山里の記憶144


熊汁:山中毎代(つねよ)さん



2014. 1. 30



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 一月三十日、秩父市大滝の栃本に熊汁の取材に行った。猟師の山中隆平さんが、この冬
獲った熊肉があるからということで、熊汁の取材が決まったものだった。熊汁を作り慣れ
ている友人の山中毎代(つねよ)さん(七十二歳)が家の横の猟師部屋で作ってくれた。

 熊肉はあばら付近の上等な柔らかい肉で、脂身もたっぷりついている。これを約一キロ
細かく刻む。「これを使いなよ…」と隆平さんが出した猟師ナイフで毎代さんが肉を刻み
始めた。「あらほんと、よく切れるわ」と驚いている。このナイフは山で獲物を解体する
のに使っているナイフだから、よく研いである。                  
 肉を刻み終わったら次は野菜を刻む。地物のゴボウはササガキにする。柔らかく味の良
いゴボウだ。大根は冬越しの聖護院大根、これは短冊に切る。昨年はろくな物が出来なか
ったというニンジンは小口切り。里芋は皮をむき、大きさによって半割か四つ割りに。匂
い消しのニンニクと生姜も刻む。                         

栃本は急傾斜の畑ばかりだ。山には雪が残っている。 熊肉を切る毎代さん。熊肉は猟師の山中隆平さんがこの冬獲ったもの。

 猟師部屋のストーブに鉄鍋をかけて熊肉を入れる。薪を燃しているので、すぐに熊肉が
ジュクジュクと焼けてくる。隆平さんが「そのまま炒めるんだい。脂がいっぺえあるから
焦げねぇから」と声をかける。毎代(つねよ)さんは木じゃくしでかきまわす。ニンニク
と生姜を加えて炒める。ジューっという音が立ち、肉の色が変わってくる。いい匂いがし
てきた。                                    
「でも、すごいよね。この脂を体中にため込むんだもんね…」と毎代(つねよ)さん。 
「この脂が旨めぇんだぃ。脂だけ取っといて、野菜を炒めても旨めぇよ」隆平さんが教え
てくれる。                                   
 さらに、ササガキのゴボウを加えて炒める。ニンジンと里芋を加えて炒める。最後に大
根を入れて、鉄瓶のお湯を鍋一杯に注ぐ。ここまで流れるように作業が進んでいる。  

 ここまで見ていて、ふと疑問に思った事があった。熊肉は臭みがあるので茹でこぼしを
しなければいけないとか、酒で煮ないと柔らかくならないという話を聞いていたし、自分
が煮た時も三回ほど茹でこぼしたものだった。とにかく煮方が難しいという印象があった
ので、隆平さんに聞いた。すると返ってきた答えは…「熊肉は臭くないよ。普通に炒めて
煮ればすぐに食えるよ。四時間も五時間も煮るなんてこたぁねぇよ」というもの。ポカン
としてしまった。                                
 どうやら、解体時の処理の問題らしい。血抜きがきちんと出来て、真空冷凍してある肉
は獣臭がしないという。そこで、熊肉の解体について聞いてみた。          

 獲物の熊はまず皮を剥ぐ。次に腹を出して血抜きをする。内臓は、昔は食べたが今は食
べない。腹を出して血抜きをしたら、大ばらし(大きくいくつかに切り分ける)にして、
人数に分けて背負い降ろす。家か猟師小屋で骨抜きをする。今は骨は利用しない。   
 熊肉は捨てるところがないのだが、上等な肉はモモ肉、背ロース、あばら肉など。参加
した人数に応じて平等に切り分けて持ち帰る。隆平さんはすぐに真空パックして、日付を
書いて冷凍する。自宅には大きな業務用の冷凍庫があり、獲物の肉が保管されている。 

 鉄鍋がグラグラと煮えている。毎代(つねよ)さんはお玉でアク取りをする。「アク取
りは大事だからね」と隆平さんが声をかける。毎代さんはむろん承知しているとばかりう
なずく。グラグラと煮立った鍋には熊肉のアクが大量に浮くので、それを全部取る。  
「こうやって薪の火で煮るから肉も柔らかくなるんだいね。ガスだとどうしても固くなる
よね…」肉を柔らかく煮るには強い火力が必要だということらしい。豆を炊く時もストー
ブで炊くと、強い火力でふっくらと炊きあがるとのこと。              
 アクを取り終わって、大根が煮えているかどうかを確認して、味噌で味をつける。味噌
は隆平さんの奥さんのミヤ子さんが作ったもの。お玉で豪快に二つほど溶かし入れた。 

熊汁は味噌味。最後の最後に味噌を入れて味をつける。 作業が一段落して、一休みしている毎代さん。

「里芋が煮えたら、ネギを切って入れれば出来上がりだぃ…」隆平さんの言葉に、毎代 
(つねよ)さんが里芋に竹串を刺す。                       
「いいみたいだね。じゃあ、ネギを刻むかね…」外の流しでネギを洗って刻む毎代さん。
一センチの小口でザクザクと切る。それをザッと鍋に入れ、フタをする。「ネギはすぐに
煮えるかんね…」                                
 こうしてなんと一時間もしないうちに熊汁が出来上がった。う〜〜ん、肉が違うだけで
こんなにも簡単に熊汁ができるものなのか…と唖然としてしまった。         

 一通りの作業が一段落したので毎代(つねよ)さんに昔の話を聞いてみた。     
「小さいときは芋のしっぺたを二階で拾って食べたりしたもんだよ…」毎代(つねよ)さ
んは大滝では一番下(しも)の強石(こわいし)の巣場(すば)という耕地の生まれだ。
 大滝に入ってすぐ、国道の川向こうに見える耕地だ。昔、鳥の巣がたくさんあったこと
からこの名前になったらしい。                          
 高校を出て看護婦になった毎代さん。秩父市立病院で三十五年間働いた。結婚したのは
二十三歳の時だった。お相手は、ここ栃本出身の徳明(よしあき)さん。大滝役場の職員
だった。「いい時代にお世話になれたんで良かったいねぇ…」と当時を振り返る。   
 二人は秩父市内の日野田に住み、二人の子供を育てた。三十五年働いて定年になり、十
二年前、徳明さんの実家である栃本に移り住んだ。                 

 鍋のフタを取ると熊汁が出来上がっていた。ネギも煮えている。          
「こうやって火が燃せるから、あたし山が好きなんだぃね…」という毎代さん。働いてい
る時から定年後の暮らしを考えていたのだという。「歳を取ったら山に入ってのんびり暮
らしたいって考えてたんだぃね…」                        
「徳明さんを呼んでくべぇ」と隆平さんが言って部屋を出た。ちょうど昼時なので、みん
なでお昼にしようと言う。徳明さんも畑仕事が終わって帰ってくる頃だという。    

 ミヤ子さんが紫イモの味噌イモを作ってくれた。大滝特産の紫イモは小粒だが良い味の
イモで、甘味噌でからめると抜群に旨い芋だ。毎代さんは自宅のユズで作ったというユズ
の甘露煮を出してくれた。隆平さんが作った鹿ロースの自作ハムも出てきた。何と豪華な
昼食になることか。ミヤ子さんがご飯とお漬け物を持って部屋に入ってきた。     
 隆平さんと徳明さんが連れだって部屋に入ってきて、それを合図に熊汁を毎代さんがよ
そる。全員が揃って「じゃあいただきましょう」という隆平さんの言葉で熊汁を食べる。

 熊汁は臭みがなく独特の香りと噛み応えが口を楽しませてくれる。脂肉の旨いこと。肉
の旨味を吸った野菜がまた旨い。「いやあ、これは旨い」あっという間にお代わりを頼ん
でみんなが笑う。笑われても、旨いのだから仕方ない。               
 毎代(つねよ)さんのご主人も揃ってにぎやかな昼食。ストーブを囲んで楽しい会話が
弾む。「こうして大勢で食べると美味しいよね…」とミヤ子さん。本当にそう思う。  
 熊汁二杯で体がポカポカと暖かくなってきた。さすがに滋養にいいというだけある。 

出来上がった熊汁。臭みもなく美味しい山の味。体が温まる。 毎代さんのご主人、徳明(よしあき)さんも一緒に熊汁を食べた。

 熊汁はどういう時に食べるんですかと聞いたら、隆平さんが笑いながら「熊が獲れた時
だい」と言う。「めったに獲れるもんじゃないからね」確かにその通りだ。      
 この冬の一頭目は大勢が参加した時の獲物だったので肉は少なかった。暖かい冬で熊が
冬眠していなかった。若い衆が獲ったという。「えら、ちっとんべぇの肉だったいねぇ」
ミヤ子さんが笑いながら言う。                          
 二頭目の熊はデカイ熊だった。四人で背負い降ろしたので分け前も多かった。この肉は
その時のものだという。「熊が獲れねえと熊汁は出来ねぇやねぇ」貴重な山の味だ。  
 この秋は山の実なりが良くて、熊が里に出てくることはなかった。栗や柿が成ってても
熊が食いに来ることはなかった。イノシシも畑にあまり出なかった。         

 狩猟をしている人だけが食べられる熊肉。こうして山の恵みを味わえることのありがた
さ。山の獣たちと人間のバランスが崩れないように、今、狩猟が見直されている。命を美
味しくいただく技も見直されて欲しいと思う。こんなにも美味しく食べられる事をどれだ
けの人が知っているだろうか。食べ終わって感謝の思いが湧く味だった。