山里の記憶
158
ぺっちゃん車:高橋愛治さん
2014. 10. 25
絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。
十月二十五日、秩父の両神にぺっちゃん車の取材に行った。取材したのは高橋愛治さん
(八十歳)で、三十年前から使い続けているぺっちゃん車(水車)を使って、ギンナンの
皮を洗う方法を見せてもらった。
ぺっちゃん車というのは流れる川の水を利用する小さい筒型の水車のこと。水中で回転
させることでギンナンの皮や栗の渋皮、里芋の皮などをきれいに洗い落とす。
昔はあちこちで見られたものだが、今ではほとんど見かけなくなった。今回のように現
役で使われているぺっちゃん車を見られるとは思っていなかった。
丸い筒状の箱に八枚の羽根板が飛び出していて、その羽根板が流れる水の力で回転する
仕組みになっている。回転するときに羽根板が水面をペッチャンペッチャンと叩く音から
ぺっちゃん車と呼ばれるようになったようだ。
挨拶をしてすぐに川に行く。愛治さんの軽トラ荷台に、これから洗うギンナンとぺっち
ゃん車が載っている。家の前の道を下るとすぐに川がある。橋のすぐ横に川に降りられる
道があり、軽トラはそこで止まった。
荷台からギンナンの入ったビニール袋を下ろし、土嚢袋に入れ替えて口を縛る。コンパ
ネの上でその土嚢袋を長靴で踏む。こうすることでギンナンの実をつぶす。完熟した実は
すぐにつぶれてくれるが、完熟してない実はしっかり踏まないとつぶれない。周囲にギン
ナンの異臭が漂う。愛治さんによると、十一月を過ぎて、自然に落ちた実を拾うと皮がむ
きやすい。木の枝からもいだ実は皮がむけにくい。木から採ったものはビニール袋に入れ
てそのまま放置し、腐らせてから皮をむくようにしている。
居間でお茶を飲みながら、いろいろな話を聞かせてもらった。
足で踏みつぶしたギンナンの実をぺっちゃん車に入れる。
軽トラの荷台からぺっちゃん車を下ろし、口板を外す。そこにしっかり踏んだギンナン
の実を流し込む。筒状のぺっちゃん車の胴体は細い竹で出来ている。その竹の隙間から余
分なものが洗い流される仕掛けだ。
口板を閉めてストッパーになる釘を差し込み、胴体をゴムバンドで縛る。しっかり止め
ないと、口板が開いて中身がみんな流されることになる。一度、胴体に穴が空いてギンナ
ンを全部流してしまったことがある。胴体の竹もチェックしておかなければならない。
ぺっちゃん車をかける台は愛治さんが毎年作る。今は鉄の脚立を橋のように使い、橋脚
はプラスチックの箱を使っている。脚立の上に板を敷いて歩けるようにしてある。上流に
二本の垂木(九十センチくらい)を水中に差し込み、ストッパーの垂木をぺっちゃん車の
心棒を乗せる場所に付けてある。
愛治さんは橋の上を八十歳とは思えない軽い足取りで、軽々とぺっちゃん車を持ち上げ
て運び、心棒を垂木のストッパーに乗せた。
上流からの水圧ですぐに車が回転を始める。かなり早い回転スピードだ。川の流れが速
く、その速さで車が回転する。ギンナンの皮が流されていくのが見える。
昔見たぺっちゃん車は心棒を通してその心棒を両側で固定するタイプのものだったが、
愛治さんのぺっちゃん車は垂木にストッパーがついていて、小さな突起軸(心棒)で回転
するスタイルだった。これだと車を外すのも取り付けるのも簡単で、なるほどと感心する
方法で作られていた。回転をスムーズにするため、心棒にはビニールヒモが巻かれて滑り
やすくなっている。
ぺっちゃん車を台にかけると、車はすぐに回り出す。
ギンナン畑で熟した実を採る。実は袋で放置して腐らせる。
このまま三十分も置いておけばギンナンはきれいになる。それを待つ間にギンナン畑に
案内してもらうことにした。車に乗って少し離れたギンナン畑に向かう。
愛治さんのギンナン畑は両神ヘリポートの横にあった。元々は稲を作る棚田だった場所
に、東京や川崎からの土を盛り入れて平らにした畑だ。ダンプ百二十台分の土を運び込ん
だ。捨て場を探していた土だったのでお金はかからず、石垣を作るだけで済んだ。
ここに五十五本のギンナンが植えてある。街路樹の銀杏とは違って背が低く、横に広が
るように仕立ててある。今年は実なりが良く、中には実の重さで枝が折れてしまった木も
ある。どの木にも鈴なりに実がなっている。
「こんなに成るんは初めてかもしんない…」
「まだ少し早いやなぁ…」と愛治さんは実をつまんで確認する。たくさん実がなると一粒
一粒が小さくなってしまうのだが、これはどうしようもない。
ギンナンの木の間に里芋が植えられている。土が良いのでいい里芋が採れる。以前は大
根も植えていたそうだ。ギンナンは獣害を心配することのない数少ない作物の一つだ。イ
ノシシも鹿も猿もギンナンを食うことはない。
ギンナン畑から移動して柿の畑を見に行った。川沿いの台地に百二十本の柿(蜂矢)が
植えてあり、他に甘柿も二十本植えてある。もともとは普通の畑だったのだが、夫婦が歳
を重ねるに従い、畑仕事が大変になってきた。愛治さんは先を考えて少しずつ畑を土仕事
よりも楽な果樹に変えてきた。この柿は十五年前に植えたものだ。ギンナンも柿も栗も今
年は豊作で、これだけの柿やギンナンを処理するのは大変なことだろうと思う。
柿はアンポ柿に加工したり、吊し柿に加工したり、そのまま出荷したりする。大量の柿
を処理してからギンナンの出荷になるので、まだまだ当分忙しい日が続く。
柿の畑の奥に炭焼き窯がある。愛治さんは毎冬自宅用の炭を自分で焼く。一月から三月
まで焼くので自宅の納屋には炭がいっぱいある。材料になる木は自分の山の木を伐ったり
近所の立木処分の木を使う。いつもの年だと十二月にウドを畑から掘り出して、ハウスに
植え付けるのだが、この春の大雪でハウスが倒壊してしまい、今年はウドのハウス栽培は
出来ない。ハウスの修理はいつになるかわからない。
横の畑のコンニャク芋は掘り上げて納屋に入れた。畑には小さい生子(きご)が散乱し
ている。それにしても、これだけの畑をこの年齢でやるのだから大変なことだ。
一月から三月まで、この窯で自宅用の炭を焼いている。
ぺっちゃん車で洗い終わったギンナンを点検する。実は真っ白。
いくつかの畑を見終わって、川のぺっちゃん車に戻った。愛治さんが車を持ち上げて岸
に運ぶ。車の口を開けてプラ箱に中身のギンナンを出す。真っ白いギンナンがザーッとプ
ラ箱いっぱいにあふれた。手にとって見ると、皮はきれいになくなって、匂いもない。
「これを乾かせばすぐに出荷出来るんだぃね…」と愛治さんがにっこり笑う。ぺっちゃん
車の素晴らしさは、他の仕事をやっている間に車が勝手に製品に仕上げてくれることだ。
軽トラにギンナンとぺっちゃん車を積んで家に戻る。「お茶でも飲みないね…」という
言葉に甘えて、お茶を飲みながらいろいろな話を聞く。
今は健康で元気な愛治さんだが、いままでずっと元気だった訳ではない。四十八歳の時
にひどい喘息に罹った。発作が起きると呼吸が出来ない。寝られないので、茶の間にカー
テンで仕切った部屋を作り、自分専用の炬燵に突っ伏して夜を過ごすような状態だった。
発作、病院での点滴、入院の繰り返しだった。四女の小池里江子さんは父が喘息で苦し
んでいた姿しか覚えていないという。喘息は十八年間も愛治さんを苦しめた。
しかし、芯の体力が勝ったのか、今ではすっかり良くなり発作はまったくない。「まっ
たく変な病気だよね。でもまあ、よく元気になったもんだと思う」奥さんの幸子さんがし
みじみと言う。「本当に良くなってよかった…」と愛治さんも応える。
喘息がひどかった時、牛飼いの手伝いに帰ってきてくれた三女の克予さんには本当に感
謝している。今でも真夏の柿の消毒など大変な作業をやってくれる。克予さんがいなかっ
たらとてもこれだけの畑を続ける事は出来ない。
「畑は一町五反くらいあるよ。あちこち飛び地になってるから手入れが大変なんだいね」
畑を維持するということは作物を作り続けるという事だ。愛治さん八十歳、奥さんの幸
子さん八十一歳、いつまでも畑仕事を続けるのも難しい。しかし、体の動く限り畑仕事を
続けたいという。幸い克予さんという後継者がいる。
ギンナンはこれから完熟して実が落ちる時期だ。柿を吊し柿に加工して、それが終わっ
てからギンナンの本番になる。ぺっちゃん車が毎日回転するようになる日も近い。川の水
で回転するぺっちゃん車のある風景。のどかな田舎の風景だが、昔の人の知恵と工夫が詰
まった道具だ。じつに合理的で省エネルギーを絵に描いたような道具。もっと使われてい
い道具なのではないかと思った。