山里の記憶
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でえら:千島敬子さん
2015. 2. 11
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二月十一日、大滝の大久保に千島敬子さん(六十八歳)を訪ねた。敬子さんが考案し、
作って販売している「でえら」というおまんじゅうのような蒸しパンのような食べ物の取
材をするためだった。
以前、別の用事で敬子さんを訪ねた際にお茶請けで出された「でえら」がとても美味し
かったので、是非にとお願いして実現した取材だった。
今回「でえら」という名前の由来を聞いた。平と書いて「でえら」と読む。たいらを秩
父言葉で「でえら」というのにかけて、平らな形をした食べ物に「でえら」と名前をつけ
たもの。三色でえらと大滝でえらの二種類がある。
大滝の大久保は日当たりの良い斜面にある。眺望がすばらしい。
生地を伸ばして餡を包む。大滝でえらを作る敬子さん。
自宅に伺うとすでにでえら作りが始まっていた。もう十年くらい手伝っているという栃
本生まれの千島久子さんが生地をこねていた。もう一人手伝っている人がいた。吉本さん
という秩父市地域おこし協力隊の人で、でえら作りを手伝うのは初めてとのこと。
久子さんがこねている生地は薄力粉二キロと強力粉五百グラムに膨張剤としてドライイ
ーストとベーキングパウダーを加えたもの。膨張剤はその日の気温や湿度で微妙に量が変
わる。この生地で約九十個の三色でえらが作れる。
三色でえらはこね上がった生地を四十二グラムの玉にして小さい麺棒で平らに伸ばす。
その生地で四種類の餡を包んで作る。餡はしゃくし菜、味噌(おなめ)、甘味の三種類で
三色でえらになる。甘味は小豆餡とカボチャの二種類があり、これは適宜入れ替える。
しゃくし菜餡は、敬子さんが自分で漬けたしゃくし菜漬けを刻み、一キロずつ小分けし
て冷凍しておいたものを一旦茹でて塩抜きをしてから油で炒め甘辛く味付けしたもの。
味噌餡は敬子さんが作ったおなめに砂糖を少し加えて食べやすくしたもの。小豆餡は小
豆を甘く煮詰めたもの。カボチャ餡は秩父産のカボチャを採ってすぐ蒸かしてペースト状
にして冷凍したもの。それを解凍して甘く味付けしたもの。それぞれ小分けしてタッパー
に入れてある。これらをスプーンやヘラを使って広げた生地の片側に置き、生地でたたむ
ように包んで大きな餃子のような形にまとめる。
敬子さんと吉本さんがいろんな話をしながら餡包みしている。甘味は上にポチッと目印
をつけ、しゃくし菜は焼き印を押して間違えないように区別する。焼き印は丸の中に伴の
文字。お孫さんの名前の一字だという。
餡を詰め終わった三色でえらは室温で放置して一次発酵させる。その後蒸し器で保温し
て二次発酵させる。二次発酵の目安は長年やっている久子さんの勘が頼りだ。その日の気
温や湿度で微妙に変わる。間違えると膨らみが悪いこともあるという。
作ったでえらを室温で放置して一次発酵させているところ。
久子さんが出来上がったでえらをトレイに上げる。底を上にする。
二次発酵が終わるとタイマーが鳴り、久子さんが忙しく動く。ガスに火を点け、今度は
高温で蒸し上げる。蒸し器にはクッキングペーパーが敷いてあり、くっつかないようにな
っている。湯衣(ゆぎぬ)は使っていない。この蒸し上げる時間も気温や湿度によって微
妙に変わる。十年やっている久子さんの感覚に全てがかかっている。
「わたしは久子さんに頼りっきりなの…」と敬子さんは明るく笑う。それにしても敬子さ
んの話は多岐に渡り、どんどん変化し取材の本道から離れて行く。またその話は全部が面
白いから困る。
久子さんが別の生地を切り始めた。敬子さんが「こっちは大滝でえらなんだよね」と言
う。大滝でえらは大きい。九十グラムに生地を計り丸めてゆく。三色でえらの二倍の大き
さだ。中華風の餡がタップリ入るもので、醤油味の餡とカレー味の餡の二種類がある。
調理して小分けに冷凍してあったものを崩してスプーンですくって餡にする。この餡を
作る時は気合いが入るという。玉ねぎなど二十個も刻むというのだから気合いが入ろうと
いうものだ。他の材料はブタの挽肉・人参・凍豆腐・春雨・竹の子・椎茸・しょうが・ニ
ンニクを油で炒めて甘辛く味付けする。カレー味の方はこれにカレー粉で味付けする。
同じように作っているのだが、その時の味加減で「時々具の味がかわるよね」などと言
われることがある。でも、美味しいのだからいいと割り切っている。
大滝でえらが出来るきっかけになった人がいる。ダム工事に運転手として働いていた飯
田さんという人だ。以前、中華料理店で働いていた人で、店で賄いに出していた料理だっ
たそうだ。その飯田さんが、何か新しい名物をと考えていた敬子さんにヒントとして提案
してくれたのが大滝でえら誕生のきっかけだった。
平成十年頃、雁坂トンネル開通に合わせて大滝で何か新しい特産品を作ろうという動き
があった。村が大滝特産品開発委員会を立ち上げ、副委員長に任命された敬子さんも新し
い特産品を考えた。
当初は様々な料理を考えた。熊本を視察に行った時に食べたさつまいもまんじゅうが美
味しかったので、中津川芋で同じように出来ないか試行錯誤したのだが失敗した。「お山
のおやき」というものも作ったのだが、お粥やミキサーを使うレシピは手間がかかりすぎ
てダメだった。そんな時に飯田さんのヒントが出た。作ってみたら「これなら長く出来る
かもしれない…」ということになり大滝でえらが誕生した。
大滝でえらは、生地を大きく丸く伸ばし、真ん中にたっぷりと餡を入れる。包んだもの
を止める方法が変わっている。生地の端から縄目のようにねじって止めるねじり編みとい
う中華風の包み方だ。これも飯田さんが教えてくれた。醤油味の方に伴の字の焼き印を押
して、カレー味と区別する。
三色でえらのほぼ倍の大きさ。腹持ちも良く、お昼代わりにも食べられる。三色でえら
と一緒に、大滝道の駅や郷路館・つらら祭り・ナイトバザール・はんじょう博などでも売
っている。本当は蒸し立てを売ったり、焼いて売ればいいのだが、会場の都合でそれは出
来ない。でえらを焼いて食べる旨さを是非知ってもらいたいと思う。
敬子さんは、昭和四十年ころ大滝村初代の学校給食の栄養士として赴任した。日窒鉱山
が最盛期のころで、鉱山に泊まり込んでいろいろ話をした事も多かった。
昭和四十二年の埼玉国体では炊き出しの指導をした。ものすごく大がかりな炊き出しで
今ではいい思い出になっている。その後、縁があって大久保の進さんと結婚した。今は大
久保でおなめ作りと大滝特産品作りをしながら、様々な活動をしている。
敬子さんは、自称「講演きちがい」で本当に勉強が好きだった。そして何でもやる人だ
った。だから様々な役職を引き受ける。そして真剣に取り組むから、更に依頼が増える。
そんな感じで、今でも様々な肩書きがあり、活動の幅が広い人だ。
公民館の運営委員、彩の国農村女性アドバイザー、響の会副会長、くらしの会副会長な
どをしている。大滝のコーラス部を公民館活動の一環で作ったのも敬子さんだった。埼玉
で大滝と神川だけコーラス部がなかったことを知り、公民館で予算を取ってコーラス部を
作った。今ではすっかり定着し、定期的な発表会なども行われている。
「ほかにもいろいろあるんだけど、あたし自身忙しいから本当に大変なの…」と忙しく手
を動かしながらため息をつく。
蒸し上がった大滝でえらを食べた。フワフワ熱々が旨い。
三色でえらはこうして袋に詰めて売られる。三色のシールが目印。
タイマーが鳴り、久子さんが忙しく動く。三色でえらが蒸し上がった。トレイに一個ず
つひっくり返して並べる。「底の部分を乾かすんだいね」と久子さん。もうもうと湯気が
立ち、一気に部屋が暖かくなる。
「ひとつ食べてみて」と敬子さんに言われ、しゃくし菜のでえらを手に取る。熱々を二つ
に割って口に運ぶ。ふわふわの食感と甘辛いしゃくし菜の味が渾然一体となって口に広が
る。「いやあ、熱々は旨いですね」「そうなのよ。いつもこの状態で食べてもらえればな
あって思うんだけど…」そう、商品は冷めた状態になって袋に詰められる。
このでえらを初めて食べたのは知り合いにいただいたものだった。その時はレンジで温
めて食べた。その時は特別な印象はなかった。しかし、この家に来た時に敬子さんがカリ
カリに焼いたでえらを出してくれた。それを食べた時の衝撃が忘れられない。
でえらは焼くと本当に旨い。カリカリ熱々で食べると、まるで別の食べ物になる。
敬子さんもそれをわかっている。しかし、その形で提供できない。袋か袋の中に焼いた
写真を入れるだけで違うと思うのだが、難しいのだろうか。
「毎日じゃなくて売れ行きによって作るの。一般の人が買ってくれるのが嬉しいの」と敬
子さんが言うが、焼いた旨さを伝えられればもっと売れる商品になる気がする。