山里の記憶202


焼きじめえ:浅見ノブエさん



2017. 8. 08


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 八月二十一日、芦ヶ久保の入山耕地に「焼きじめえ」の取材に行った。取材したのは浅
見(あざみ)ノブエさん(七十六歳)で、旧家の年中行事にまつわる料理の話を聞かせて
いただいた。                                  
 当初、ショウガを乾燥させて作る「ショウガ茶」の取材をする予定だったのだが、天候
不順で乾燥する前に黴びてしまう事態になり、急遽別の取材をということになった。  
 ノブエさんが「そういえば焼きじめえってもんがあるんだけど、どうかさあ…」と言う
ので話を聞いたところ、じつに面白い切り口の取材につながった。          

12月28日に作るという焼きじめえを作ってもらった。 焼いたおまんじゅうの香ばしさとフワフワの餡がおいしい。

 この家は三百五十年以上続いている旧家で、年中行事の家例が数多く残っている家だっ
た。焼きじめえとは十二月二十八日に作るおまんじゅうの事で、一年の虫と厄災を焼いて
お終いにしようという家例とのこと。「焼き終い」がなまって「焼きじめえ」になったも
のと思われる。一回で五十個ほどのおまんじゅうを作る。それも蒸すのではなく囲炉裏で
焼いて仕上げるまんじゅうだった。出来上がったおまんじゅうは、家の中だけでも八ヶ所
の神様に供えるという。今は囲炉裏がないので火鉢に炭を熾して焼いている。     
 ご主人の文昭さん(七十六歳)にも加わっていただき、更に詳しく家例の話を聞いたと
ころ、浅見家の家例では年中行事毎に料理が決まっていて、ノブエさんはそれを忠実に作
っているという。それは驚くような話の連続だった。                

 正月の三が日、朝は煮込みうどんに決まっている。椎茸・白菜・ネギ・油揚げ・鶏ささ
みが具になる。夜は尾頭付きの魚と白いご飯。魚はイワシやサバだったという。それに季
節の野菜で作った煮物が付く。味噌汁や漬物も普通に付く。             
 一月四日、朝はおじや。「棚さがしのおじや」といい、三が日に神棚にあげたご飯など
を全部保存して置き、そのご飯でおじやを焚いてみんなで食べる。          
 一月十五日、小正月。おじいさんの時代にはアボ・ヒボを作り、舞玉を作って飾り付け
た。舞玉は餅米とうるち米があった。赤い舞玉は食紅で染めた。おじいさんはカキハナも
作って飾った。農具などの飾り物を博物館の人がダンボール一杯持って行った事もある。
 おじいさんの時代にはいろいろきちんとやったが、今はやっていないとのこと。   

 二月三日、節分。大豆を煎って豆まきをする。大豆を食べることはしない。節分祭の料
理は煮物。自分の畑で採れる季節の野菜で作る煮物は様々な場面に出て来る。     
 三月はお彼岸。ご先祖様に供えるぼたもちを作った。一回で五十個くらい作った。餅米
を蒸かし、自分で作った小豆をせじて(煮詰めて)小豆餡を作る。米を握って丸め、餡の
鍋に入れ、餡で包めば出来上がり。大きなカナバチ(トレー)いっぱいに並べる。   

 四月は月遅れの桃の節句。桃の節句には赤飯を炊き、三色の餅をつく。餅は何も入れな
い白餅と栃餅、粟餅をつく。栃の実は保管してある古いものから使う。一ヶ月前くらいか
らアク抜きの作業が始まるが、アク抜きのポイントは灰の使い方にある。良い灰でないと
良いアク抜きが出来ない。栃のアク抜きには気を使う。ノブエさんはアク抜きの名人と言
われている。ほんのり苦い栃餅は昔からの秩父の味だ。               
 粟は畑で栽培している。秋に実が熟したら穂を刈り取り、ゴザかビニールを敷いた上で
叩いて脱穀する。使うときは前日から水で三回くらいよなげる(洗い流す)と細かい石が
取れる。餅米に二割くらい入れて蒸かす。今、粟は精米所で精穀してもらっている。  
 山に出ていればのごんぼうを使って餅をつく事もあるが。今は鹿が全部喰ってしまうの
で、のごんぼうは手に入らない。なぜかヨモギの草もちは作らない。         
 餅はすべてのし餅で、五センチ×七センチ、厚さ一、五センチくらいの大きさに切り揃
える。煮物は畑にあるものを使って作る。                     

家にはお供えをする神様が八ヶ所もある。 絵のファイルを見てもらい、色々な話を聞いた。

 五月のお節句は月遅れにしない。赤飯を炊き、煮物を作る。柏がないので、柏餅は作ら
ない。柏餅の代わりにミズナラの葉を使ってミズナラ餅を作ったことがある。五月だとま
だ、ミズナラの葉が柔らかいので難しかったと文昭さんが笑いながら言った。     
 ここは標高が高いので、何もかも出来るのが遅い。他の場所ではそろそろ終わる頃に採
れるようになる。だから他と違うのかもしれないと言うのはノブエさん。       
 七月には農休みがある。七月二十日が地区のお祭りで、赤飯を炊き、煮物を作る。この
時期の煮物はニンジン・インゲン・じゃがいも・コンニャクなどを使う。       
 コンニャクは生の芋を使って必要なときに必要な分だけ作る。生芋をミキサーにかけ、
農協で買ってきた粉(炭酸ナトリウム)を加えるとすぐに固まるのでバットに詰める。固
まったら包丁で切って大鍋で二回ほど茹で流せばアクが抜ける。アクが気になる時は細か
く切ってからもう一度茹でこぼす時もある。                    

 八月一日は釜の口開けという日で、おまんじゅうを作る。             
 八月七日は七夕で、昔はおまんじゅうを作っていたが、今はやっていない。     
 八月十四日はお盆。この日もおまんじゅうを作る。五十個のおまんじゅうを作る。  
 八月十五日はぼたもちを作る。ぼたもちも五十個くらい作る。           
 八月十六日はお寿司を作る。いなり寿司三十個、海苔巻き五本くらい作る。     
 お盆の間は本家なのでお客さんが多く、いろいろ作る量も多い。この時期が終わらない
とどこにも行けない。「八月のお盆が終わればひとあんきだぃねぇ…」とノブエさん。 
 八月は本当に忙しい。人が多いので、いっぱい作るのだが、作ってもらうのを待ってる
ような感じだという。八月は傷むのも早いので、配り終わったらすぐに冷凍保存する。 

 九月はお彼岸。三月と一緒で、ぼたもちを五十個くらい作る。神様に供えた後の分はタ
ッパーに詰めて冷蔵庫で保管する。                        
 十月は十五夜。おまんじゅうを作る。                      
 十一月はとおかんや。子供の時は楽しみだった行事。大きな鍋に煮物を作る。    

 そして一年の終わり十二月が来る。十二月二十八日には「焼きじめえ」のまんじゅうを
作る。蒸かさず焼いて作るまんじゅうだが、昔は囲炉裏で熱い灰に埋めて焼いていたのだ
が、昭和三十五年の改築で囲炉裏がなくなり、今は火鉢で炭を熾して焼いている。十二月
の忙しい時に五十個ものまんじゅうを焼くのは本当に大変だった。「なんでこんな時期に
まんじゅう作りなんだろう?」といつもノブエさんは思っていたそうだ。       
 十二月三十日は正月用の餅つき。餅はこの日に全部つく。             
 三十一日の朝はお粥。「おもっつぇがゆ」(最後のお粥)と呼んでいる。何も入れない
白粥だ。おつゆとお香々が付く。夜は三が日と同じ尾頭付きの魚と白いご飯と決まってい
る。浅見家では大晦日の夜から正月になっているという事のようだ。         
 世間では年越し蕎麦の日だが、蕎麦を食べることはない。             
 以上が浅見家年中行事の料理一覧だ。これを忠実に守ることがどれだけ大変なことか。

珍しい粟の穂を見せてくれた文昭さん。自分で栽培したもの。 畑でいろいろ説明してくれたノブエさん。

 食にまつわる話は次々に出た。山仕事をやっていた関係なのかわからないが、ご飯に汁
を掛けるのはご法度だった。汁にご飯を入れるのは大丈夫だったので、何かいわれがある
事なのだろうとのこと。山の禁忌なのかもしれない。                
 浅見家ではずりあげはやらない。他の家では普通にやっているが、この家では昔からや
らない。また、味噌作りもやらない。自家栽培の大豆はあるが器具がないので味噌は農協
から買っている。合理的な考え方だ。                       
 おばあさんがしゃくし菜を食うと喘息になると言って、しゃくし菜を食わなかった。し
ゃくし菜の代わりに白菜・大根・野沢菜を漬物にしている。野沢菜は若く軟らかい茎を採
り、熱湯にくぐらせて漬けるとひと晩で食える。シャリシャリして旨い浅漬けだった。ま
た古漬けは春になったら刻んで炒めて食べたものだった。              
 昨年、白菜は五十玉漬け込んだ。大根は三十キロを漬けた。野沢菜も同じくらい漬けた
という。昔から漬物はいっぱい作っていた。おじいさんが酒飲みだったので、漬物はいい
つまみになるので大好きだった。春になって古漬けを炒めて食べるのが旨かった。   

 盆も正月も兄弟・親戚がいっぱい集まってにぎやかだ。おじいさんはお世話人という、
今で言う仲人をいっぱいやった人で、世話になった人がみんな来たので、それはそれはに
ぎやかだった。ノブエさんはいつも料理を作っていた。「もう、あと幾年続くかわかんな
いけど、出来る間は続けたいね…」野菜と花を作っている四反歩の畑で、静かに周囲を見
渡す目がやさしかった。