yamazato-168.html
山里の記憶168


おなめ料理:山本サダ子さん



2015. 7. 24



絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。


 七月二十四日、秩父の大滝におなめ料理の取材に行った。取材したのは山本サダ子さん
(八十七歳)だった。サダ子さんは大滝おなめを作っている千島さんと親しく、昔からお
なめを使った料理を作っているということでお願いして実現した取材だった。     
 家に伺って話を聞く。サダ子さんは八十七歳とは思えないほど明るく楽しい人で、大変
だった昔の事をカラカラと笑いながら話してくれた。                

 サダ子さんは栃本の牛蒡平(ごぼうだいら)で生まれた。牛蒡平から上中尾の小学校・
高等小学校に通った。高等小学校卒業後は鶉平(うずらだいら)の青年学校に二年通った
。戦時中だった為授業などはおざなりで、竹やり訓練などをしていたという。栃本から鶉
平まで歩いて通っていた。当時、車や自転車はなく、歩くことが移動の全てだった。歩く
ことを苦にする子はいなかった。                         
 学校を出た後はいろいろな仕事をした。当時、戦時中で男手がなく、力仕事をする事が
多かった。仕事を手配する人がいて、その人が色々な仕事を手配してくれた。サダ子さん
は元気だったし、力もあったので背負いっ事(しょいっこと)の仕事が多かった。セメン
トや営林署の荷物など何でも運んだ。十貫目(三十七キロ)の荷物を背負っても何ともな
かった。荷物を運ぶ以外でもコンクリ練りなどの力仕事をした。仕事は他人に負けなかっ
た。サダ子さん自身勝ちっ気だったし、負けず嫌いだった。             

自宅で昔の苦労話を話してくれたサダ子さん。 ご主人の茂夫さんも苦労した人だった。

 そんな働き者のサダ子さんに縁談話が持ち上がった。お相手は千島家に農業奉公に入っ
ていた山口県出身の山本茂夫さんだった。ここからはサダ子さんの話。        
「腐れ縁みたいなもんだったぃね。本当にちょっと顔を合わせただけなんだぃね。正月の
寒いときに一時間くれえ外で話しただけだったんさ。見合いっていうほどの事じゃなかっ
たんだけど、世話人同士がこっちのことなんか構わずにどんどん話を進めちゃってさあ。
二月にはハア欲しいって言われて、そのまんま一緒になっちまったんだいね。話は違って
たけど仕方なかったいね…」                           
 その時の世話人の言いぐさがひどかった。「なあに、若けえもんなんか、ひと晩布団を
おっかぶせときゃまとまるもんさぁ。明日んなりゃ帰るなんて言わねえから…」    
 「まったく、何てことを言うんかと思ったけど、その通りになっちゃったいね」サダ子
さんはカラカラと笑う。サダ子さん二十九歳、茂夫さん三十五歳の時のことだった。  

 結婚した二人は茂夫さんが五年、サダ子さんが三年の年季奉公を済ませて独立する。小
さな家を建ててもらい、そこでの二人の生活が始まった。茂夫さんは色々な事にチャレン
ジする人だった。                                
 結婚前に、田んぼのなかったこの地区で初めて田んぼを作り、米を収穫した。いい米が
出来て三峯神社に俵で奉納したことが話題になった。この地区で田んぼを作るには、まず
表土を寄せて保管し、土地を平らにして防水に為の加工をしてから表土を戻すという、気
が遠くなるような作業をしなければならなかった。茂夫さんはそれをやって千島家に認め
られた人だった。                                
 新居の裏山を開拓し、豚を飼うようになった。サダ子さんは水や飼料を運ぶことが仕事
になった。二人は自分達で子取りをして豚を増やし、多い時は百頭を超える豚を育てた。
 サダ子さんは子供を抱えて背中で荷物を背負ったものだった。豚のエサ二十キロ入六十
袋を運ぶのもサダ子さんの仕事だった。コンロに火を熾し鍋のつゆをかけ、つゆが煮立つ
間に一回、実を入れて一回と休む間も惜しんで運んだ。結局六十袋を全部サダ子さんが背
負って運んだ。                                 

 茂夫さんは二瀬ダムが出来たあと、レストハウス売店横に小さな店を出した。かき氷や
田楽、みそおでんなどを売る店だった。人を頼んでやっていた。その頃の写真が今、仏壇
に飾られている。                                
 茂夫さんは四十二歳の働き盛りに大怪我をして、寝たきりになってしまった。サダ子さ
んは、当時小学一年、小学四年、中学一年の子供三人を育てながら茂夫さんを介護する事
になってしまった。この時、お世話になっていた千島さんが大滝電子という会社を作り、
サダ子さんを誘ってくれた。サダ子さんは四十三歳から五十八歳までの十五年間、大滝電
子で働き、子供達を育てた。大滝電子で働く事が出来て「本当にありがたい事だった」と
サダ子さんは当時をふり返る。                          
 そして、二十五年間の介護生活にも終わりが来た。サダ子さんが六十六歳の時だった。
茂夫さんはサダ子さんの手の中で眠るように亡くなった。たまたま、着ているものを全部
取り替えて、髪をきれいに整えた後だった。サダ子さんが抱えているうちに事切れた。 
「ほんとうに寝るようにいっちゃったよね…」                   
 茂夫さんがよく言っていた言葉がある。サダ子さんは今もその言葉を大切にしている。
「人間は骨を折った方が(苦労した方が)幸せになる」               
「人間は苦労して生きた方がいい。いつも幸せだと幸せを感じなくなる。苦労して初めて
幸せが実感できるのだから」                           
 サダ子さんは「今が一番幸せだぃね。骨を折った事で、今までがいい勉強だったと思っ
てる……」と、茂夫さんの写真を見ながらつぶやいた。               

 突然、家の電話が鳴った。千島さんからだった。今日は千島さんの家でおなめ料理を作
ることになっていてその催促の電話だった。急いでサダ子さんと千島さんの家に向かう。
 おなめ料理はサダ子さんが高齢ということで、千島さんが少し手伝ってくれた。私も少
し手伝う。三人で力を合わせておなめ料理四品を作る。               

茹でた中津川芋を鍋に入れて炒めころがす。 油味噌用のナスとピーマンを切るサダ子さん。

 まずは、中津川芋のおなめ炒め。茹でた中津川芋を油で炒め、おなめと砂糖をからめた
もの。これは旨い。冷めた方がもっと旨いという大滝の逸品。サダ子さんが鍋でおなめを
からめる動作が力強い。                             
 次は大量のゴマを鍋で炙ってからすり鉢でする。サダ子さんは「油が出るまでするんだ
ぃ…」とすり続ける。のめっこくなったところにおなめを加えて更にする。      
 ここにキュウリと紫蘇・ネギを刻んで加えて冷や汁の元を作る。これを冷たい出汁で伸
ばせば冷や汁の出来上がり。そうめんでもひやむぎでもうどんでも美味しい。冷や汁はご
飯にかけても美味しい。                             
 先ほどのすったゴマおなめを使ってよごしを作る。インゲンを茹でて刻む。キュウリを
小口切りして塩でもむ。茗荷・紫蘇をみじんに刻んで加え、味噌で和える。おなめの大豆
がアクセントになるので、すったゴマ味噌とおなめそのものを半々で加える。インゲンと
キュウリのゴマよごしが出来上がった。                      
 次はナスとピーマンの油味噌。ナスとピーマンを刻みフライパンで炒める。砂糖とおな
め、お酒を合わせた調味料を加え甘辛く味付けして、ナスに火が通ればナスとピーマンの
油味噌の出来上がり。甘辛い味、夏は濃い味が旨い。                

 ひやむぎを茹でてショウギにボッチで上げる。千島さんが「さあ、座敷でお昼にしまし
ょう」と言いながら出来上がった料理を座敷のテーブルに運ぶ。サダ子さんが上座に座り
夏のおなめ料理四品が並んだ。千島さんが冷や汁の元に冷たい出し汁を注ぎ、冷や汁が出
来上がる。その冷や汁をお椀によそり、ボッチのひやむぎを浸けて食べる。夏の味だ。こ
れは旨い。三人で作りたての料理をつまんでお昼になった。夏の味が勢揃いだ。    
「夏はこれがいいねえ…」「ほんと、夏の味だわね…」               
 ご主人の進さんも加わって、にぎやかな昼食になった。ふと、進さんが奥に消え、昔の
写真を持って来た。そこには、田んぼの代掻きをしている姿と、収穫を迎える前の重そう
に穂を垂れる稲の前で満面笑顔の茂夫さんが写っていた。              
 サダ子さんは嬉しそうに「まあまあ、初めて見たよん…」という。進さんが「うちに置
いてあっても仕方ないから持ってけばいいよ…」と言う。「あらまあ、いいんかさあ。あ
りがとうさんです…」サダ子さんは大切そうに二枚の写真を紙に包んだ。       
 見ていて、何だか胸がほっこりした。                      

冷や汁でひやむぎを食べるサダ子さん。話が弾む夏の昼食。 結婚前、大久保で初めての田んぼを作り、代掻きしている茂夫さん。

 今回、おなめを使って料理するという取材だったが、このおなめは味噌と醤油の中間の
味ということで、何にでも使えることがわかった。                 
 冷や汁はもちろん、油味噌もゴマよごしも旨かった。もちろん中津芋のおなめ炒めは安
定の旨さだった。おみやげにもたくさん頂いて、美味しい取材だった。