山里の記憶160


赤大根の漬物:磯田千恵子さん



2014. 11. 14



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 十一月十四日、秩父市大滝の大輪(おおわ)に磯田千恵子さん(七十三歳)を訪ねた。
赤大根の漬物の取材をする為だった。千恵子さんは自宅の畑で様々な野菜を栽培し、たく
さんの漬物に加工している。たくさんの漬物レパートリーの中から、簡単にできて美味し
いと評判の「赤大根の漬物」の作り方を教えてもらった。              
 大根は家の隣の畑に植えてある。車で二十分くらいかかる寺尾には大きな畑があり、そ
こで様々な野菜を栽培しているのだが、今回は家の横にある畑の大根を使った。    

 以前、千恵子さんは大滝特産の赤大根を栽培していた。大血川(おおちがわ)の黒沢さ
んという人が種を作っていて、それを分けてもらって栽培していた。薄いピンク色の柔ら
かい大根だった。しかし、黒沢さんが五年前から種を作らなくなってしまい、今は「あか
ね」という品種の赤大根を栽培している。                     
 あかねは八月中旬に種を蒔く。六十日目安で、約二十五センチ・一キロの大きさに成長
する。抗酸化作用を持つアントシアニンを豊富に含む赤い大根だ。          
 大輪の畑は寒いので無理だが、寺尾の畑は暖かいので大根を土に埋めて保存することが
できる。土の上に大根の葉をかけておくと凍みないと言われている。寺尾は大輪から二十
キロくらい離れた秩父市内なので、大輪よりもずいぶん暖かい。           

家の隣の畑から大根を採る千恵子さん。 赤大根は皮をむき、薄く薄く専用の包丁で慎重にスライスする。

 畑で赤大根と白大根を抜いた千恵子さん、台所で漬物作りが始まった。大根の葉は茹で
て、ゴマよごしや炒め物にする。白大根の品種は「あじまるみ」、柔らかくて煮ても美味
しい大根だ。今日は赤大根と白大根を甘酢漬けにする。               
 包丁は大根を薄く切るので、専用の包丁を使う。ご主人の史郎さん(七十三歳)が念入
りに研ぎ上げた包丁だ。この包丁でないと薄く切れないという。見せてもらったのだが、
とにかく鋭く研ぎ上げてある包丁だった。                     
 千恵子さんは、まず赤大根の皮をむいて半割りにする。そして、この半割りにした赤大
根を薄く薄く切り始めた。                            
「とにかく薄く切るんだよね。味がしみこみやすいし、食べた時の食感が違うんだよね」
 ゆっくりと包丁が動く。厚さ一ミリもない赤大根の薄切りが重なってゆく。     
「スライサーは使わないんだよね。お父さんがよく研いでくれてるんで、この包丁で切ら
ないと美味しくないんだよね…」                         
 話しながらも慎重に包丁が動き続ける。きれいに赤い縞模様が重なってゆく。最後まで
慎重にスライスして、終わって「ふぅ〜…」と息を吐く。そしてまるで千枚漬けのように
形を整える。縞模様がきれいだ。                         

 冷蔵庫から千恵子さん特製の調合液が入ったペットボトルを取り出す。中身の作り方を
聞いたところ、酢百五十CC・砂糖百五十グラム・塩大さじ一・塩麹少々を混ぜたもの。
 たくさん漬物を作る時はこの比率で量を増やす。赤大根も白大根も同じ方法、同じ調合
液で漬け込む。漬け込みにはジプロック(密封保存袋)が便利だ。きれいに重なったスラ
イス大根を袋の幅で二列入れ、その中に調合液を流し込む。全体が浸ったら空気を抜いて
口を閉め、密封する。このまま一時間もすれば赤いアントシアニンが溶け出し、液が赤く
染まってくる。すぐにでも食べられるが、二日目が一番美味しいという。       

 千恵子さんはすぐに白大根も同じようにスライスし始めた。こちらはスライスを終えた
ら昆布とユズの皮を一緒に調合液で漬け込む。                   
 台所でそんな作業をしていたら、外で何やらパーンという音が聞こえた。      
「あらやだわ、猿が出たみたいね…」「猿ですか? 」「最近よく出るの。ああやって花
火を撃つんだけど、効かないのよね…」                      
 外からご主人の史郎さんが帰ってきたので話を聞く。               
「一頭だったいね。柿を食いに出てくるんだよね…、困ったもんだよ。花火で追っ払うん
だけど、またすぐに来るんだよね。最近は柿を狙って熊も出るようになったんさぁ…」 
 猿は大根を引き抜いて、少しかじってそのまま捨てるような悪さをするのが困ると史郎
さんが首を振りながら言う。「どうしてああいう事をするんかねぇ…」        
 畑には鹿も来るので、鹿よけの網が張ってある。時にはそれを飛び越えることもあると
いう。畑の野菜は山の動物にとってもごちそうなのだ。               

切り終えた赤大根。まるで千枚漬けになるような薄さだ。 赤大根は漬けると全体が赤くなる。白大根はユズと昆布で漬ける。

 そのまま炬燵で史郎さんに昔の話を聞く。史郎さんは、ここ大輪で生まれ育った人だか
ら、話はそのまま大輪の昔話だった。                       
 昔、大輪は大滝の中心地だった。三峯神社の表参道が大輪にあったからだ。関東一円の
参拝客が秩父から贄川(にえかわ)宿に泊まり、強石(こわいし)から大達原を越えて大
輪に来る。ここで休憩して三峯神社の急な表参道を登って神社の宿坊に泊まった。そのた
め、ここ大輪には多くの茶店や宿屋、土産物屋が並んでいた。            
 昭和十四年、二十一人乗りの三峰山ロープウェイが開通する前は、表参道を竹製の山駕
籠で参拝客を運んでいた。この家にも実際に使っていた竹の山駕籠があったが、今は処分
してしまった。「背の高い人と低い人が組まないと高低差があるんでダメだったようだ。
あと、山駕籠に乗る方も乗り慣れてないとダメなもんだったそうだ…」と史郎さんは父親
から聞いた事がある。あの急斜面を人が乗った山駕籠を担いで登る…、すごい事をやって
いたものだ。当然なことだが、ロープウェイが出来てから山駕籠は姿を消した。    
 ロープウェイ運行で大輪は観光の中心になった。三峯神社の参拝客や雲取山の登山客は
皆ここからロープウェイに乗った。奥秩父観光の中心地と言ってよかった。      
 観光隆盛の後押しを受け、昭和三十九年には七十一人乗りの新三峰山ロープウェイが就
航した。大輪には、ますます観光客が押し寄せるようになった。           

 昔、大輪には青年団が開く「いがぐり会」という組織があった。毎月みんなが集まって
公民館で子供のための勉強会や学芸会などをやった。子供達の髪をバリカンで刈ったりす
るのも青年団の役目だった。子供達は理髪店に行ったことがなかった。みな仲がよく、ま
とまりがあった。                                
 史郎さんが子供の頃、大輪には六十戸以上の家があった。今は三十戸に減っている。氏
神様のお祭りも他地域からの来客も多く盛大なものだったが、今は大輪地域だけの祭りに
なってしまった。天神様のお祭りはお日待ちや子供のミニ学芸会をやり、これが地域のつ
ながりになっていたが、昭和四十年頃になくなってしまった。何もかもが変わってしまっ
た。                                      
 平成十九年、三峰山ロープウェイは老巧化で運行の廃止が決まり、観光道路の開通によ
り車で三峯神社に参拝出来るようになって以来、ずっと下降線を示していた大輪の観光客
数は、これにより激減した。というより、大輪という地域の観光的価値がなくなった。 

大輪のことをいろいろ教えてくれたご主人の史郎さん。 取材を終え玄関で送ってくれた、元気で明るい千恵子さん。

 千恵子さんが白大根漬物の仕込みを終え、今までに作った様々な漬物を見せてくれた。
六月に梅の実を割って種を取り出して漬け込んだ、カリカリ梅風の梅漬け。赤紫蘇で漬け
てあるので赤い色が鮮やかだ。冷蔵庫で保管してズヤズヤになるのを防いでいる。ひとつ
食べたら、カリカリの歯ごたえと甘い紫蘇の香りが美味しかった。          
 ラッキョウの酢漬けを出してくれた。こちらは甘酢がおいしいラッキョウだった。梅酒
の梅を出してくれたので食べてみた。三年物の梅酒ならぬ梅。焼酎の香りと甘さが口に広
がった。梅酒を飲んでみたかったのだが、車の運転があるのでやめた。        

 いろいろなものを漬物で楽しんでいる千恵子さんだが、今夢中になっているのがコーラ
ス活動だ。コーラスグループはさいたま博があった時に結成され、当初は六十人くらいの
人が参加していた。制服も作るような本格的なもので、学校の先生が指導してくれた。 
 今は毎週二十人くらいの人が公民館で練習している。学校の行事やボランティア活動や
ミューズパークの音楽堂などで発表会をしている。男性も半々くらいで、今は震災復興応
援ソング「花は咲く」を練習しているそうだ。                   
 秩父市のシルバー人材センターに登録して、炭酸まんじゅう作りなどもやっている。春
の芝桜の時期や五月の連休前後がピークで、まんじゅう作りも忙しい。        
 大輪のリーダーがうまくまとめてくれるので楽しい。何にでも挑戦する「遊び人グルー
プ」と自分たちで呼んでいる。「いい仲間がいて楽しいよね…」と明るく笑う。    
 話を終えて畑を見せてもらった。家の横にある畑に向かう途中で、柿の木に猿がいるの
を発見した。三人でにらんだら猿は柿を諦め、電線を伝って山に逃げて行った。    
 山の畑はこれから収穫の時期になる。猿や鹿、熊との戦いが続く。