山里の記憶181


柿作り:新井健二郎さん



2016. 3. 29


絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。

 三月二十九日、秩父市下吉田に「柿作り」の取材に行った。取材したのは下吉田の新井
健二郎さん(九十歳)だった。健二郎さんは二〇年ほど前からあんぽ柿作りを始め、仲間
とあんぽ柿の生産組合を作った人だ。ご自宅に伺い、柿作りについての話を伺った。  
 栽培している柿は蜂屋と平核無しで、現在は百十本の木が畑にあるという。その柿の木
の手入れから話が始まった。                           
 一年間の作業の流れは途切れることなく続く。冬は木を休ませる期間でもあり、堆肥を
畑全体に撒く。健二郎さんは十二月から一月にかけて毎年十四トンの堆肥を撒く。多くは
牛糞堆肥だ。野菜の畑以上に果樹の畑は肥料が必要になる。苦土石灰も冬に全体に撒く。
 三月には元肥として木の枝先中心に一本につき五キロの専用肥料を撒く。柿の木は枝先
まで根が伸びているので、枝先に肥料を撒く。撒く肥料は農協で専用に作ってもらってい
るもので、窒素九%・リン酸十二%・カリ九%の柿専用の肥料だ。          
 六月には追肥をする。これも上記の専用肥料を一本につき三キロ散布する。     

居間の炬燵で熱心に柿作りの話をしてくれた健二郎さん。 畑に行き、柿の木の花芽を見る健二郎さん。これが実になる。

 途中から息子の康一さん(六十歳)も加わって柿作りの話を聞いた。一月から三月にか
けて行う剪定は重要な作業だ。柿は枝先に花芽を付けるが、この花芽は前年の七月にはす
でに形成されている。この花芽を切り落とすと実が付かない。枝先に花芽が集中している
ので、どれを残すかを慎重に見極めなければならない。どの枝にも日が当たるように、枝
が重ならず風通しが良くなるように剪定する。                   
 この剪定とは別に、六月上旬には新芽の剪定をする。芽が出てすぐに切り落とすと、す
ぐにまた芽生えてくるので、三十センチくらいに伸びたら根本から切り落とす。柿の木は
低く仕立ててあり、上に伸びる枝(徒長枝)は全部切り落とす。上を切って、下を太らせ
るのが剪定の基本的な考え方だ。高枝バサミで実を採れる高さに剪定をする。     
 蜂屋柿は一本の木で五百から六百の実が成る。多いものでは千個も成った木があったと
いう。しかし、千個も成ると実が卵のようにに小さく、商品にならなかった。剪定は実の
大きさをも決める重要な作業だ。                         

 健二郎さんに一番大変な事はなんですか、と聞いたらすぐに「それは霜なんだよ…」と
いう答え。遅霜は秩父によくある現象で、農業被害も大きいが、柿にもそんな被害がある
のかと思ったのだが話は深刻なものだった。柿は枝先に花芽を付ける。この花芽が実にな
るのは自明の理だが、この花芽が霜にやられると全滅という被害になる。花芽は前年の七
月にはすでに形成されており、霜でやられた後に再生することはない。芽が膨らんで葉が
出そうな頃、日中風があって夕方にはピタリと止む。この状態で冷え込むと遅霜だ。  
 これ一発でその年の柿は終わる。防ぐにはお茶畑にあるような扇風機の設置以外に方法
はない。健二郎さんの畑はなぜか霜の被害に遭ったことはないそうだが、ずっと大丈夫か
どうかはわからない。一基六十万かかるという設置費用を考えると頭の痛い問題だ。  

 消毒も大切な作業だ。五月から消毒を始めるが花の時期だけは蜜蜂を殺さないように消
毒をやらない。花が終わると五月末から消毒を再開する。六月までに二回、七月に二回、
八月に一回の消毒をする。畑が草に覆われていると土が乾燥するし、消毒用のホースが引
き回せないので、消毒前に草刈りをする。この草刈りも大変な作業で、ゴーカートのよう
な車の下に草刈りの刃が回転している草刈り機に乗って走り回る。支柱や障害物があると
走る事が出来ないので、常に畑は障害物がないように整理しておかなければならない。 
 夏の消毒は特に大変で、枝先まできちんと消毒しないと収穫前に実が落ちる事があるの
で特に慎重に行う必要がある。夏は合羽を着て長靴を履いてマスクをして消毒作業に向か
う。康一さんの話だと、流れ出た汗で長靴がぐしゃぐしゃになるし、体重が三キロ落ちた
こともあるという。とにかく過酷な作業だが、手抜きの出来ない作業でもある。    

 柿の葉は秋になると様々な色に紅葉するが、蜂屋柿にはマルボシ落葉病という病気があ
り、本来の柿の葉はあのような模様に紅葉しないという。消毒をしっかりした柿の葉は収
穫が終わるまで落ちる事なく緑色を保つそうだ。本来は十一月まで葉が残るものらしい。
 よく日が当たって成熟した実が出来れば平核無しは十月下旬から、蜂屋は十一月中旬に
は収穫作業になる。収穫は赤く大きな実を採ること。青い実は置いても青いままなので赤
くなったものだけ収穫する。また、変形した柿、熟して柔らかくなった柿、ヘタと実に隙
間のある柿などは全部畑に捨てて加工場に持ち帰らないようにする。         

 一通り話を聞いてから別棟の加工場へ向かう。加工場は昔の母屋で、ここであんぽ柿を
作る作業を行っている。床は湿気を防ぐ為、防水性のテント生地を貼ってある。ここに柿
干し専用の干し架が二十台ある。干し架は全てキャスターの付いた台車になっており、自
由に移動させることが出来る。健二郎さんがツーバイフォーの木材を使って組んだ頑丈な
台車だ。干し架には十個の柿を縄に吊った連と呼ぶ干し縄を五十から七十も掛けることが
出来る。干し架一台で約七百個の柿を干すことが出来る。              
 柿の皮を剥き、大きさを揃えて十個を並べ、ビニールヒモでぶら下げる。十個のコップ
を並べて固定した器具の上に柿を置き、等間隔にヒモに付けるというアイデアも康一さん
のものだ。こうして位置を決めて並べることで、同じ形で、柿同士がくっつく事を防ぐ連
にすることができる。大きさや向きを変えて柿同士のくっつきを予防するのが目的だ。 

 あんぽ柿作りには硫黄燻蒸という作業が必要になる。従来は干し架に大きなビニール袋
をかけて、その中で硫黄を燃やした。袋を空けた時に煙を吸わないように、みんなでその
場を逃げて離れるという方法でやっていた。どうもそんな作業では効率が悪いと、康一さ
んが考えたのは画期的な方法だった。                       
 作業場の干し架を決められた場所に止めると、上からサッとビニールカーテンが下りて
くる。カーテンの下には重りがあって床と密着する。天井からダクトが外につながって硫
黄の煙を排出する。この装置のおかげで燻蒸の危険はなくなり、作業も速く回転するよう
になった。多くの生産者が見学に来る装置でもある。燻蒸は硫黄二十グラムを鉄鍋で十五
分燃やすことに決められている。                         

康一さん考案の燻蒸装置。ビニール幕で囲む安全で画期的なもの。 草刈りや消毒の大変さを教えてくれた康一さん。

 この加工場では乾燥室が二階にもある。かなり頑丈で重い干し架だが、ウインチで二階
に吊り上げる装置もあり、誰でも簡単に二階に干し架を運ぶ事が出来る。       
 干し架には最初に吊った重量が各連(ヒモ)毎に付けられており、その数字を元に乾燥
具合を確認することが出来る。それぞれの重量の三十五%が目標乾燥目安だ。     
 暗い部屋で天井の扇風機、横からの業務用扇風機、業務用の除湿器などで柿の水分を抜
く作業を行う。湿気がこもった時は換気扇で排出する。乾燥させて三十五%になると商品
として出荷出来る。最後の何パーセントかが大変で、最後の手段としてヒーター室を使う
こともある。最初から温度を上げると柿の色が悪くなるのでなるべく扇風機だけで乾燥さ
せる。                                     
 三十五%の乾燥が品質を安定させる。水分が三十五%以上あると最終的に黴びる。仕上
げ時期の十一月後半から十二月までは意外と天候が不順で雨が多い。雨の日に袋詰めをす
るのと晴れた日にするのでは商品の品質に違いが出ることがある。湿気のない晴れた日に
袋詰めするのが理想なのだが、なかなか難しい。袋詰めは今後の課題でもある。    

干し架で蜂屋柿を干す。本当は暗い部屋でずっと干している。 扇風機や除湿器を使って、35%の重量まで乾燥させる。

 あんぽ柿は販路が広がってきて、作れば売れる。昨年は実の大きな生柿とあんぽ柿で五
千四百個を出荷した。秩父では昔は秩父夜祭りに干し柿を売ったものだったが、あんぽ柿
は干す期間が長いので夜祭りには間に合わない。その為、お歳暮用に照準を絞った。小ぶ
りな実を加工し、八個吊りの吊るし柿にして販売する。               
 正月を過ぎると全国の大産地が出してくるので競合が多い。お歳暮用というのが秩父あ
んぽ柿を売る唯一の方法と理解し、生産者が力を合わせてその需要に応えている。   
 二十人ほどで始めた柿生産組合だが、十五年が過ぎ、最近は出荷者が五・六人になって
、後継者問題が深刻になってきた。幸いなことに健二郎さんには康一さんという後継者が
いるが、後継者がいない人も多い。生産組合が今後どうなるか、余談を許さない状況にな
っている。                                   
 昔の風景にある、大きな柿の木にビッシリと赤い実が成る姿は秩父を代表する姿だと思
っていたが、あれでは効率が悪く商品化には向かないという。軒下にズラリと並んだ吊し
柿は、温暖化の影響でカビが生えるようになってしまった。             
 秩父の風物詩でもあった光景だが、今はもう過去の話だ。昨年の吊し柿は十一月の天候
不順で全滅した。今後もそんな状況が続くとすれば、柿はあんぽ柿に加工するしかない。
 健二郎さんはこれからも小鹿野・吉田の柿生産を伸ばしていきたいと話してくれた。