山里の記憶
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みそポテト:若林清子さん
2014. 10. 15
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十月十五日、秩父市の荒川上田野にみそポテトの取材に行った。取材したのは若林清子
さん(七七歳)で、「若美屋」という自分のお店で出している本格的な味のみそポテトだ
った。このみそポテトは、秩父では昔から食べられていて、「第五回 埼玉B級ご当地グ
ルメ王決定戦」で優勝した料理でもある。簡単に作れて、おいしい料理だ。
昔は「小昼飯:こぢゅうはん」という十時や三時のおやつとして食べられた。家で作っ
て畑に持って行き、仕事の合間に食べたものだった。
挨拶をして居間に上がる。お友達が何人も来ていてにぎやかだ。ワイワイとにぎやかに
昔の話で盛り上がる。
昔は小学生の時からみんな家の仕事をした。四人姉妹の長女だった清子さんは小学四年
の時から十一人いた家族の夕飯を作っていた。大人達は畑仕事が忙しくて、夕飯を作って
いる時間がなかった。学校から帰るとすぐに水瓶に水汲みをするのが仕事だった。
「何でもいいから作れ」と言われておっきりこみを作った。畑から大根やネギや菜っ葉を
採ってきて包丁で刻んだ。囲炉裏には大鍋が掛けてあり、自分で火を燃して調理した。
うどん粉をこね、白い布をかけて足で踏んで伸ばした。平らになったら麺棒で伸ばし、
包丁で切って麺を作った。大鍋で野菜と十一人分の麺を煮込めば夕飯の出来上がりだ。
おじいちゃんが褒め上手で、「まったく清子はよく働く」とほめられるのが嬉しくて夕
飯作りも苦にならなかった。みんなが「良く出来た」とほめてくれた。小学四年生が家族
の夕飯を作る…、今では考えられないすごいことだ。
「小学生がやることだから、二センチもあるうどんになったりしたけど、みんな何も言
わなかったいねぇ…」と清子さん。他にも仕事がいっぱいあった。男衆が山でまるいた(
束にした)ボヤを担いで下ろすのが仕事だった。お蚕をやっていたので、桑運びも仕事だ
った。煙を出さないように囲炉裏の火を燃すのも上手だった。
大きな農家で麦、蕎麦、モロコシ、陸稲、ジャガイモ、サツマイモ、里芋、ゴマなど何
でも作っていた。仕事は忙しかったけれど、食べることに苦労がなかったので良かった。
今日取材に来たみそポテトやたらし焼きなどは小昼飯(こぢゅうはん)で食べたものだ
った。家で作って畑で食べるおやつのようなものだった。冷めても旨いのでよく作った。
みそポテトの話になったので、さっそく作り方を取材させてもらうことになった。広い
台所で清子さんのみそポテト作りが始まった。
みそは大量に作る。清子さんは若美屋という店をやっていて、そこでみそポテトを出す
ので、普通の家庭で作るのと違って大量のみそを作る。白みそ一キロと砂糖一キロを鍋に
入れ、それにお玉一杯のみりんを加え、火に掛けて温めトロトロのみそを作る。今日はす
でに出来上がったみそが大きなタッパーにタップリと入っていた。
清子さんは一回でこの量のみそを作る。大量に作ってたっぷり使う。
一口大に切った芋を中温の油で揚げる。慣れているので動きが早い。
ジャガイモを茹でて熱いうちに皮をむく。ジャガイモの種類は男爵がホクホクしてみそ
ポテトには合っている。メークインや中津川芋はホクホク感がなく口当たりが固くなる。
冷たいジャガイモも同じ感じになるので、温かいうちに調理するのが旨さの秘訣だ。
皮をむいたジャガイモは一口大に切る。八等分くらいで食べ頃の大きさになる。大きい
と衣とのバランスが悪くなる。
衣は天ぷら粉を水で溶いて作る。かき混ぜてポタリポタリと垂れるくらいの固さにする
といい。柔らかいと芋に絡まない。卵を入れる人もいるが、清子さんは入れない。色が黄
色くなるのがいやなのと、衣の味が変わるのがイヤだと言う。衣はボールで作り、そこに
切ったジャガイモをどんどん入れる。
油はサラダ油で、温度は中温。箸を入れてブツブツいうくらいがいいと清子さん。天ぷ
らを揚げる要領で芋を揚げる。ジャガイモの天ぷらだ。衣の色が黄色くなって浮き上がっ
てくれば出来上がり、キッチンペーパーを二重に敷いた皿に取りあげる。
芋を揚げながら問わず語りに清子さんがつぶやく「性格が大ざっぱだし、いっぱい作る
から、味付けなんて適当なんだぃね…」
隣で聞いていた友人が合いの手を入れる「あっちでもこっちでも作ってるけど、あたし
は若美屋のみそポテトが一番旨いと思うよ…」
手際よくどんどんジャガイモの天ぷらが揚がる。少し油を切って、皿に移してからみそ
をかける。たっぷりのみそがかかったみそポテトが出来上がった。
さっそく一つ食べてみた。揚げたてなので、まだ熱い。甘いみそと揚げ芋のホクホクが
よく合う。これは本当に後を引く味で、すぐ次に手が出てしまう。
「お茶でも飲みましょうかね…」という清子さん。友人のいる居間に戻り、お茶を頂き、
みそポテトを食べながら、また昔話を聞かせてもらう。
油はサラダ油。衣の色が変わって、浮き上がってきたら揚げ上がり。
アツアツの揚げ芋にみそをタップリかければみそポテトの出来上がり。
長女だった清子さん。縁あって二十四歳の時に滝の沢の富雄さんと結婚した。清子さん
が洋裁学校に通っていた電車の中で偶然出会い、大恋愛の末の結婚だった。富雄さんが婿
養子に入る事を承知してくれ、二人の結婚生活が始まった。
大農家だったので家の仕事が本当に忙しかった。特にお蚕が大変だった。春蚕、夏蚕、
秋蚕の三回やったので本当に忙しかった。富雄さんは役場に勤めていたが、仕事から帰っ
てきて桑取りに行くような状態だった。
その後、養蚕が下火になると清子さんは「若美屋」という店を始めた。最初は蕎麦屋だ
った。自分の畑で作った蕎麦を打って出す店だったが、蕎麦を打つそばから売れる店で、
すごく忙しかった。その後、割烹として法事や忘年会なども受けるようになっていった。
店の奥には百二十人くらい入れる座敷があった。寝る間がないほど働いた。
仕出しもやったので、毎日朝四時に行田の市場に買い出しに行き、八時に帰ってきてや
っと朝ご飯を食べるような生活だった。
目が回るような忙しさの毎日だったが、そんな母親を見かねて長男の茂男さんが東京か
ら帰ってきてくれた。それも栄養士の免許を持って。帰ってすぐに調理師の免許も取り、
清子さんを助けてくれた。「あれは本当に嬉しかったし、ありがたかった……」と清子さ
んは当時を振り返る。
順調な店だったが、近くに「荒川そば道場」という村主導の施設が出来た事で客が減っ
た。当時、富雄さんは村会議員だったのだが、まさか自分が推進した村の施策で自分の店
が影響を蒙るとは考えていなかったという。
その後、何とか盛り返し、今は食堂と居酒屋を兼ねたような形になって、地域の人に愛
され続ける店になっている。
そのお店で出しているみそポテトなのだ。「青のりをふりかけてもおいしいよ…」と清
子さんが言う。串に刺して揚げる人もいるが、清子さんは串は使わない。「だって、その
方が食べやすいでしょ…」確かにその通りだ。
よく働くと褒めてくれたおじいちゃんとおばあちゃん。
取材が終わり、玄関で友人の清水さんと見送ってくれた清子さん。
みそポテトは平成二十一年十一月十四日に開催された「第五回 埼玉B級ご当地グルメ
王決定戦inちちぶ」で優勝した。参加した料理は二十三品もあったが、その中で堂々の優
勝だった。どれだけ秩父の人に愛されている料理かよくわかるエピソードだ。
ちなみに、優勝がみそポテト(秩父)・二位つみっこ(本庄)・三位おっきりこみ(秩
父)・四位はんのう味噌付けまんじゅう(飯能)・五位なめがわもつ煮(滑川)となって
いる。工夫に工夫を重ねたご当地グルメではなく、昔ながらの味がそのまま優勝したのだ
から面白い。ご当地グルメとは本来そういうものだと思うのだが、最近は変わってきた。
ご当地グルメを町ぐるみで開発するのが定番となっていて、町おこしが大きな盛り上が
りを見せている。みそポテトやおっきりこみは本当に昔ながらの素朴な料理で、これだけ
愛されているというのは希有の事だと思う。
昔、カマドで火を焚き、ジャガイモを揚げ、甘い味噌をかけて食べていた。それを畑に
持って行って作業の合間に食べた。そんな懐かしい味だけれど、全然古くない味。誰が食
べても美味しいというシンプルな料理。
清子さんのみそポテトは子供時代からの懐かしい味であり、お店で出している自慢の味
でもあった。
たくさんお土産に頂き、今夜のビールが楽しみだ。みそポテトはビールによく合う。