山里の記憶180


お天気占い:黒沢富夫さん



2016. 2. 25


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 二月二十五日、秩父郡小鹿野町両神薄・出原耕地の「お天気占い」を取材に行った。取
材したのは「出原天気占い保存会」会長の黒沢富夫さん(六十九歳)だった。     
 出原のお天気占いは、聞くところによると三百五十年くらいの歴史があるらしい。また
言い伝えでは、百数十年前に鉄砲水でご神体が寄居の先の本畠村迄流されたことがある。
 この時に六部(昔、全国の社寺などを巡礼し、旅をしながら修行していた人のこと)に
拝んでもらったところ、出原のご神体と判明したので連絡を受けた氏子が迎えに行った。
ところが、神様が言うには「二月二十五日におしとぎをやらなきゃ還らない」とのこと。
そこで神様におしとぎをやりますからと約束して還ってきてもらったという言い伝えだ。
 一度だけお祭りの日を変えようかという話が出たときに、その故事を持ち出して長老が
日を変えるのは止めようと決めたそうだ。だから毎年二月二十五日がお祭りになる。  

 お天気占いも昔からやっていた。戦前は集落の堂本家が専任でやっていたのだが、戦後
は五人の行事が交代で「ヤマドイ」という役を受け持ってやった。今は、正喜屋の富夫さ
んが全部やっている。昔は三十軒以上の家があった集落だが今は七軒になってしまった。
富夫さんが保存会の会長という事で主な作業を一人でやっている。          
 この行事は、平成八年三月十九日に、埼玉県の無形民俗文化財第四四号に指定された。

両神、薄川最奥の集落、出原耕地。今人が住んでいるのは七軒。 お祭りの会場諏訪神社には弓矢・的・おしとぎが奉納されている。

 お祭りの朝、大きな祭り旗を二本立てる。諏訪大神と小鷹大神の名が書かれた大旗だ。
昔は四本の旗があったが今は二本になった。「とにかく旗を立てるんも一苦労でさあ、年
寄りべぇなんで二本にすべぇって事になったんだぃ…」と富夫さん。六人がかりで大旗を
立てる事だけでも大変だと笑う。旗竿は長く重いので保管も大変なのだが、今は正喜屋の
軒下に保管している。                              
 お祭りに必要な弓矢と的は毎回新しくする。弓は桃の枝で作る。昔は専用の木を育てて
使っていたが、鹿に食われたりして続かず、今は今神耕地の花木栽培をしている黒沢充雄
さんに依頼して育ててもらっている。三年物のスラリと伸びた枝を二本切って弓にする。
弓の弦は麻を手でなって作る。集落の女衆がやってくれる。             
 矢は篠竹を使う。なるべく真っ直ぐな篠竹を選ぶ。小鷹様の矢二本とお諏訪様の矢二本
を作る。神様のものなので、火を入れて真っ直ぐに矯正するなどという事をせずそのまま
使う。矢の先はとがらせず、平らにしてある。                   
 矢羽根は和紙で作る。小鷹様は三本線に点々が入ったもので、お諏訪様は四本線の矢羽
根になる。羽根の長さは十一センチと決めてある。                 
 的は同じ物を毎回張り替えて使っている。縦が八十一センチ、横が七十七センチのほぼ
円形。中心の黒丸から二本の太い同心円が書かれる。白い部分に当たれば晴れ、黒い部分
に当たれば雨、的を外れれば風が吹くという占いになるという。的と弓矢は前日までに作
って神社に奉納してある。                            
 射手は六人、二本の矢を一人二回射る。合計二十四本の矢が射られ、その結果で長老が
今年の天気を占ってまとめる。なお、天気占いの結果はこの集落を中心とした両神地区に
限られるという。                                
 前日に、お天気占い神事の後に配られる神饌「おしとぎ」が自宅で奥さんのまり子さん
と娘の富美恵さんによって作られた。きな粉を練った生地を下段に、米粉を練った生地を
上段に重ね、丸く成型したケーキのような形に出来上がっている。          

 お祭りの朝、十時に伺った。富夫さんは忙しく動き回っている。まだ参拝の客もカメラ
マンを来ていない時間だった。富夫さんが「ご神体を見せてやるよ」と神社の中からご神
体二体を運び出した。一体はお諏訪様でこれは木造の法体。ナタ堀りのようでやさしいお
顔だった。もう一体を見たときに衝撃が走った。小鷹様のご神体がなんと烏天狗だったの
だ。「これ、お天狗様じゃないですか! 」「ああ、そうだいね。昔は子供らが背負って
遊んだりしたもんだったぃね…」と富夫さん。どちらも両手が欠損している。     
 小鷹様と烏天狗のつながりとか何も知らなかったのでビックリしてしまった。後で調べ
てみたら、岐阜県の秋神温泉の小鷹神社で天狗祭りが行われていることがわかった。  
 滋賀の小野神社で神饌とされている「おしとぎ」を作る習わしも伝わってきたものだ。
聞くと、最初からお諏訪様と小鷹様が祀られていたらしい。             
 富夫さんによると、昔ご神体が流されたという話は「ありゃあ、嘘だいねぇ。木のご神
体が流されりゃ傷むだろうに、傷一つないかんねぇ…」と豪快に笑う。まあしかし、神様
の事だから言い伝えのような事が何かあったのだろう。               

 この神社は平成二十三年の六月に火災に遭った。神社上の家が火災を出し、延焼したの
だ。その再建に富夫さんは奔走した。何とか必死に動き回り、翌年の二月に再建し、無事
にお祭りを開催することができた。「あの時は本当に大変だった…」と富夫さんがふり返
る。「前の年のお祭りで弓の弦が切れたんだぃね…。年寄りの中で、変な事がなきゃあい
いが…、って話が出てたんだよ…」嫌な予感は的中し、三月に東日本大震災が起きた。そ
して、六月に火災が起きた。片付けも再建も「みんなが手伝ってくれたんで助かったぃね
ぇ…」と言う。しかし、富夫さんの人望があったからこそだと周りの人は言う。    

 家ではまり子さんがおしとぎに包丁で切れ目を入れている。おしとぎは切れ目を入れて
神社に奉納する。参拝者に配るので、数を慎重に見極めて包丁を入れる。       
 昼近くなって大勢のカメラマンが集まってきた。その人々にまり子さんが声をかける。
「中に入ってお昼を食べない! 」と手招きをする。なんと、来場者にお赤飯とけんちん
汁を振る舞ってくれるというのだ。これにはビックリしてしまったが、まり子さんは笑い
ながら「いつもやってるんだよ。一回で終わってくれた方がこっちも楽なんでさぁ…」と
言う。こんなもてなしは始めてだったので恐る恐る中に入ったら、すでに先客もいて「さ
あさ、詰めて詰めて」と炬燵の席を空けてくれた。                 
 まり子さんと富美恵さんが「さあ、順番に取って回してくんな」と次から次に料理を出
してくれる。お赤飯、けんちん汁、漬物、煮物、炒め物…。恐縮しながら皆さんの輪に入
って食事を頂く。常連さんが「寒いからありがたい事だねぇ…」とつぶやき、みんながそ
れにうなずく。赤飯は美味しく、けんちん汁は温かかった。料理はみんな旨かった。  

正喜屋のこたつでお昼をごちそうになる参拝者とカメラマンたち。 お祓いが行われ、弓矢の神事が始まる。

 二時になり、両神神社から宮司さんを迎えて神事が始まった。宮司さんの祝詞やお祓い
があり、国歌斉唱のあと玉串奉奠があり、お天気占いの神事が始まった。       
 昔は紋付き袴でやっていた行事だが、今は保存会揃いの法被を着て行う。法被の青が山
里に映えてきれいだ。しかし、寒風が吹く中での行事に参加者はみな寒そうに体を縮こめ
ている。カメラマンのカメラを構える手も冷たく寒い。               
 二人ずつ三組の射手が二本ずつ矢を射った。的に当たった矢が跳ね返ったり、的に届か
なかったり、いろいろあったが、全てが天気占いにカウントされる。係の人が詳細に確認
した結果、本日の矢は白に九本、黒に七本、的外れが八本となった。         
 これを受けて、長老の黒沢千万亀(ちまき)さん(八十三歳)が今年の天気を占う。そ
の結果、今年は適度に雨が降り、豊作だとのこと。なお、的外れは多かったが、台風の来
襲はないとのことだった。                            

お天気占いが終わり、おしとぎを配る会長の富夫さん。 参拝者全員がおしとぎとお菓子を頂く。山里の神社が賑わう。

 夕方の風がさらに冷たさを増し、おしとぎを配るにぎやかさを吹き抜ける。山あいで川
沿いの耕地だから風がよく抜ける。ドラム缶に薪を入れて燃やし、暖を求める人がそこに
集まる。おしとぎを袋に入れて車に戻り、富夫さんとまり子さんに挨拶に行った。「まあ
お茶を一杯飲んで行け」と言われてお茶をごちそうになる。             
 冷えた体に温かいお茶がしみ込むようだった。さて、帰ったらおしとぎを調理して食べ
なければならない。生で食べると無病息災だと言うのだが、なにせ味のないものだから、
そのまま全部食べるのは無理だろう。工夫して食べてみようと思う。         
 薄川最奥の集落に伝わる小さなお祭りが終わった。昔は大勢の人が来てにぎやかなお祭
りだったという。秩父でも春一番の天気占いということで代表的なお祭りだった。春を告
げるお祭りとしてカメラマンも大勢来た。今はその面影はない。           
 いったいいつまでこのお祭りを続けることが出来るのだろうか。秩父の各地に伝わるお
祭りを担当する人々みんなが考える未来だ。すでになくなったお祭りや行事がいかに多い
ことか。出原の天気占いは富夫さんひとりの力で成り立っていると言っていいかもしれな
い。今後どれだけこのお祭りが続けられるか誰にもわからない。