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山里の記憶173


芋ころがし:千島充子さん



2015. 11. 19



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 十一月十九日、大滝大輪の千島充子さん(七十四歳)を訪ねた。「秩父鉱山」の本を届
けるために伺ったのだが。「黒沢さんが来るからって言われて、来たら何か作ろうと思っ
てたの」と嬉しい言葉が充子さんから出た。その言葉に反応して「じゃあ、作るところか
ら見せて下さい…」とお願いして、いつの間にか料理の取材になっていた。      
 充子さんが作ってくれたのは小粒の中津川芋の味噌ころがしと甘柚子。充子さんの家は
「山麓亭」という名前で有名なお店だ。大輪に本店があるが、三峯神社の参道と雁坂トン
ネル下に大きな店を構えている。どちらの店でも、中津川芋の田楽が名物になっている。
その芋田楽に使えない小粒な芋を使って作るのが、お茶請けになる芋ころがしだ。   

 小粒の中津川芋をざる一杯洗って茹でる。茹で時間は二十分ほどだ。小粒なので茹で上
がるのが早い。中津川芋に限らずこの地区のジャガイモにはソウカ病という病気がある。
連作障害で、皮や実の一部分が堅く苦い固まりになるという症状を持つ。昔はそれほど多
くなかった。最近は鹿やイノシシの獣害が多くなり、電気柵を設置する畑が増え、その柵
内で連作することが増えたため、連作障害が多くなってしまった。これも獣害のひとつと
言えるのかもしれない。                             
 ソウカ病で食べられない部分は、茹でる前に芋から削り取る。食べて苦い部分は吐き出
せばいいだけの事なのだが、充子さんは茹でる前になるべく取るようにしている。小芋な
ので神経を使う。                                

茹でた中津川芋を油で炒める。両手で鍋を振って炒める充子さん。 味噌を加えて混ぜ合わせる。焦げないように中火でしっかりと。

 次は芋の油炒めだが、中津川芋は皮が薄いので、皮をむくことなく、このまま炒める。
鍋に油を入れ、中火で熱し、茹でた芋を全部入れる。ジャーっという音が台所に響き、油
炒めが始まる。充子さんの細い両手が大きな鍋を振る。「油炒めは念入りにやるんだいね
…」と言いながら何度も鍋を振って中の芋を炒め回す。ここでしっかり炒めることで、味
噌との馴染みが良くなる。また、冷めてもおいしい芋ころがしになる。        

 充子さんが冷蔵庫からタッパーに入った味噌を取りだした。聞くと、芋ころがし専用に
作っておく味噌だとのこと。赤味噌に砂糖を加え、鍋で練るように炒めたもの。トロリと
した濃い色の赤味噌だ。一度で大量に作り、芋ころがしを作る時用に保管しておく。  
 こういう準備がしてあるから、充子さんはいつでもお茶請けとして芋ころがしを作るこ
とが出来る。ガスの火を弱火にして特製味噌を加える。「味噌は目分量なんだぃね…」 
 そう、作り慣れているから芋の量に合わせて最適な量の味噌を加える。出来上がりはい
つも同じだという。                               

 ここからは鍋は振らない。じゃもじで丁寧にかき混ぜる。味噌と芋が均等に混ざり合う
ように混ぜ続ける。味噌が全体にからんでつやつやの芋ころがしになってきた。台所に味
噌のいい香りが充満する。なんとも食欲をそそる香りだ。味が浸みるまで混ぜ続ける。 
 「そろそろいいかね…」と言いながら充子さんがひょいと一つの芋をしゃもじの上に乗
せてこっちに差し出した。あわてて手で受けて「あちぃ!」などと言いながら口に放り込
んだ。口に味噌の味が広がる。噛むと、味噌と芋が混ざり合い、中津川芋独特の歯ごたえ
がいい味になる。「ああ、これ旨いですね。味噌の味がいい…」           
 「もう出来てるよね? 」充子さんがちらっとこっちを見て、ニコッと笑う。    
 「はい、大丈夫です」指で丸を作って応える。                  
 「少し置いときましょうかね。冷めた方がおいしいから…」と鍋を横に置く。    

味噌の味をしっかりまとった芋ころがしが出来上がった。 結婚後忙しくてあまり旅行出来なかった。これは数少ない写真の一つ。

 台所で充子さんが大きな柚子を取り出した。「甘柚子を作るから、もう少し待ってくだ
さいね…」と言うので、これも見させてもらう。                  
 もぎたての柚子を縦半分に割り、その一つをサクサクと薄切りにしてゆく。「なるべく
薄く切るんだぃね…」とのこと。台所に柚子の香りが広がる。            
 種など気にしないでそのままサクサクと薄切りにしてボールに移す。そして、大さじ三
杯くらいの上白糖を加えて箸でかき回す。「ねっとりしてくるまでかき回すんだぃね…」
 ひたすらかき回すと粘りが出て来る。ひとひらをヒョイと口に運び食べてみて「ああ、
このくらいだね…」と言って小皿に盛りつけた。                  
 なんと、あっという間に二品のお茶請けが出来上がった。その手際の鮮やかなこと。い
つも大量の料理を作っている人でなければこうはいかない。             

 居間でご主人の茂さんを待つ間に昔の話を聞いた。充子さんは滝の沢の生まれだ。大き
な家で生まれて育った。九人兄弟の次女というにぎやかな環境で育った。父親の黒澤源次
さんは十五年前に亡くなった。                          
 「嫁に来て五十二年、よく働いたね。本当に忙しい家だったからねぇ。健康だったから
出来た事だと思うのよね…」と充子さんがしみじみとふり返る。           
 嫁に来た「山麓亭」は大輪の店で、三峯神社の講中が多かった。関東各地から三峯講の
人たちが押し寄せた。昔からの三峯講で、最高で七百人もの人が参加している講中もあっ
た。                                      
 大輪の山麓亭は一階で五・六〇人、二階で百人もの人が入ることが出来た。     
 ここでお昼を食べて、身支度を調えてから三峯神社に参拝する人が多かった。料理が乗
った大きなお膳を二階に運ぶだけでも大変だった。まだ小さい子供を背中におぶって、必
死でお客様の対応をしたものだった。                       
 大輪までバスで来てふもとで休憩し、身支度を調えてから、ロープウェイで神社に参拝
するというのが一般的な参拝の手段だったが、表参道を楽しみながら登る人も多かった。
山麓亭を利用する人は変わらず多かった。                     

 山麓亭ではレンタカー営業を行なっており、お客様を送迎するマイクロバスを持ってい
た。そのマイクロバスの運転を充子さんもやっていた。当時、マイクロバスを運転する女
の人はいなかったのでとても目立つ存在だった。キャンプ場への送迎やら、登山客の送迎
やら、細く荒れた林道なども平気で運転していたという。              
 「仕事で使うからって、免許を取ったのよ。運転は好きだったから、大変だったけど楽
しかったわ…」と、当時をふり返る。                       
 近所の人を大勢乗せて自分でバスを運転して伊香保に行ってきたこともある。「あたし
が泊まれないんで、日帰りだったけど、あれは楽しかったわ…」忙しい家だったから、旅
行などもあまり出来なかった。                          
 結婚した茂さんは、第十四代大滝村長として平成六年から平成十四年まで奉職した。そ
の間の気遣い、気苦労は並大抵のものではなかったと思うが、いま目の前にはニコニコと
昔の大変な時期をふり返る、充子さんがいるだけだ。                
 観光茶屋のおかみさんとして、村長夫人として、四人の子供を育てながら懸命に働いて
きたひとりの女性がそこにいるだけだった。                    

村長夫人として政治家や支持者とのおつきあいも欠かせなかった。 「これは旨い」とお茶請けの甘柚子を食べる、ご主人の茂さん。

 ご主人の茂さんが用事を終えて戻ってきた。居間の炬燵で、作りたてのお茶請けを食べ
ながらお茶をいただく。茂さんもこのお茶請けには目がない。「充子が作るもんはみんな
旨めぇんだぃ…」と褒める。無骨な手がフォークで甘柚子を口に運ぶ。        
 芋ころがしも甘柚子もどちらも秋のお茶請けとのこと。柚子はもちろん秋の味だが、中
津川芋も七月に収穫したものを納屋で熟成させた秋が一番おいしいという。      
 充子さんは「これも秋の味なのよね…」と小皿の芋ころがしを指さす。       
 お茶請けは田舎の家には欠かせないものだ。お客様が来ると必ずお茶が出る。お茶請け
は一緒に出されるのだが、その家によって違うありあわせのものが出る。お香々だったり
、お菓子だったり、簡単な料理だったりする。                   
 充子さんのこの日のお茶請けは「芋ころがし」と「甘柚子」で、このままお酒が飲みた
くなるような旨さのお茶請けだった。                       
 お茶をいただきながらご主人の茂さんと「秩父鉱山」の話や山里の民具の話をする。様
々な資料があるので話が弾む。外はいつの間にか暗くなっていた。