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山里の記憶175


あおばた豆腐:岸 ヱイ子さん



2015. 12. 05


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 十二月五日、秩父の下吉田・布里に岸ヱイ子さん(七十三歳)を訪ねた。以前からお願
いしていた豆腐作りを取材させてもらうためだった。約束の時間に伺うと、庭先ですでに
豆腐作りを始めていて、これから二回目を仕込むところだという。さっそく取材に入る。
 ヱイ子さんがカップでミキサーに入れているのは、丸一日水でふやかしたあおばた豆。
丸々と水を吸って膨らんだ緑色の豆だった。五百グラムの豆を入れ、同量の水を加えてミ
キサーのスイッチを入れる。ヱイ子さんは「三百グラムの時は一分でいいんだけど、五百
だから三分回すんだぃね…」と言う。三分回すと豆腐の出来上がりがのめっこくなる。 

 あおばた豆は青大豆の一種で、ほかの大豆と同じく未成熟期には枝豆として食べられて
いるが、完熟しても皮の色が緑色のままの大豆だ。枝豆の風味と香りが残っており、塩ゆ
でにして枝豆のように食べたり、だし汁を染み込ませたひたし豆としても食べられる。あ
おばた豆の名前の由来には諸説あり、漢字表記も青肌豆・青端豆・青畑豆などがある。 
 ひたし豆で食べるほか、あおばた豆で味噌を作る人もいる。枝豆の風味が残る味が特徴
だと言われるが、味噌になるとよくわからない。あおばた豆腐は今回初めて見る。   

 ヱイ子さんが一回目に使ったものは一昨年の豆。二回目に使ったのが今年のあおばた豆
だ。今年の豆よりも一昨年の豆の方がおからの量が多いそうだ。ひね豆は水を吸わず、お
からが多くなるとのこと。実際には水に浸けた時間の差だったり、豆の種類だったりでお
からの量は変わるので、絞って見なければわからない。               
 通常はこの生呉汁(ミキサーで砕いた豆汁)を鍋で煮て豆乳とおからに絞り分けるのだ
が、ヱイ子さんの方法は違っていた。ヱイ子さんは生呉汁をそのまま絞り機にかける。 
「煮たのを絞るんは熱ちぃからねえ。絞りきれねぇしねぇ…」自分の体力や熱湯を扱う大
変さに、この方法を考えたのだそうだ。                      
 納屋の隅にその機械があった。「年金で買ったんだぃ」と胸を張る立派な圧搾機だ。専
用の絞り袋はナイロン製だ。手作りの袋ではこの圧力で裂けてしまう。この圧搾機で絞っ
たものが生豆乳になる。絞り終わったものが生のおからとなる。生なので、このまま食べ
ることは出来ない。その点だけがこの方法の難点だ。                

材料のあおばた豆を計ってミキサーに入れる。同量の水と三分回す。 生呉汁はこの袋に入れて圧搾機で絞る。これは専用の袋。

 生豆乳を鍋に入れて庭の薪ストーブに運ぶ。このまま強火で煮る。煮ている間中ずっと
焦げ付かないように大きなしゃもじで鍋底をかき回し続ける。火は強火のままでいい。煮
立ってきたら火から外せばいい。冷まして煮て火から外す事を三回繰り返し、その後十分
ほど弱火で煮れば煮上がる。鍋をストーブから外し、そのまま冷まして水温計が八十度に
下がった点でにがりを加える。                          
 にがりは使い慣れたものを使う。使ったことのないにがりを使うと失敗する事が多い。
にがりと水は五対一の割合にする。今回は二百グラムの水に四十グラムのにがりを入れた
ものを使った。豆腐作りは化学作用なので分量はきちんと計らないと豆腐にならない。 
 混ぜるときは一回で全体ににがりが回るように混ぜる。              
 にがりを加えて十五分くらい放置する。豆乳は十分から三十分くらいでおぼろ状態にな
る。これを型枠に流し込む。型枠には専用の布が敷いていある。全部入れたら布でふたを
して木枠の蓋を置き、上に軽い重りを置く。このまま置いておけば豆腐に固まる。ここま
でで一連の作業が一段落して、やっといろいろな話が聞ける状態になった。      

大鍋の豆乳を強火で煮る。煮立ったら鍋を下ろし、三回くり返す。 おぼろ豆腐を型枠に流し込む。漉す布は専用のものを使う。

 ヱイ子さんが入れてくれたお茶を飲みながら豆腐作りについて話を聞いた。     
 ヱイ子さんが豆腐を作り始めたのは五年ほど前からだ。知り合いに配るために作ってい
て、良い豆腐が出来るとみんなに喜ばれる。                    
 今回はあおばた豆を使ったが、他にもいろいろ試している。借金なしという小粒の大豆
で作ったこともある。一番良かったのは白光(はっこう)大豆で作った豆腐だった。白光
はおからがとても少なかった。それだけ養分や成分が豆腐に含まれている訳で、この豆腐
は本当に旨かったという。                            
 豆腐の型枠は昔の物をまねて大工さんに作ってもらった。古い型枠もあるのだが、乾燥
が進んでグラグラしてしまい使い物にならなかった。中に敷く布も工夫が必要だった。サ
ラシでやった事があったのだが、失敗だった。目が細かくて豆腐の脂肪が詰まってしまい
、水が抜けず固まらなかった。                          
 布は豆腐専用のもので、一回使う毎に専用の洗剤で洗わないと使い物にならない。この
豆腐用の洗剤は高い。三千円もするのだが仕方なく使っている。           

 今までに難しかったことは、にがりの加減だった。にがりの量が多いと豆腐が固くなっ
てしまう。初めて使うにがりはこの加減がわからない。人からもらう事もあるのだが、使
うのはどうしてもためらう。今使っているのは、深谷の大谷豆腐店で紹介してもらったも
の。この豆腐店でレシピをもらったのが豆腐作りの原点だった。道具屋で買ったにがりは
十八リットルもあり、三千八百円で買った。当分買わないで済むだけの量がある。   

 気に入った豆腐はなかなか出来ないのだが、良い豆腐が出来ると嬉しくてみんなに配り
たくなる。材料も毎回違うので仕方ないことだが、出来上がりが毎回違うので不思議だ。
 今年はこれが二回目の豆腐作り。例年寒い時期に豆腐を作る。多い時は月に五回くらい
作ることもある。雨が降るような日に作ることが多く、天気予報を見て雨が降り出しそう
だからと豆を水に浸すことが多い。                        
 お正月前には必ず豆腐を作って料理に使う。おからで卯の花も作る。生おからは一回蒸
かして料理する。                                

 昔は集落共同の大きな釜があって、そこで共同作業で豆腐を作ったものだった。ヱイ子
さんと私は同じ集落で育った。その共同の大釜があったのは我が家隣の「玄ちゃんち」で
、みんなで集まって大豆を石臼ですり、大鍋で煮込み、布袋で絞った豆乳で何丁もの豆腐
を作った。みんながその豆腐を料理して正月を越したものだった。          
 ヱイ子さんが思い出して言う。「昔は豆腐を絞った汁をシャンプー代わりにしたもんだ
った…」髪の毛がツヤツヤになるが、シラミも湧いたものだった。あの頃の豆腐は一年に
一度、正月だけのごちそうだった。                        

 二十分経ったので豆腐の型箱を見に行く。ヱイ子さんは「固まったね…」と言いながら
箱の上下をひっくり返してバケツの縁に置いた。箱を外し、布を慎重に取り外す。布を外
す前に全体を水で濡らすと、布がきれいに剥がれるという。ペタペタと水を手でかけてか
ら布を外すヱイ子さん。「これがドキドキするんだぃね…」と慎重だ。        
 布を取り外してから包丁で五つに切り分け、バケツの水に放つ。「ほれ、食ってみ」と
まだ温かい豆腐を少しいただいた。「あちち」と口に運ぶ。これが旨かった。口にふわっ
と広がる大豆の味。噛み応えある食感。大豆のエキスが詰まった濃い味の豆腐に思わず声
が出てしまう。「これ旨いですよ!」                       

最高にいい豆腐が出来たと大喜びのヱイ子さん。 出来た豆腐はこのパックに詰めて知り合いに配る。

 ヱイ子さんも切り分けた一丁の豆腐を持ち上げて大喜びだ。「これ見て! こんなにプ
ルプルしてるよ。最高の出来上がりだよ! 」こんな風に出来上がる事は少ないと喜ぶヱ
イ子さんを見ていると、こっちも嬉しくなってくる。                
 「いいお土産だよ〜。いっぱい持っていきな…」と豆腐を青いパックに詰めてくれた。
この専用パックも大量に買ってあり、誰にでも出来た豆腐を分けてやるのだという。  
 この日出来た二つの豆腐を少しずつ食べ比べてみた。やはり今年の豆で作った豆腐の方
が味が濃くて旨かった。「これ食っちゃうと売ってる豆腐食えなくなりますね…」と思わ
ずつぶやいてしまった。一番美味しい食べ方は? と聞くと、そのままが一番旨いという
答え。「七味と生姜とネギが少しあればそれだけで充分だぃね…」とヱイ子さん。   

 ヱイ子さんから豆腐四丁と生おから一袋をお土産に帰途についた、自宅に帰って夕飯で
ヱイ子さんが言ったように、おかかをかけただけの冷や奴で食べてみた。       
 しっかり大豆が詰まった豆腐は固くて噛み応えのある豆腐だった。あおばた豆特有の色
と香りが爽やかだ。醤油を少しかけて食べる手造り豆腐の旨さ。           
 残った豆腐は湯豆腐にして食べた。これもまた旨かった。こんな贅沢な豆腐はなかなか
味わえるものではない。ヱイ子さんに感謝の味だった。