山里の記憶146


酢まんじゅう:浅見(あざみ)由美子さん



2014. 3. 5



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 三月五日、皆野町下日野沢の根古屋に酢まんじゅうの取材に行った。取材したのは浅見
(あざみ)由美子さん(七十七歳)。自宅で酢まんじゅうと炭酸まんじゅうを製造し、皆
野道の駅に出荷している。今日は、酢まんじゅうの話だけを聞く。
 この取材が決まった時、出荷していると聞いたので、イースト菌を使った簡単な作り方
の酢まんじゅうなのだろうと、勝手に思っていたのだが、由美子さんの話を聞くと、昔な
がらの本格的な作り方だったので、変な想像をした自分を恥じた。          

 本格的な作り方というのはこうだ。まず四十二時間かけて糀を作るところから始まる。
 これだけで大変で繊細な作業だということがわかる。十五キロの米を洗って水に浸け、
ひと晩ふやかす。午後の二時頃蒸かし、糀菌をまぶして発酵機に伏せ込む。二十時間三十
六度にする。温度を見ながらヒーターで加減する。二十時間後に一度ほぐしてかき回す。
 寒い時期は糀の熱が下がってしまうのでヒーターで調整する。その後は三十八度に暖め
る。五、六時間後に二回目の手入れをする。糀が根を張っているのでほぐす。ここからは
ヒーターを切る。冬でも四十から四十二時間くらいで糀が出来上がる。        
 糀作りは温度管理が絶対だ。温度をかけて置きすぎると黄色い花が付いてしまう。この
色はまんじゅうの色にもなってしまうので、そうなる前に上げなければならない。   
 出来上がった糀は発酵機から出して干し、冷蔵庫で保管する。使うときは必要な分だけ
出して使う。                                  

炬燵で酢まんじゅうの作り方を聞く。とにかく手間がかかる。 一番大事な一次発酵。ビニールで保温し、その上から紙で覆う。

 次はこの糀から「酢」を作る。三百五十グラムの糀に砂糖ひと握りとぬるま湯三リット
ル(湯温三十五度から四十度くらい)を加えて発酵させる。この時に生ものを入れると発
酵が進むと言われている。茶碗一杯のご飯だったり、お粥だったり、前回作った生地の余
りなどを入れることがある。発酵は時期によって状態が変化するので神経を使う。   
 冬場は人肌より暖かめの湯を使ったり、ビニールをかけたりして冷めないようにする。
 由美子さんは容器に飯びつだった木の樽を使っている。徐々に泡だって、大きな泡から
小さな泡になってザーザーしている状態になったら「酢」の出来上がり。大きな泡のうち
は甘味が強いような気がすると由美子さんは言う。気泡が消えて落ち着いた状態になって
しまうと生地が萌えなくなるのでダメだそうだ。                  
 米が全部浮くときがいいと言われている。沈んで静かになってしまってはもうダメだ。
夕方作ると夜に発酵する。朝までシュワシュワしている時もある。          

 この汁を漉したものが「酢」だ。タッパーで密閉し、冷蔵庫で保管する。これで小麦粉
をこねて生地を作るのが酢まんじゅう最大のポイントとなる。まんじゅうを口に運んだと
きに鼻にツンとくる独特の香りはこの「酢」によるものだ。             
 微妙な「酢」の作り方。由美子さんは毎回違う「酢」の出来上がりを四苦八苦しながら
調整している。農協の普及員でもこの「酢」の作り方を知っている人はいない。子供の頃
から普通に酢まんじゅうを作っていた由美子さんだからこそ出来る秩父の味だ。    

 やっと生地を作る場面まで来た。小麦粉一キロに「酢」七百M、砂糖ひとつかみ、塩十
グラムを加えてこねる。手でこねると「酢」の刺激で指が痛くなるので、由美子さんは木
べらでこねる。塩を入れないと生地がデロ〜ンとだれることがあるので忘れないようにす
る。こねて生地の状態で一次発酵させる。寒いときは湯煎をしたり、ビニールで覆ったり
、さらに二重にした紙シートで覆ったりする。                   
 萌え方(膨らみ方)は生地の量の増え方でわかる。毎日の事なので、これが萌えてくれ
ないと夜も寝られない。朝にはまんじゅうを作らなければならないからだ。      
 太陽が出ている間は日向に置き、炬燵に入れることもある。夏などは萌えすぎてしまう
こともある。とにかく一次発酵がすべてで、一次発酵がうまく出来ていないと後はどうや
ってもダメだ。だから時間計算ではなく、萌え具合で次の作業に進むのが酢まんじゅう作
りだ。一次発酵した生地はタッパーに入れて冷蔵庫に入れておけば、一昼夜でも二日でも
持つから、必要な分だけ出してまんじゅうを作る。                 

 生地はまず一度しっかりこねる。それをヘラで切り分け、更にハカリで計りながら四十
二グラムで丸くする。手のひらで平たくして金属ヘラを使ってあんこを入れて丸める。 
 間隔を空けてトレーに並べたまんじゅうの元を暖房機に入れて熱を加えながら二次発酵
させる。今の時期は四十度で一時間半くらい熱を加えて発酵を促進させる。      
 一次発酵が上手くいっていない場合は、この段階でも上手く萌えない。一次発酵がダメ
だった時はまんじゅうに作るのをあきらめて、あんこなしで蒸しパンのようなものを作り
、人にやってしまうことが多い。                         

あんこを作る機械。かき回す羽根板は楓で、有男さんが自分で作る。 生地であんこを包み、丸めてまんじゅうの元を作る由美子さん。

 さて、あんこの作り方を書く。由美子さんは北海道の小豆を使っている。今は一度に十
キロを煮る。小豆をそのまま煮て、水を替えてアクを抜き、柔らかくなったら砂糖八キロ
、水飴一キロ、塩八十五グラムを加え、硬くなるまでせじる(煮詰める)。昔は大鍋でや
っていたのだが、今は専門の機械で作っている。                  
 あんこは冷めると硬くなるので、四十から四十五グラムで丸めて、タッパーに重ねてお
く。上から順番に一つずつ生地でくるんでまんじゅうの元を作る。          

 一時間半が過ぎた。暖房機の二次発酵の様子を見てきたご主人の有男(ありお)さんが
「えんで来たで」と言う。まんじゅうが萌えて割れてきたよということだった。すぐにま
んじゅうを蒸し器に移す。                            
 蒸し器はボイラーで加熱する専用のもの。鍋と蒸し器では二十分くらいかかるのだが、
このボイラー式の蒸し器は火力が強いので十二分で蒸し上がる。蒸し時間が長くなると黄
色い色がついてしまうので、時間はタイマーできちんと管理する。          
 モウモウとした湯気を上げて酢まんじゅうが蒸し上がる。すぐに扉は開けない。すぐに
扉を開けると何かの拍子にしぼんでしまったり、割れたりするまんじゅうがある。中には
白くなくて、透明の石みたいなまんじゅうになることもある。同じように作ってもなぜか
そういうまんじゅうが出来ることがある。これがなぜだかわからない。だから、二〜三分
時間を置いて、皮を落ち着かせてから蒸し器の扉を開ける。             
 トレーに移し、扇風機の風を当てる。こうすると表面に照りが出る。        

蒸し上がった酢まんじゅうを扇風機で乾かす。こうすると照りが出る。 出来上がった酢まんじゅうは、ビニールに包まれて出荷される。

 有男さんから「食ってみな…」とまんじゅうを一つ渡されて、食べてみた。そのツンと
鼻をくすぐる香りが懐かしい。ガブリと食いつく。皮のもっちり感が素晴らしい。甘いあ
んこと酢の香り、皮の歯ごたえが口の中で渾然一体となる。上品な酢まんじゅうだ。  
「有男さん、旨いです」「そうだんべ」由美子さんも笑っている。          
 有男さんが言う「炭酸まんじゅうの倍の値段で売っても合わねぇやなぁ…」確かに、こ
こまでの行程を見せてもらって、本当にそう思う。この手間と気遣いは尋常ではない。 
 これほどの手間をかけて酢まんじゅうを作り続ける由美子さんには、何か特別な思いが
あるのかと聞いてみた。                             
 ある所沢の人の話だった。妹が病気になって、酢まんじゅうが食べたいと言った。いろ
いろ探してみたのだが、これが本当の酢まんじゅうだと喜んでくれた。        
「そういう人がいるからねぇ…。出来る間はやろうって思ってるんさぁ…」何の気負いも
なくさらりと言う。「休みがないから大変なんだい…」「萌えないと寝られない時もある
んだいね…」「このやり方でやる人はもういなくなるんじゃないかねぇ…」      
 本当にそうだと思う。これだけの手間をかけ、この味を伝承してくれる人はいるのか。

 二十四歳で嫁に来て、子供四人を育てながら酢まんじゅうを作り続けてきた。一日に千
五百個ものまんじゅうを作ったこともある。酢まんじゅうは酢がないと作れないので、一
度に大量に作るイベントなどの時は大変だった。                  
 昔は本当に忙しかった。以前は疲れて肩や背中が痛くて、接骨に通ったりもした。今で
も少し無理をすると体が悲鳴を上げる。                      
 そんな体をいたわりながらも酢まんじゅうを作り続けたいと言う。本当にありがたい事
だと思った。秩父の味なのに、由美子さんが作らなくなったらこの味はなくなる。イース
ト菌を使った酢まんじゅうは、本当の酢まんじゅうではない。            
 由美子さんが一日も長く酢まんじゅうを作れますように。そして、みんながこの酢まん
じゅうは普通のまんじゅうではないと気付いてくれますように。