山里の記憶186


植木職人:坂本好房さん



2016. 7. 12


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   七月十二日、秩父の両神に植木職人の取材に行った。取材させて頂いたのは坂本好房(
よしふさ)さん(八十三歳)で、炎天下の植木手入れを同行取材させていただいた。  
 自宅前の軽トラには植木仕事の脚立や道具が積み込まれていた。すぐに現場に向かう好
房さんの軽トラを車で追う。隣の集落の一軒に入った軽トラから下りた好房さん。「ここ
が今日の現場だぃね…」とのこと。常木(つねぎ)集落の民家の庭だった。      
 荷台から大きな脚立を下ろすのを手伝おうとすると「いつも一人でやってるから、構わ
ねぇでくんな…」と言われてしまう。小さな体で大きな脚立を持ち上げ、移動し、松の木
の下に設置する。そのキビキビした動きはとても八十三歳には見えない。       
 ブルーシートを木の下に広げる。これは伐った枝や葉を片付ける時にやりやすいからだ
とのこと。作業は流れるように進んで行く。今日と明日の二日間でこの家の植木を全部剪
定するのだという。大小の松の木が四本あって、それが中心の剪定作業のようだ。   

軽トラに道具を積み込んで作業場所に出かける好房さん。 脚立に登って、五メートルほどのアカマツを手入れする。

   この日は晴天で、日中の炎天下は三十五度を超える暑さだった。とにかく暑かった。こ
の暑さの中で好房さんは淡々と刈り込みを続けている。チョキチョキチョキという剪定バ
サミの音がリズミカルに響く。作業をしている好房さんに、下からいろいろ話を聞く。 
 好房さんは若い頃、親戚の造園業者で働いていた。手広くやっている会社で、東京にも
仕事で行ったことがある。ここで勉強して造園の技術を身につけたのが、今の仕事の基礎
になった。農業をやる傍らで木を植えたり育てたりしていた。            
 こうして個人で植木管理の仕事をするようになって、もう四十年になる。最初は近所の
人や知り合いに頼まれてやっていたものだが、そのうちに口コミで広がって「俺んところ
もやってくれ…」とみんなに頼まれるようになってしまった。「近所や知り合いだから断
るわけにもいかなくてね…」と、仕事先が増えてしまった。得意先は両神・吉田・秩父と
広範囲にわたっている。何軒もあるから数えられない。「はぁ、歳だからダメだい…って
言ってるんだけど、頼まれるとねぇ…」断れないのだ。               

 黙々と松の枝を切り、葉を切る好房さん。枝先の下に伸びた草のようなものを指さして
「これがカヤランだぃね。春先に黄色い花をつけるんだぃね。知らないと切っちゃうけど
なるたけ残すようにするんだぃね」と教えてくれた。見ると、あちこちの枝からカヤラン
が下がっている。何でも切ればいいというものではないのだ。            
 チョキチョキとハサミの音が続く。毎年葉を切らないと松の葉はどんどん伸びる。「松
の腰が上がらないように切るんだぃね…」剪定せずにボヤっと伸びた葉のことを腰が上が
るというのだと知った。                             
 それぞれ木によって勢いが違うので切る量は経験で塩梅する。時期によっても切る量が
変わる。五月頃まではかなり切っても、次から次に葉が伸びるので大丈夫だが、七月以降
は木の勢いを殺すことになるので切りすぎないようにする。             

 休憩も取らず黙々と植木の刈り込みをやっている好房さんに、熱中症を心配して聞くと
「雨の日以外は毎日こうだぃね。もう慣れてるから…」とのこと。休みは雨の日で、それ
以外は暑くても働く。晴れたら休んでいられない。暑さ対策には凍らせたペットボトルの
水を溶かして飲む。家の近くのわき水を凍らせたものだ。これを四・五本クーラーボック
スに入れておき、いつでも飲めるようにしている。                 
 周辺に松ヤニの香りが立ってきた。切った枝から出ている香りだ。好房さんの手を見せ
てもらったら、松ヤニで真っ黒になっていた。「松をやってると、どうしたってこうなら
ぃね…」と笑う。その手で枯れ葉や枝や幹をガシガシとクズ落としする。手袋をしないの
かと聞いたところ、手袋をすると引っかかってダメだという。冬のよほど寒い時期以外は
素手での作業だ。指先の微妙な感覚が大切なので手袋はしない。職人の技は、その手から
繰り出される。真っ黒で、節くれ立った、働きもんの植木職人の手だった。      

 何度も大きな脚立の位置を変えて、松の枝を一つずつ剪定して行く好房さん。炎天下で
見ているだけでも汗が噴き出すが、黙々と剪定を続ける人の前では暑いとも言えない。 
 脚立の上から作業しながら話してくれたのは蜂の事だった。「夏は蜂が出るんで嫌だぃ
ねえ、ヌカバチやコノハバチ・アシナガバチが植木ん中に巣を作ってるから、刺されて巣
に気がつくようだかんねぇ…」「シラバチ(黄色スズメバチ)やフエンドウ(大スズメバ
チ)も出るかんねぇ」「それじゃ、ポイズンリムーバーを持ってないと…」「ああ、植木
屋にゃぁ必携だぃね。すぐ医者に行けないかんねぇ…」七月から九月までは気が抜けない
と話してくれた。蜂は植木屋の天敵だ。                      

 十時になって「植木屋さん、休まねえかい? 」と休憩の声が掛かった。お茶とお茶請
けが出されて、好房さんと一緒にお茶を頂きながら話を聞く。            
 話は昔の家にまつわる話になった。好房さんの家は塩沢にある。三百年くらい前に建て
られた家で、塩沢の中でも古い歴史を持つ家だ。昔、塩沢は奥に塩沢城があった。城に立
てこもった長尾景春(かげはる)を太田道灌(どうかん)が攻めたと言われている城だ。
 戦国時代の話だが、当時は三十軒もの家があったと言われている。今現在は七軒の家が
あるだけだ。「若い人と暮らしてるんはうちだけだぃね…」三世代が同居している。  
 昔はコンニャク作りや養蚕・椎茸作りが主な仕事だった。中でも養蚕は年に七回も出す
ほど力を入れたものだった。春に二回、夏に二回、秋に三回の養蚕をやり、年に一トン以
上の繭を出荷した。当時は一トン会というものがあって、そこの常連だった。     
 酪農もしていた。好房さんは尋常小学校の時にはもう牛の搾乳をやらされていた。牛に
蹴られたりして大変だったと笑う。父親が出征していたので、終戦後父親が帰ってくるま
で、家の仕事をしなければならなかった。終戦は好房さんが六年生の時だった。「食うも
んがなくて腹っぺらしだったぃね…」戦後の食糧難は農家でも同じだった。      

十時休みにお茶を飲みながらいろいろな話をする。 作業再開。木製の脚立に登って、黒松の懸がいを手入れする。

   休憩が終わり、炎天下の作業再開。実に身軽に作業する姿に見入ってしまう。「身が軽
いですね」と声をかけると「植木屋が重たくっちゃ仕事にならんやね」と返事。脚立の上
で作業する時間が多いので自然に身についた動きのようだ。こう暑い中で仕事をしていた
のでは太ることも出来ない。体のためには、この仕事をしているのがいいと言う。   
 この仕事をやっていて良かったと思うことを聞いてみた。いろいろな場所に行き、色々
な人からいろいろな話を聞くのが一番楽しいという返事が返ってきた。        
 逆に大変な事はと聞くと、冬の寒さだという返事。本当なら冬は休みたいのだが、頼ま
れると断れない。どんな寒い時でも「悪いけど人寄せがあるんで…」と言われるとやるし
かない。冬に素手で松の木を剪定して枝をしごいたりするのは本当に大変だという。  

 昼休みは家に帰ってご飯を食べる。ご飯を食べ終わる時間にご自宅に伺って、好房さん
が昔撮った写真を見せてもらった。マット加工された大判の写真が何枚も出された。昔、
二眼レフのカメラで撮った写真で、金婚式を記念した写真展で展示した写真だという。 
 モノクロの写真は紙すき手順を写した組写真や背負子で薪を背負う奥さん、庭先で赤モ
ロコシを脱穀する写真、畑で白菜を収穫する写真や麦を植える写真など、懐かしいものば
かりだった。一枚一枚が家族の記録であり、家の記録でもあった。          
 奥さんの喜與子(きよこ)さん(八十一歳)に話を聞く。喜與子さんは二十六歳の時に
三田川の河原沢から嫁に来た。当時の家は八人暮らしで、若い嫁は忙しかった。養蚕やコ
ンニャク作りに明け暮れた。苦労して子供を育てたものだった。           
 最近まで花木栽培を近所の人たちと一緒にやっていたが、最近足が悪くなって出来なく
なった。今はひ孫と遊ぶのが楽しみなのだが、ひ孫の動きについていけないのだと嘆いて
いる。しばらく話し込んだのだが、先に現場に戻った好房さんを追って現場に行く。  

二眼レフカメラで好房さんが撮影した新婚当時の奥さん。 自分が写った写真を持って笑顔の奥さん。

   この日はアカマツ三本と黒松一本の手入れだった。好房さんは手袋もせず素手で黒松の
葉をガシガシと扱う。少し真似してみたのだが、アカマツと違い、とても痛くて無理だっ
た。「慣れてるから痛くなんかねぇよ。素手でなくちゃぁダメなんだぃ」とのこと。もう
少しやると枯れちゃうよ、という松の声を聞きながら作業するのだという。毎年やらない
とダメで、葉が伸びると下の葉が枯れて形が崩れる。「黒松は強いから、けっこう切って
も大丈夫なんだぃね…」と剪定バサミを動かす。                  
 最近は車庫を作るんで植木を切ってくれとか、庭を壊してくれという依頼が多くなった
と寂しそうに言う。ブームの時は石や植木もずいぶん売れたが、今は「付き合いで手入れ
をやっているようなもんだぃね…」と言う。山里の植木職人は時代の流れも見ている。