山里の記憶199


秩父生茶:出浦正夫さん



2017. 5. 19


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 五月十九日、両神の間庭(まにわ)に生茶の取材に行った。取材したのは出浦正夫さん
(七十歳)で、一日で茶摘みから製茶までの工程を取材させていただいた。      
 今年は四月に雨が少なかったので茶葉の成長が遅れている。ここ三日ほどの雨で急に伸
び出したのでちょうど良いタイミングだと喜ばれた。挨拶もそこそこにすぐに畑に出てお
茶摘みを始める。今日は葉を摘むところから製茶になるまでを取材する。       

 昨夜の雨のしずくが残っているので正夫さんの長靴を借りて畑に向かう。三反歩のお茶
畑は家のすぐ近くにあり、草一つなくきれいに刈り込まれている。正夫さんが「この状態
まで草取りをしておかないと刈れないんだぃ…」という。茶葉の刈り取りは二人用刈り取
り機で行うためドーム型に刈り込まれた面から伸びた新芽だけを刈り取るためだ。他の草
やツルが混ざるとお茶の味が悪くなる。刈り取り前の作業が重要なことは明白で、正夫さ
んはその前準備が大変だった。ツルは根から抜かないとすぐに伸びるから株の中にもぐり
込んで根を掘り取る。毎年大量のツル芋を掘り取っている。             

 奥さんの笑子(えみこ)さんと機械の準備をして畑に入る。機械のエンジンをかけると
送風口から風が出て収納袋が膨らむ。二人の呼吸を合わせて茶葉の刈り取りが始まる。 
 ゆっくり歩きながら伸びた茶葉だけを機械が刈り取り、収納袋に風が送り込む。すぐに
袋が重そうに垂れ下がる。袋が下にずり落ちると作業しにくそうなので、落ちないように
袋の補助をする。日射しが強く汗が流れるので、タオルを首に巻いての作業になった。 
 正夫さんが突然機械を止めた。何か? と見るとツルが出ている。「こういうのがある
から困るんだぃ…」とツルを抜き取って、すぐにエンジンを掛ける。枯れ葉や古く固い葉
が混じらないように慎重に新芽だけを刈り取る。                  

伸びた新芽だけを慎重に刈り取る。正夫さんと笑子さん。 機械から送風が袋に送られ、刈った新芽が袋に溜まる。

 一列の片面を刈り取り、袋に詰まった茶葉を軽トラに運び、新しい袋を付け替えてすぐ
残りの片面(反対側)を刈り始める。夫婦のあうんの呼吸が素晴らしい。長年やってるか
らと笑子さんが笑う。機械で刈り込みが出来る状態に株を維持することが一番大変な事だ
と正夫さん。秋と三月、新茶の時、二番茶の時と、年に四回刈り込みをしてこの形を維持
している。四十六年くらい維持しているこのお茶畑。正夫さんは教師の仕事をしながら維
持し続けてきた。大変な事だったと思う。                     

 お茶の株四列を刈って八袋の茶葉が採れたので、工場に運んで目方を計る。製茶工場を
回すには一回分で六十キロの茶葉が必要だ。計ってみたら十二キロ足りなかったので、追
加で一列刈り込んで茶葉の刈り込みは終了。製茶にする分だけ刈るので他の株はそのまま
新芽を伸ばしておく。                              
 工場は家のすぐ横にあり、製茶までのあらゆる工程を加工できる設備が整っている。十
二年前に建てたという工場だ。初めて見てその規模の大きさに驚いた。「これを個人で運
営しているなんて…」信じられなくて言葉をなくした。               
 正夫さんは一人でこの機械群を操作して茶葉から製茶にする。見たこともないすごいこ
とが目の前で始まろうとしていた。                        

 生葉コンテナに入れた茶葉からゴミや古葉や茎を取り除く。ボイラーの湯が沸いたとこ
ろで作業が始まる。モウモウと蒸気が上がる蒸し機に茶葉が給葉コンベアで運ばれる。コ
ンベアで移動する間もゴミ取りをする。機械の両側で笑子さんと必死で手を動かすが、と
ても全部は取りきれない。笑子さんは「大丈夫、次でもその次でも取れるから」と笑う。
 蒸し機で蒸された蒸し茶葉は冷却コンベアを通る。正夫さんがここで葉を確認しながら
更にゴミ取りをする。タワーコンベアで粗揉機(そじゅうき)へと運ばれた蒸し茶葉はま
ず乾燥させる。粗く揉む機械で揉みながら五十%の水分まで乾燥させる。火加減が難しい
が、正夫さんは機械に手を入れて乾燥具合を確認し続ける。これが一台目で三十分、二台
目で五十分かかる。軟らかい茶葉だと時間がかかる。                
 粗揉機や蒸し器は毎回使用後に水洗いする。これが大変な作業で、毎回汗だくになる。
粗揉機での作業は温度管理が大切だ。温度が高いと赤い茶になり、温度が低いとえぐみの
出るお茶になる。その日の温度・湿度によって変わるので神経を使う。人肌がいいと言わ
れているが三十四度くらいの暖かく湿った状態でゆっくり乾燥させる。表面だけ乾くのは
だめで、人肌の温度としとみ(しっとり感)を保って乾燥させる。          
 一台目の粗揉機を通過し振動コンベアで送られた二台目の粗揉機に入れられた茶葉はこ
こで五十分かけて乾燥させる。回転の速さが大切で一分間に三十七から三十四回転とゆっ
くり回転させながら乾燥させる。ここまで解説をしながら正夫さんが「結局は元の葉が一
番大事でねぇ、蒸しと粗揉でほぼ決まるんだぃね…」という。蒸しから中揉機までコンピ
ューター管理できる機械があるが、高価なのとお茶を作る感覚を人間が判断する事が大事
だと正夫さんは否定的だ。                            

正夫さんの製茶工場の全景。たくさんの機械がつながっている。 揉捻機(じゅうねんき)で揉んでいる茶葉の様子を見る正夫さん。

 粗揉機で良い状態に乾燥された茶葉は握って少し固まるくらいの水分。これを振動コン
ベアで揉捻機(じゅうねんき)へと送る。揉捻機は熱を加えずに練り揉みする機械。大き
な器がガッコンガッコンと回り、茶葉を揉んでいく。これが三十分から五十分かかる。 
 揉捻機には重石があり、その加減は葉の柔らかさで調整する。この機械は熱を使わない
機械なので、工程中唯一正夫さんが休める区間だ。ここでちょうど時間も昼過ぎになった
ので笑子さんから昼食の差し入れがあった。作業の途中という事もあり、いなり寿司と野
菜の煮物など簡単に食べられる美味しい昼食だった。機械の単調な音が工場内に響いてい
る。夜にこの作業をやっていると、この音で眠くなるのだと正夫さんが笑う。     

 五十分間揉捻機で揉まれた茶葉は、タワーコンベアで中揉機(ちゅうじゅうき)に送ら
れる。あらかじめ暖められた機械が回転しながら茶葉を乾燥させ、なおかつ揉む。五本刃
がドラム内でドラムと違う回転をすることで揉み込む作業になる。ドラムは毎分二十五回
転し、三十五分間乾燥する。ここから葉を出すタイミングは機械に書いてある文章による
と「茶を強く握って固まらず、放して静かに解ける程度に乾燥したら取り出す」とある。

 次に茶葉が入るのが精揉機(せいじゅうき)だ。まるで人間が手もみするような動きの
機械四台が茶葉を作り上げる。四十分から五十分の乾燥ともみ込み。この機械の動きは本
当に面白くて見ていて飽きない。正夫さんは茶葉を手に取りながら乾燥具合を確認する。
 いい香りが立ってきた。出来上がりはサラサラの茶葉できれいな針型になっている。今
日の朝刈り取った生葉がこんな形になるなんて何だか不思議な気がした。       
 正夫さんは葉の温度が上がりすぎないようにひんぱんに手で触って確かめる。少しずつ
手にとって茎を取り出すのもこの時の仕事だ。ずっとお茶の葉に触っていると手がツルツ
ルになる。今までの全ての機械の動きは、人間の茶揉み作業を再現しているのだという。

精揉機(せいじゅうき)の使用前に掃除機できれいに掃除する。 これが電気選別機。お茶と粉・茎を静電気で選別する。

 最後は乾燥機にかける。乾燥機内は七十度に設定してあり、四段の棚を落として移動す
るゆっくり動くコンベアで乾燥させる。乾燥された茶葉はパイプを通して選別機に送られ
る。選別機は電気選別機で、静電気で粉と煎茶に分けられる。五時間かけて出来上がった
お茶。この段階のお茶を生茶または荒茶と呼ぶ。製茶にするには更に火入れが必要でこれ
は別に行う。ここまでで九十七%の乾燥度合いになっているが、更に仕上げで一から二%
の乾燥を加える事で品質の安定したお茶になり、出荷出来るようになる。       

 今日はこの生茶を頂いた。出来上がった生茶が黒い盆に入っている。緑色がきれいだ。
手に持って香りを嗅ぐ。爽やかなお茶の香りが鼻をくすぐる。朝摘んだ若葉が見事なお茶
になった事に感動した。笑子さんが「五時間くらいかかるね…」と言っていた通りになっ
た。五時間付きっきりでお茶を作った正夫さんの感覚と技術もすごい。機械毎に異なる要
点を確実につかみ、クセを理解して味を決める。どの時点で何を感じ、何をしなければい
けないかが全てわかっていなければお茶にならない。過去、どれだけの試行錯誤があった
のかわからないが、お茶作りの総合的知識と技術は秩父でも傑出していると思う。   

 奥さんが出来たての生茶を入れてくれた。お茶請けは虎屋の最中。じつに甘露で爽やか
な生茶だった。一日でお茶が出来上がる魔法のような時間を体験した。これを個人でやっ
ている正夫さんのすごさが少しでも伝われば作者として嬉しい。