は飯田の八幡神社の近くで、お祭りと言えば八幡神社の例大祭のこと
を指す。八幡神社の例大祭は毎年十二月の第二土曜日と日曜日に開催され、「鉄砲祭り」
という名前で親しまれている。
三百を超すと言われている秩父のお祭りの、最後を締めくくる有名なお祭りだ。日曜日
の午後に行われる「お立ち神事」がお祭りのハイライトで、これを見たさに早くから場所
取りをする人も多い。近郷の猟師が集合し、空砲を一斉に撃つことでも有名な奇祭だ。
私が子どもの頃も、参道一杯の出店を回るのが楽しくて、小遣いを握りしめて何を買お
うかと、ひたすらうろうろしていた。イカ焼きの匂いや、焼きまんじゅうの匂いが漂う雑
踏が楽しくて楽しくて、夜までお祭りを楽しんだものだった。
このお祭りには大勢の人が集まる。この地区の人にとっては、お盆や正月よりも大事な
人寄せで、この時は本当にたくさんのご馳走でお客様を迎える。家によっては一週間くら
いかけて来客のためのご馳走を作る。
達海さんの家もそうだった。二日間くらいかけてご馳走を作り、親戚の人を迎える。
達海さん本人はお祭りを見に行くことが出来ない。それくらいお接待に忙しい。そのお
祭りの時に作る料理のひとつが、今回の「しめ豆腐」だという。
炬燵に入って、ご主人の進さん(七十三歳)にお祭りの話などを面白おかしく聞かせて
もらった。本家の長男で兄弟が六人、子供が四人と聞けば、お祭りの時にどれだけの人が
来るかがわかる。「十畳の部屋が、人でいっぱいになるからねぇ…」と進さん。
その人たちに食べてもらい、お土産に持って帰ってもらう料理なのだから、その種類や
量はすごいことになる訳だ。
「しめ豆腐は旨いやね、これべえ食う人もいて、すぐなくなっちゃうんだい…」と笑う。
秩父は桃の花が満開の時期だった。桜は二分咲きくらいの時期。
竹簾で豆腐を巻く。きっちり、きつく巻くと竹の後がつく。
達海さんが台所に立つ。「簡単なんだよ…」と言いながら、しめ豆腐作りが始まった。
材料は木綿豆腐。昔は自分の家で大豆を煮て豆腐から作ったが、今は市販の木綿豆腐を
買ってきて作る。この豆腐を竹の簾(す)で巻く。丸い竹を編んだ簾で巻くと、出来上が
った時に表面の模様がきれいに出る。
今回は四丁の豆腐を簾で巻いた。簾で巻いた豆腐が楽に入る大きな鍋が必要だが、大量
の料理を作り慣れている達海さんの家には、そんな大鍋がたくさんある。
きつく巻いて大鍋に入れ、給湯器からお湯をたっぷり注いだ達海さん。水から煮てもよ
いとのこと。「水からじゃあ、時間がかからいねぇ…」お湯が出る機械があるのだからそ
れを使う。当然のことだ。
強火にかけ、沸騰させる。フタを取って、ぐらぐらと煮る。煮こぼれないように注意す
る。これは煮て固くするためなので、そのまま三十分くらい煮る。
「もういい頃かね…」と言いながら達海さんが固さを見る。箸で片側を持ち上げて指で触
る。「もう少し固いほうがいいかね…」と言う。
「固くした方が旨いんだいね…」と炬燵の進さんも言う。「固く煮しめるんで、しめ豆腐
って言うんだと思うんだいねぇ、由来はよく知らないけどさぁ…」
煮上がった豆腐を鍋から出して、簾を開く。豆腐にはしっかり簾の模様がついている。
これを濃いタレがたっぷり入った大鍋で、今度もじっくり煮込む。大鍋にはまるで蒲焼
きのタレのような強い香りのタレがたっぷり入っている。
タレの中身を聞くと「目分量だかんねぇ…」と言いながら教えてくれた。
醤油カップ二杯、みりんカップ半分、酒カップ一杯、砂糖カップ半分に出汁の素を加え
たもの。甘辛さがとても濃いタレだ。煮ている豆腐から汁が出るから、濃いめの方がいい
のだとのこと。しかし、大量だ。この量を作るのだから、人寄せの料理なのだとわかる。
少しだけ作るのはちょっと難しそうだ。
給湯器のお湯をたっぷり注ぎ、強火で三十分くらい煮る。
固く煮た豆腐を、タレで更に三十分くらい煮込んで冷ます。
タレが煮立ち、ぶくぶくと泡が立つが、気にしないで三十分ほど煮る。煮終わってから
冷めるまで鍋に入れておくと味がよく染み込む。豆腐の外側が蒲焼きの色になってきた。
煮えた「しめ豆腐」を達海さんが切ってくれた。おかめ笹の蕎麦ザルに盛られたしめ豆
腐が出て来た。このザルは進さんが自分で作ったものだという。まずは写真を撮ってから
食べさせてもらった。
表面が固く、甘辛い味に包まれているが、中身は豆腐のやさしい味で、噛んでいるうち
に全体が混ざり合い、なんとも言えないおいしさになる。ちょうど濃い味の厚揚げのよう
な食感になる。蒲焼きのタレのような香りも食欲をそそる。
「本当に旨いですよ、これ…」「そうだんべぇ、好きな人が多いんだい…」
甘さが華やかで、たしかにお祭りの味だ。
しめ豆腐を食べながら達海さんと進さんに昔の話を聞いてみた。
若い頃、進さんは養蚕に打ち込んでいた。稚蚕飼育が上手で、近所のみんなにお蚕を二
眠(にみん)で分けてやっていた。コンニャクが一俵二万円で売れた時代で、コンニャク
作りにも精を出した。同級生でひとりだけ農家を継いだ進さんだった。
そんな進さんだったが、ある時、知り合いに見合いを勧められた。お相手は達海さん、
吉田の芦田という耕地の人だった。芦田といえば椋(むく)神社のあるところで、達海さ
んは、椋(むく)神社の宮司さんの娘だった。
昭和四十一年、進さん二十七歳、達海さん二十五歳の時、ふたりは結婚した。
結婚式は小鹿野の山喜屋で挙げた。自宅で披露宴をしなくなった最初の世代くらいだっ
ただろうと言う。それまでは両家で披露宴をするのが一般的だったが、二人が結婚した時
くらいから、大きな会場を借りて結婚式をするのが一般的になっていった。
長男の嫁に来た達海さんは苦労した。家には小姑が二人いて、おばあさんは寝たきりだ
った。若い嫁が大変なのは、どこの家でも同じだったが、それに加えてここには、毎年八
幡様のお祭りのお接待があった。
八幡様のお祭りでの盛大なお接待料理は昔から同じだった。「大変だったでしょう?」
と水を向けると「おばあさん言われたんだいね、オレがやってきたんだから、お前もやり
ないって…そう言われちゃうとねえ……」と苦笑する達海さん。
大変な暮らしだったが、コンニャク作りに夫婦で精を出し、子供四人を育て上げた。
女二人と男二人の子供たちだが、今はそれぞれ家庭を得て、孫もいっぱいいる。
子供たち家族、そして、進さんの兄弟六人と連れ合い、甥、姪、が連れだって、八幡様
のお祭りを楽しみに毎年やってくる。
「田舎だから、楽しみはそれしかなかったいねぇ…」と言う達海さん。
盛りつける。甘辛い外側と淡泊な内側のミックス加減がおいしい。
自分で作ったおかめ笹のカゴを持って、笑顔の進さん。
八幡様のお祭りに毎年大鍋で料理を作り、親戚を迎える。その二日がかりで作る料理の
種類と量の多さを聞いて驚いた。
こんにゃくは芋から作る。これは作るのに時間がかかるので、前もって作る。そして味
付けをして煮込んでおく。しめ豆腐も大鍋一杯、作って味を染みこませておく。
前の日に五升の小麦粉でうどんを作り、ショウギ(大ザル)にボッチ(玉)にして並べ
ておく。二つの大きなショウギに、ボッチが二段で重なる。
赤飯を二升炊く。お稲荷さんを四十個作る。かんぴょうを甘辛く煮込んだものを芯にし
て、のり巻きを10本作る。ご飯は電気釜で炊くのだが、フル回転で炊く。
煮物は、こんにゃく、さつま揚げ、にんじん、サトイモ、大根を大鍋で煮て、味を染み
こませておく。大根とにんじんの酢の物を深皿に作っておく。
お祭り前の一週間は「四つ足の肉を食べてはならない」ということになっている。従っ
て、豚肉や牛肉の料理はない。ハムもだめだった。でも、鶏とウサギは大丈夫だった。
最近は、長男の嫁が買ってくる揚げ物やサラダなどと、達海さんの煮物などを交換して
バリエーションを増やしている。嫁の実家で蕎麦を作ってくれるので助かっている。
お客様には料理を手みやげにして、持って帰ってもらう。その手みやげ分も作るのだか
ら大変な訳だ。留守を守っている人の為の手みやげで、これは昔からの慣習だ。
「お祭りは見られないけど、みんなが喜んでくれるんが嬉しいやねぇ…」「今度はお祭り
の時に来なよ、ひとり増えたって変わんないからさぁ…」と笑う達海さんだった。